副題『旧日本軍から公安、内調、NSCまで』。現在のインテリジェンス機関を概観し、これからの展望を得るため、旧軍からの系譜を皮切りに、インテリジェンス史を振り返る内容である。
新書にしては、とても評価が高いようなので、現在の問題点・その要因を知るために手にした。
まえがきで、著者はキークエスチョンとして以下二点を挙げている。
【①なぜ日本では戦後、インテリジェンス・コミュニティが拡大せず、他国並みに発展しなかったのか】
【②果たして戦前の極端な縦割りの情報運用がそのまま受け継がれたのか、もしくはそれが改善されたのか】
特に、後者に問題意識を持って、私は頁を繰っていった。
とはいえ、解答は概ね予期していた。
吉田政権下、日本版CIAの構想が立てられたが、“「情報機関=戦前の監視社会、言論統制」という構図ができあがってしまい”政治的に困難化する。
急に平和がもたらされ、自助努力なくそれが保たれていく歪な戦後日本の安保環境が、この構図を、忌避感を維持させてしまったのだろう。
同様の理由で、秘密保護法等の整備も遅れ、日本はソ連のスパイや北朝鮮工作員の跋扈する場所になってしまう。
それだけ平和を享受できていたのだと、喜ぶべきなのかもしれないが、著者のキークエスチョンに対しては、やはり禍根を残していると回答せざるを得まい。
“回らない、上がらない、漏れる”という痛烈な批判は、苦言や笑い話では済まない。拉致事件は各組織の情報共有が行われていれば、ある程度防げたものと指摘されている。
仕事を増やしたくない、利益(利権)を提供したくない、というお役所の感覚が、冷戦が終わって、情報が表立って重視される中、顕になった観がある。
その弊害は、組織文化として染み着き、受け継がれてしまっている。さらに、業務の多忙化により、改善には向かい得てないように思える。
著者は、終章において、②の回答には一定の評価を与えている。第二次安倍政権の成果を称えるような文脈に、そのまま頷く気にはなれないが・・・(新しい上部組織がてきることによる、下部組織の不毛な苦労や、相変わらずの現場の縦割り風土を思えば)
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