いろんなモノを見ていて感じるのです.........
おいらは完成度の高いモノというのは左右逆にしても上下逆にしても反転しても納得できるモノだと考えています。
これは無条件においらの中では「=美しい」ということです。
この状態を創り出す事は人間には難しい事ですよね。
せいぜい一つの条件を満たすことをするのに必死になりますからね~。
これらを日本人の中には追求している方たちがいます。
「折り紙(千代紙)の模様」や「伝統工芸品の模様」等に多用されていますよね。
あれを見ていると緻密に計算されていて美しいと感じます。
また日本の模様の文化に好感が持てる点は抑えた色調の扱いにかけては世界に誇れることでしょう。
まず配色が地味でも飽きずにずっと見ていられることは大きいですし、この色遣いは日本建築にも通ずるものです。
配色だけでもおいらは日本建築が大好きなんですが、機能美や作りを芸術に変えてしまう日本人のセンスは素晴らしいと感じるんです。
また、ただ単に左右対称にしたらいいというものでもなく、内に秘めている美しさも備わっていなければなりません。
加えて、完璧な美しさを追求していますが、以前にも書きましたが、あまりに完璧すぎるモノというのは人間というのは受け付けない事も感じています。
おいらの考えている「人間」というのは
「己が不完全な故に不完全なモノを愛する」
傾向があるはずなのです。
よって
・未完の小説や漫画
・若くして不慮の死によって亡くなった「美しい」もしくは「格好いい」人の残した写真や映像がよりいっそう映えること
・未完成の絵
・未完成の楽譜
などが愛され続けるのでしょう。
また人を愛する事というのは、まさに己が不完全故に他の人の不完全さを愛することが出来る最たる事象だと感じます。
人と人の結びつきというのはただ「美しい」とか「お金を持っている」という事だけでは長続きしないことは誰の目から見ても明らかなことです。
人は失敗をしますし、間違いをします。
それを許せる事というのは人が出来る最も美しいことですよね~。
おいらもかくありたいと願いながら見えるところで測ってしまう自分がいます。
情けない限りなのですが、自分の価値観は日々変わっていきます。
知れば知るほど価値観の変化を味わうので変わらない価値基準を知ることというのは大切だな~とも痛感しています。
人間というのは一生を全うするといいますが、「本懐を遂げる」ことが出来ることの方が美しいと感じるのはおいらが日本人だからなのかもしれません。
生き続けていると生き恥を抱えていなければなりません。
これを納得して生きている人は良いのでしょう。
しかし不本意ながら生きている人にとっては死に時を逃すことの方が恥だと感じます。
おいらは死ぬ「時」を逸してしまいました。
これは生き続けることを望む人にとってはうれしいことなのかもしれません。
まあ見方は様々ですし、日本人ならではの考え方が多分に出ているところですのでもっと世界を知ると生きることの方が美しいと感じるようになっていくのかもしれませんがね。
最近は「生きる」という事象のの美しさをよく考えます。
生きるということの奇跡を思いめぐらすと、そう簡単に死ぬことが出来なくなりました。
人間としては良い傾向なのかもしれません。
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