東村山市「ゆるや」で見つけた。ここにある本で欲しくなって手にするものに外れはない。
しかし本書は長らく自分の書棚に積読されてしまった。興味を持って買ったのだが、だんだんと食欲が薄れていったようなのである。
その理由は、著者が冒頭で丁寧に説明してくれている。
〈いま「社会主義」と銘打った本を出すのは決して容易なことではない。前世紀におけるその壮大な実験に失敗の烙印が押されていることは否定しがたい事実であろう。〉
そうだ。しかも、かつて社会主義を標榜した日本の政党は、四分五裂して衰退し、国政政党としてはもはや風前の灯である。
共産党と対立したゆえにナチスの台頭を許したドイツの歴史に学ぶどころか、同じ社会主義の仲間らとも路線等の違いで空中分解し、自民党の天下を許した彼ら。
さらに言えば、筋を通している共産党のほうが、まだ信用できそうな気もするし、それとは別に、瓦解したかに見える新左翼勢力やノンセクトあるいは無政府主義者の中から、真摯な見直し・復権の動きも見える。相変わらず「資本論」は多くの参考書・関連書籍が出続けている。著者はこうも書いている。
〈左翼の中でもとりわけラディカルな主張の持ち主たちの間では、現在、「来るべき共産主義」への強い期待が高まっていて、そこでは「社会主義」な生ぬるい思想と見なされている〉
だよね。・・・積読してしまった理由を当の著者らが説明してくれた。ま、それをひっくり返す為の導入部分なわけで、つまり興味を枯れさせて知ったかぶりしていた私は、またも反省することになったわけなのだが。
というのも、この手の本には珍しく、面白くていっき読みできたのである。異なる分野の2人がひょんなことで19世紀の社会主義思想への興味という共通項を見つけ、刺激し合っていく。
2人のわくわく感が対談で迸り、読む側にも伝染してくる。
社民党の凋落を見て即ち社会主義の、没落と見るのは誤りである、そんな当然のことに気づかされた。また、ボリシェビキのもたらしたイメージの弊害も、19世紀に英国で発展した社会主義の再評価を阻害していると知った。
異なる分野から語る二人だが、そのスタンスがいい。より楽しく生きるためには? というのが最大の前提になっている。
少子化、安い日本、政経軍事における米国追従、子供の貧困・・・暗い話題ばかりの昨今。私たちには、やっぱり変革への希望が必要なのだと思う。
それが、人間性と、楽しさとを尊重するイズムであるなら、きっと社会変革は可能だと思う。本書はそれを教えてくれる。
さあ、社民党よ、立憲民主党の心ある者たちよ、彼らの謂う社会主義に耳を傾けてくれ!
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