上司の薦めで読んだ。この手の自己啓発本は良くも悪くも底が浅くて、もう手にすまいと思っていた。文学や哲学、あるいは心理学でも社会学でもいい、世の中には様々な切り口から問題を吟味する方法がある。奥深い芸術もある。占い師風情の言葉に一喜一憂する昨今の民法番組みたいに、安易な“自己啓発”本に惑わされたくはないのだ。
しかしその上司の引用の仕方や話が上手くて、つい買ってみてしまった。
本書は百年以上前から読まれている自己啓発本の元祖といった本であると同時に、はからずも表現しているのは“自己責任論”の元祖、ということである。要約すると、著者がいうのは、
『心の中で思っていたように実現されていく』
『したがって環境とは自分が作るものである』
といったほどのことである。はて、どこかでひどく論破されていた論調に似てはいまいか。そう、これは『ドイツ・イデオロギー』においてマルクスに完膚無きまでやっつけられたマックス・シュティルナーやブルーノ、フォイエルバッハら古いイデオロギストたちの論調そのものなのである。
私が“自己責任論”の元祖と評するのは以上のことが理由である。保守的な層は、そういう論調を度々援用してきたろう。またそういった論調が支配的になっていったのは、これらテキストの効用でもあったのではないか。
いわく《搾取する人たちと搾取される人たちは、たがいに協力しあっている人たちなのです。そしてかれらは、どちらもつねに苦悩を手にし、その責任を相手側に向けていますが、実際に悪いのは自分たち自身にほかなりません。》
いまでいう御用学者だったのではないかと疑ってしまうほどだ(同時、イギリスは最も革命的情勢にある国だっただけに)。
中には、「そうだった」「なるほどな」と思わせる一節もあった。それらを抜き書きしておこう。
《人類は、心のコントロールを怠ることで自分の人生と幸せを破壊することを、いったい、いつになったらやめるのでしょう。バランスのとれた人格を手にしている人たち、その属性である真の穏やかさを所持している人たちの、なんと少ないことでしょう。(P86)》
わかりきったような指摘だが、自分の感情をコントロールできていないから批評できない。穏やかさ……それをこんなスピリチュアルな分野に頼って手に入れたくはないが。
《理想を抱くことです。そのビジョンを見つづけることです。あなたの心を最高にワクワクさせるもの、あなたの心に美しく響くもの、あなたが心から愛することのできるものを、しっかりと胸に抱くことです。そのなかから、あらゆる喜びに満ちた状況、あらゆる天国のような環境が生まれてきます。(P72)》
いわれてみれば、思い続けること念じ続けることを、私は忘れがちだったような気もする。夢はいつの間にか念頭の端に追いやられていたようなのである。
本書の傾向を手酷く批判した一方で、やはり汲むべき部分も同じ中にあったこと。これは認めねばならない。
《成功を手にできないでいる人たちは、自分の欲望をまったく犠牲にしていない人たちです。(P67)》
耳に痛い箴言である。欲望を犠牲にせねば意中のものは得られぬ、というのは当たり前のようでいて、当たり前には実行できていないのだ。
《人間を目標に向かわせるパワーは、「自分はそれを達成できる」という信念から生まれます。(P57)》
わかりきっていたはずのこと。だが、現状を見れば、信念に邪念が大量に紛れ込んだことに気づく。目標管理というのが、ここ数年、機能していなかったことにも思い至る。
《心の中に蒔かれた思いという種のすべてが、それ自身と同種のものを生み出します。それは遅かれ早かれ、行いとして花開き、やがては環境という実を結ぶことになります。(P24)》 これが題名にいう「原因と結果の法則」だと著者はいう。法則だなどと大それたものでもなかろうが、否定できない箴言である。このことを、真摯に考え、自己管理していきたいと思った。
反感7割・同感3割。いつか機会があったら、反感を度外視して読んでみよう。私の自己啓発本に対するバイアスが、読む姿勢に影響し過ぎたのも否定できないのだから。
