ボブマーリィという先駆者に引継ぐ才能と実力を持って、レゲエムーブメントの黒子であり続けるアルファブロンディ。80年代まっただ中、アフリカ人レゲエ・ヴォーカリストであるアルファ・ブロンディは、西アフリカで最も成功したアーティストという地位に昇りつめ、彼の曲は多くの地元レゲエ・アーティストにカヴァーされるようになった。ブロンディは、ジャマイカで生まれたレゲエのリズムやスタイルを単に模倣するだけでなく、そのレベル・ミュージックとしてのスピリットあふれるリリックをも自らの音楽に取り込んだ。鮮烈なアルバム『Apartheid Is Nazism』リリース後はジャマイカへ飛び、ウェイラーズと共に次作『Jerusalem』をレコーディング。コナクリでのアルファブブロンディのコンサート当日土砂降りにみまわれ、観客である若者達に雨天中止を伝えるため、ラジオ局へ行って語りかける。「みんな、俺たちの神は、まず草木に水をまくべきだと決めたようだ。音楽は明日まで待つことにしよう」と録音するが、この録音を伝えるテープをラジオ局は箱にしまってしまい、コンサート主催者側は、「スタジアムでのコンサートは素晴らしいものになるだろう」とラジオで放送する。コンサート会場のスタジオアムの音響設備は雨で故障するなか、観客に中止を伝える術がなく、2万ワットと12丁の機関銃の大暴動の末、コンサート会場であったスタジアムは崩壊するが、何日か後、人民広場にて4万人の観客を動員。スタジアムでの暴動を挑発したコンサートの主催者達もまた、復讐をうけ、クーデターのした準備をしたと告発された。アフリカのロックのシンボルともいえる、このアルファ・ブロンディだが、私生児として生まれ育ち、レゲエとラスタを信望する彼にまったく困難がなかったわけではない。アメリカのコロンビア大学で学び帰国した彼を、両親は精神病院に送り込んだのだ。原因は彼のラスタ信仰にあった。しかしそれも仕方のないことなのかもしれない。何しろ彼は、ラスタ・ファッションをキメこんでいるのに、出かけるときには必ずダビデの星と聖書のコピー、コーランの一部を持ち歩くというのだ。おまけに彼はイスラエルではアラビア語を話し、アラブ諸国ではヘブライ語を話すともいうから……。やはり、彼の両親のとった行動を非難するのはちょっと難しいかもしれない。FIFAワールドサッカー2010年が、アフリカで開催されることが決定し、アルファ・ブロンディはセレブリティリーグにも参加し、コメントを載せている。アフリカンレゲエとダンスはより一層ムーブメントをひきおこすと予想される