経営学的に日本軍の失敗を分析したもの、という書評を読んで興味を持った。取り上げられるのは、
“失敗の序曲"としてのノモンハン。
“不測事態にどう反応できたか"を分析するミッドウェー。
“ターニングポイント”としてのガダルカナル。
“賭の失敗”、インパール。
“自己認識の失敗”、レイテ。
“認識のズレ・意思の不統一”に注目する沖縄戦。
以上、六つのケースである。私はそれらの中から、なかんずく現在も改善されていない部分を教訓的に読んでいった。
以下、抜き書きと寸感を。
【ノモンハン事件】
『関東軍の立場を尊重し、実施はあくまでもその自発的意思によるという従来の方法をとったのである。』
『中央部の意図、命令、指示は不明確なものが多く、事件処理に関して積極的態度が見られず、ことの成り行きにまかせることが多かった』
合理性よりも場の空気を重視する。その成り行きは目にみえるようだ。変わっていない。しかも、
『新司令部設置に伴う事務処理に追われて一人の軍幕僚も戦場に進出しないうちに、ソ連軍の大攻勢を迎えることになる。』
重点を置くべきところに力を集中するという兵法の常道すら実行できていない。お役所仕事にうつつを抜かすうち、取り返しのつかない事態を招く。いまでも起こりがちなパターンではないか。
『観念的な自軍の精強度に対する過信が上下を問わず蔓延していた』
日露戦争の勝利が、無敵皇軍というイデオロギーとして利用され定着していったのかもしれない。これは敗戦まで改善されることなく引き継がれた、いわば共同幻想である。
『情報機関の欠陥と過度の精神主義により、敵を知らず、己を知らず、大敵を侮っていたのである。』
どうやら日本はノモンハンの流血を無駄にしてしまったらしい。
【ミッドウェー作戦】
『戦闘は錯誤の連続であり、より少なく誤りをおかしたほうにより好ましい帰結をもたらすといわれる』
『当初の企画と実際のパフォーマンスとのギャップをどこまで小さくすることができるか』
いうまでもなく日本軍はより多くの錯誤をおかし、また企画と各指揮官とのギャップは埋まっていなかった。
『目的と構想を、山本は第一機動部隊の南雲に十分に理解・認識させる努力をしなかった。』のであって、これを称して著者は“目的のあいまいさと指示の不徹底”という。肝に銘じておきたい。
【ガダルカナル作戦】
『陸海軍の間では、「相互の中枢における長年の対立関係が根底にあって、おのおの面子を重んじ、弱音を吐くことを抑制し、一方が撤退の意思表示をするまでは、他方は絶対にその態度を見せまいとする傾向が顕著であった」(井本熊男『作戦日誌で綴る大東亜戦争』)』
不毛である。面子のために、どれだけの人命が犠牲になったのか。
『第一線からの積み重ねの反覆を通じて個々の戦闘の経験が戦略・戦術の策定に帰納的に反映されるシステムが生まれていれば、環境変化への果敢な対応策が遂行されるはずであった。しかしながら、第一線からの作戦変更はほとんど拒否されたし、したがって第一線からのフィードバックは存在しなかった。』
米軍ですら、現場からのフィードバックを重視するようになったのはベトナムの失敗を経験してからだという。とすれば、そのスタンスに関して、未熟であったはずの米軍にも劣る、上からの押し付け・現場無視が横行していたのだろう。
その傾向は現在の官公庁や大きな組織にも受け継がれてしまっている気がするのだが。
【インパール作戦】
不毛といえば最たるものと思えるのがインパールだ。日本の官僚組織の悪い部分が最悪な作用をした例として教訓的である。
『重点を南に指向せよとは指示していたが、その表現はことさらあいまいであり、(中略)方面軍の意図は第一五軍に通じておらず、第一五軍はむしろ、あいまいな表現を自案に有利な意味に解釈してしまったのである。』
明確な命令・指示を下すことによる責任や人間関係のストレスを、回避する。近代的な官僚組織とはいえない風土である。インパール作戦が発動される段階の各々に、著者は繰り返し以下の表現を与えている。
『軍事的合理性よりも人間関係と組織内の融和を重んじる態度の反映』
『軍事的合理性以上に、組織内の融和と調和が重視されていた』
『またしても軍事的合理性よりは、「人情論」、組織内融和の優先であった』
書いているほうもうんざりだったろう。
『軍事的合理性以外のところから導き出された決断がまず最初になされ、あとはそれに辻褄を合わせたものでしかなかった』
まさにお役所仕事の標本である。
最後に著者らは『要するに』といってこう述べている。
『情報の貧困』
『惰性』
『学習の貧困ないし欠如』
反面教師として、それに至る顛末は覚えておきたい。また、組織の人間関係における潤滑油たるべき要素が、場合や程度によっては歴史的大失敗を招いたことを鑑み、その使い方、在り方を考えていきたい。
【沖縄戦】
沖縄戦が大本営と実施部隊との間に、深刻な“コミュニケーション・ギャップ”を抱えたまま戦われたのは、本書で初めて知った。
これほど大きな戦略級作戦において、あまりに稚拙な混乱が生じていた。航空決戦を指向する大本営や海軍に対し、硫黄島式の持久防御を目指す現場。
そもそも航空決戦を遂行するだけの航空戦力があったのか。現地の第三二軍に独断専行を許したのも、そういう不信感+部隊改編から生じた軋轢であった。
というのはわかるが、そうしたすれ違いから、国家的戦略が迷走する構造的弱さは信じがたい。
共通するのは以下に挙げるような法則性に逆行していたことだ。
『目的の単一化とそれに対する兵力の集中は作戦の基本であり、反対に目的が複数あり、そのため兵力が分散されるような状況はそれ自体で敗戦の条件になる。』
そして、
『多分に情緒や空気が支配する傾向』は、
『理性的判断が情緒的、精神的判断に途を譲って』しまい、
『空気が支配する場所では、あらゆる議論は最後には空気によって決定される』
すなわち日本軍には、
『論理的な議論ができる制度と風土がなかった』のである。
規律に厳しく、厳格な上下関係に支えられているかに見えた日本軍でありながら、上部の意思決定には、甘さや緩さが満ちていた。
『官僚制のなかに情緒性を混在させ、インフォーマルな人的ネットワークが強力に機能するという特異な組織』において、
『根回しと腹のすり合わせによる意思決定』が重大な局面を左右したのだとしたら、そんな悲劇を繰り返さぬためにも、日本的特異性=「日本的集団主義」にはメスを入れ続けるべきだ。問題は先送りされてきた気がする。
また幸か不幸か第一次世界大戦を経験しなかった日本軍は、日露戦争勝利による共同幻想を強化させ、その勝利を規範とした綱領や教範が聖典化してしまった。それは以下のように影響したのである。
『視野の狭小化、想像力の貧困化、思考の硬直化という病理現象が進行し、ひいては戦略の進化を阻害し、戦略オプションの幅と深みを著しく制約することにつながった』
『失敗の蓄積・伝播を組織的に行うリーダーシップもシステムも欠如していた』
また当然ながら、人の間柄を重視する風土は、責任の所在を不明確にし、『評価をあいまいにし、評価のあいまいさは、組織学習を阻害し、論理よりも声の大きな者の突出を許容した』のだった。
最後に本書は【失敗の教訓】の中で、日本軍が組織学習を失敗したことを取り上げ、こう述べる。
『組織学習には、組織の行為と成果との間にギャップがあった場合には、既存の知識を疑い、新たな知識を獲得する側面があることを忘れてはならない。その場合の基本は、組織として既存の知識を捨てる学習棄却、つまり自己否定的学習ができるかどうかということなのである。』
われわれに、そういった学習ができているだろうか。
さらに、『適応力のある組織は、環境を利用してたえず組織内に変異、緊張、危機感を発生させている』とし、
『組織がたえず内部でゆらぎ続け、ゆらぎが内部で増幅され一定のクオリティカル・ポイントを超えれば、システムは不安定域を超えて新しい構造へ飛躍する』という。そのような創造的破壊を自覚的に行い得るかが、組織の将来を決定づけるのだろう。
軍隊は社会の縮図だという。また人間のかかえる習慣や思考パターンや共同幻想は、意外にしぶとい。日本軍の失敗を対岸の火事と見なしてはならない。もっと読み込んで、現在にフィードバックすべきだと感じた。それだけ教訓は活かされてない、という危機感を抱かされる読書だったのである。
感想文というより備忘録になった。
