流行りの歌のようには廃れないはずの文学だが、芥川賞作といえども最近のもの以外はブックオフの¥100棚で見つけることができる。CDなら「こんなの流行ったねえ、懐かしい」と思いながらも、陳腐に見えて¥100でも欲しくないが、文学となると気持ちは複雑だ。
そもそも“消費”されるものではないはず。けれど出版社にとっては“商品”に違いなく、まして古本屋なんかでは回転速度を重視して旬の商品なのかマニア受けする値下がりしない商品なのかを見定める。結果、旬でもなくマニア受けでもなく、こうして¥100になったおかげで私もこれを手にするわけだから皮肉だ。
『自動起床装置』は睡眠という不思議な領域を題材に描かれる。といってファンタジックな話ではない。実はシビアな話である。
いろいろな機械が人間の生活に導入されることの可否、疑問、不可思議、不条理を、いっけん軽いタッチで描く。そして“自動起床装置”の採用により消沈していく中、ある事件の顛末とともに話は終わる。
退屈だけど面白い。悪くない。数年前のものかと思ったら驚いたことにバブルの後半に書かれた作品。あの頃の流行りの曲が時代がかってダサくて仕方ないように見えるのに対して、さすがである。純文学である。
併録の『迷い旅』はクメール・ルージュが暗躍するカンボジアでの取材旅行から材を得た作品。『輝ける闇』の直後にこれを手にした偶然に驚いている。開高健が作家として世に出てからベトナムに赴いたのに対して、辺見庸は逆に長らく共同通信社に勤めた人。どおりで文体は安定していて新人らしくない。
とはいえ『迷い旅』はどこか高みの見物を抜け出ない軽さがあって、また例の三部作も念頭になくもない作風で(私の先入観かもしれないが)、視座に重さがなかった。浮き草のような身軽さで。
それはたぶん視る側が原風景たる“戦争”を経験していないからでもあろう。
他にも海外での記者生活から材を得た作品があるらしい。ぜひ読みたいと思う。
それにしても、その傍らで『自動起床装置』のような作品が紡がれたということに不思議な驚きを禁じ得ない。
