第2回 鉄道模型との出会い・・それは突然だった
実家の近くに 1歳年上のH.H君が住んでいた。彼の父親は高校の生物の先生で 科学には明るかったのだろう。母親も先生の様だった。
まだ私が幼稚園か小1の頃だった。天気が良いある日のこと 彼の家に遊びに行くと、縁側で小判型の線路を敷いて 鉄道模型を模型を走らせていた。車番は覚えていないが EB58だったと思う。
一瞬にして 虜になってしまった。いつか自分も遊んでみたい、そして大きくなったら絶対に手に入れるのだと誓った。
当時の私の小遣いは1日わずか5円、駄菓子を買ったら終わりだった。グリコのおまけつきキャラメルが10円の頃でした。
貧乏は絶対イヤだと思った。
彼とは因縁があり 私は就職すると初任地は北九州だったが、福岡市内に新店舗を開設すると言うので、1年4か月で転勤。福岡市内真っただ中 九電本社横の独身寮へ入った。すると彼が居たのである。年齢は1歳年上だが 2浪したようで会社では私が1年先輩になっていた。
ある時私の部屋へ招き入れNゲージを見せながら、あなたが遊んでいたHOに刺激を受け鉄道模型を始めたと言ったが、彼は自分が幼少の頃 鉄道模型で遊んでいたことをすっかり忘れてしまっていた。寂しいけど 世の中 案外こうしたものかもしれない。
彼の家の通りを挟んだお宅は 長崎大学付属中学校のS田教頭先生のお宅だった。先生はエンジン付きの大型の船舶模型などを作っておられた。
古くから鉄道模型趣味(TMS)を読んでる方は知ってると思うが 後に長崎から奈良県へ転居され「京都トンネル模型倶楽部」を作られた 故・山城正一先生は、この方の後任として、付属中学校の教頭になられた。付属中学校の校長は大学の学長だそうで 実質 校長先生になるようです。
H.H君の父親と山城先生とは 何らかの繋がりがあったのかもしれない。
今日は ここまで