※復興公営住宅で被災者の方との交流
・復興住宅にお住いの皆さんとの交流。8人ほどの方に参加していただき、被災した時の状況や今の暮らしぶりについて話しを聞いた。
・陸前高田市が最初に建設した住宅。入居率はほぼ100%。1階部分は、店舗スペース(店舗やヘルパーステーション、社協委託の交流スペース)。2階から住宅で、世帯状況に合わせて部屋パターンがある。
・仮設住宅は家賃はかからないが復興住宅に移ると発生する。経済的な苦しさを抱えている場合も多く細やかに対応することが大事。
*住民のみなさんの話し。
・津波の時、はじめは黒い煙しか見えなかった。
・いざと思って、逃げたから助かった。近くの85歳のおばあちゃんと一緒に逃げて一度はぐれたが何とか助かった。
・消防の声に追われるように逃げた。転んだ時には這うようにしながら。
・妻の手を引いていたのに、いつの間にかはぐれてしまった。息子さんに助けられた。自分の住んでいた地域は、13世帯のうち7世帯が家族全員亡くなった。津波は、何をおいても逃げること。
・津波で被害にあった人、そうでない人の差が激しい。地震の後、後片付けに入った人が亡くなった。地震=津波だが、津波の意識が遠くに行ってしまた。
・避難生活で、「タオル一本あれば」と最初に思った。顔を拭いたりいろいろできる。
・食べるものがなく、袋に入った飴を上から叩いて、細かく砕けたものをみんなで食べた。
・移動は大変。200円バス(市内循環)ができて、少し助かった。
できるまでが大変だった。
・近くにもうすぐショッピングモールができるのは嬉しい。昔は、歩いて済ませられる距離にほとんどがそろっていた。
・子どもを遊ばせる場所が欲しい。市民農園みたいなものもあれば。
・クラブ活動がいろいろある。時間も経って交流もできてきた。しかし、今後はどうなるか心配。家を建てた人たちが今後でていくこだろうし、若い人はほとんどいない。
*1階の交流プラザでの話し(社協職員)
・市からの委託を受けて運営している。臨床心理士、看護師が交代で常駐し様々な相談に応じている。
・男性の利用率が高いのが特徴。その人にやってもらえることをいろいろ作って参加してもらう。
・入りやすい雰囲気や工夫に心がけている。なかなか来れない人には、個別訪問などもしている。
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