以前にも書店で見かけたが、あまりにも軽い雰囲気、ミーハーな書きっぷりが嫌で、読む気は起きなかった。予備自衛官補という新制度を宣伝するために、官が企画段階で関わってるんじゃないのか。そんな偏見を抱いたのも、興味を持てなかった一因だ。
しかし不思議と、文庫化され、さらにそれが古書で安くなると、ハードルは低くなる。ちょっと読んでみるか、と思えるようになったりする。コストと物理的なエコ感が、購買するか否かの判断基準に大きく影響するようだ。
といっても本書はまだ¥360していて、少し考えた。ぱらぱらめくると、以前ハードカバーのものを見たとき同様の『けっ』という蔑視と偏見がいまも湧いた。でも、待てよと思い直した。たとえミーハーで頭の弱そうなドキュメントであっても、それは確かに体験に基づいた貴重な記録には違いない。単なる取材でなく、外から片足を突っ込んだ人間にしか見えぬこともあるだろう。なにせ予備自衛官補の書いたものなんて他にないのだ。・・・と、私はにわかに興味を抱いて本書を棚に戻さなかった。
読み終えて、知られざる予備自衛官補の訓練、その概要は理解できた。ちゃらちゃらしたような文体や、ダジャレみたいな言葉遊びの挿入には参ったが、著者なりに、堅くならないよう工夫した形跡なのかもしれない。いま簡単に読み返してみて見つけた次の一節は象徴的だ。
【 訓練2日目。ある班長が言いました。
「自衛隊ではバカになれ。自分ではなにも考えるな。なにも考えずに、言われたことをやれ。走れと言われたら走る。声出せと言われたら大声出す、メシ食えと言われたらメシを食う。バカになって走って、声出して、メシを食え」
柵の外の世界から離れ、なにも考えず、ただひたすら言われた通りに体を動かす。
そこに自由はありませんが、しかし何の不自由もありません。そこに自由はありませんが、しかし私は自らここに来ました。自らの自由な意思で、ここに来ることを選択しました。
そして、「バカになる」ことがとても楽しくなりました。】
バカになる(バカを演じる)、そうでもしなければやってられないのだろう。しかし多種多様な人間が集まり、数日間を共にし、共に「バカになる」。それは楽しいことでもあるだろう。
本書の文体上の「バカ」っぽさは、それらを少しでも伝えようという試みであるのかもしれない。著者のあとがきを読めば、もちろん軽さは演出であったのだなとわかる。
と、ある意味で参考にはなったが、私が知る限り、予備自衛官とか予備自衛官補というのは招集訓練においてはお客様みたいな扱いであり、そう過酷なことは経験しない。だから、あまり知ったような書きっぷりはしてほしくない気もする。一方で、職を持ちながら、休みをやりくりして訓練招集に応じる彼らの根気に、頭の下がるような気持ちもある。
しかし、ひとつ危惧しなきゃいけないことは、この新たな制度が、国民皆兵への布石になる、少なくとも誰でも予備役につける、つまり諸外国の軍隊に一歩近づいたということだ。とするなら、当初疑ったように、官の企画や助言、あるいは掲載雑誌への斡旋等があった可能性は低くないだろう。なにしろ扶桑社の発行する雑誌が関わっているのである。
とはいえ著者が戦闘訓練などを体験する中で、まさに皮膚感覚として戦争ってやるべきじゃないなと実感したことは、私を少し安堵させた。そういう意味では、若い人が兵役を経験する価値があるかもしれない。
