16年ぶりくらいで手にした。当時私は『三田文学』を定期購読していたのだ。ひさしぶりに訪れた新宿の『紀伊国屋』で、ふと手にとって、読んでみる気になった。書くことに情熱を傾けていた若いころの気持ち、その片鱗をうかがい知ることができそうな気がした。
特に目次は見ず、淡々と掲載順に読み進んでいった。不思議と、染み入るように、活字が入ってきた。特段、引き込まれる内容だったわけでもないのに。
何かに飢えていたのかもしれない。たとえばそれは、本誌のまとう非商業的なスタイルかもしれない。良くも悪くも非徹底的だし、良くも悪くも自由なのだ。それが私という砂地に染み入るかのようだった。
評論、随筆、小説、書評・・・目次も見ずに、受け身で掲載作品を読み進むというのも新鮮だった。自分の好みを放棄し、全てを通過させることで、好みによる縛りから開放され、出会うはずのないものと出会った楽しさ。
これといって印象に残っているものはほとんどないのだが、読んでいるときの快適さの感触は忘れ難い。
また定期購読しようかなと思った。
