このNFシリーズ、意外に軍国調じゃなく、立場もニュートラルで良かった印象があって、また手が伸びた。こんな脇道にそれてる余裕はないくらい、いま未読の在庫がたまっているのだが、江戸川乱歩並みに私の活字好きを助長したのがこういった戦記だった(中学生のとき雑誌『丸』や『よもやま物語』シリーズを耽読していた)。安易な読書には違いないが、光人社が言うように、確かにこういったドキュメンタリーは私を今でも鼓舞するのである。
また、内蒙古で敗戦後、いかなる戦闘があったかなんて知らなかった。知らぬままでいるのが私は嫌なのである、特に歴史においては。
と、古書店の片隅でにわかに真面目くさってこれを手にしていた私だが、ひもといてみれば読み物的な文体や構成に少しがっかりした。著者のサービス精神が過剰だったのである(著者は元週刊誌記者。そこで養った作風か)。しかしそれだからこそ疲れず読めるのだろうし、著者も8月20日の戦争をより多くの人に伝えたかったのだろう。
よく関東軍が民間人をまったく守らず敗走したというが、著者はその風説に強い疑問を持っており、こういう例もあったのだと反証を示したかったらしい。至るところで、日本軍がよくやった場面が描かれる。
いずれにせよ、一様には言えぬだろう。我先にと撤退していった部隊もあったろうし、撤収の鉄道を守るため、本書にあるような美談も実際あったろう。
ただ気をつけたいのは、古来、戦争に美談はつきものだということである。そして忘れてならないのは、美談は、おぞましい悲惨とセットであるということだ。
ポツダム宣言受諾後に、居留民の楯となり散華した兵士の冥福を祈るのならば、私たちは、やはり戦争をなくす方策を考えねばならない。美談すら教訓として。
