『インパール作戦従軍記一新聞記者の回想』(丸山静雄 岩波新書)
積読本がたまっているが、岩波新書かつ著者は朝日の論説委員というブランドに安心して手にとった。
84年の発行である。思えば当時、戦争体験者はまだ60代が大半で、私の祖父も若く、戦争がそう遠い話ではない感じがあった。祖父についていってゲートボールを見物したときなど、老人たちが昨日のことのように「あそこでゲリラに囲まれて・・・」などと話していたのが記憶に鮮明だ。
あの頃は戦争体験者がこぞって定年退職を迎えて、改めて戦争を振り返り始めた時代だったのかもしれない。
インパール作戦については、様々な文献が出ていて、幾つか目にしたが、特に『失敗の本質』が印象的だった。日本のどうしようもない組織論が最悪な見本として取り上げられている。
今回はひとりの人間の眼を通したインパール作戦を読もうと思って本書を紐解いた。
さすがにベテラン記者、構成が良かった。『インパール従軍』でその戦いに至る前史を体験談を交えて書き、『インパール作戦考』においては一歩引いて作戦を吟味して読者を、最後の『敗走千里』へと誘う。見事な三部構成だ。強いて言えば『作戦考』は後付けの評価であり、ややしつこく感じたし、そんなことより著者の貴重な体験をもっと読みたいなと感じた。
とはいえ私が気に入って付箋を貼ったのは、『作戦考』の一節であった。
【こうした作戦準備が積み重ねられてゆくうちに知らず知らずの間にインド侵攻の思想が醸成され、それが一つの勢いとなり、抑制がきかなくなり、やがて作戦実施の事態に誘いこまれてゆくことになる。二十一号作戦計画は結局、インパール作戦となって結実したし、日本が戦争に入ってゆくプロセスはだいたいにおいて、いつもこうである。】
真珠湾然り、2.26事件も典型的だ。本土防衛にこだわった陸軍の一部も、似たような思考過程を踏んだのだろう。
まるで無駄死ににしか思えないインパール作戦は、こうした反省と教訓とを汲み続け、活かすことだけが、供養になるのだろうと思う。
積読本がたまっているが、岩波新書かつ著者は朝日の論説委員というブランドに安心して手にとった。
84年の発行である。思えば当時、戦争体験者はまだ60代が大半で、私の祖父も若く、戦争がそう遠い話ではない感じがあった。祖父についていってゲートボールを見物したときなど、老人たちが昨日のことのように「あそこでゲリラに囲まれて・・・」などと話していたのが記憶に鮮明だ。
あの頃は戦争体験者がこぞって定年退職を迎えて、改めて戦争を振り返り始めた時代だったのかもしれない。
インパール作戦については、様々な文献が出ていて、幾つか目にしたが、特に『失敗の本質』が印象的だった。日本のどうしようもない組織論が最悪な見本として取り上げられている。
今回はひとりの人間の眼を通したインパール作戦を読もうと思って本書を紐解いた。
さすがにベテラン記者、構成が良かった。『インパール従軍』でその戦いに至る前史を体験談を交えて書き、『インパール作戦考』においては一歩引いて作戦を吟味して読者を、最後の『敗走千里』へと誘う。見事な三部構成だ。強いて言えば『作戦考』は後付けの評価であり、ややしつこく感じたし、そんなことより著者の貴重な体験をもっと読みたいなと感じた。
とはいえ私が気に入って付箋を貼ったのは、『作戦考』の一節であった。
【こうした作戦準備が積み重ねられてゆくうちに知らず知らずの間にインド侵攻の思想が醸成され、それが一つの勢いとなり、抑制がきかなくなり、やがて作戦実施の事態に誘いこまれてゆくことになる。二十一号作戦計画は結局、インパール作戦となって結実したし、日本が戦争に入ってゆくプロセスはだいたいにおいて、いつもこうである。】
真珠湾然り、2.26事件も典型的だ。本土防衛にこだわった陸軍の一部も、似たような思考過程を踏んだのだろう。
まるで無駄死ににしか思えないインパール作戦は、こうした反省と教訓とを汲み続け、活かすことだけが、供養になるのだろうと思う。
