事務局長通信

障全協活動者学習会・被災地視察(石巻地方)

障全協活動者学習会2日目(2016年8月21日)
〈被災地視察〉
最大の被災地と言われる石巻地方のいま!

(お断り;この記録は、自分が聞き取れたメモをもとに、視察終了後に検索した資料を合わせて構成したもの)

ガイドー菊池さん(石巻・元教員)
・基本的に4年前のコース(2012年活動者学習会)を回っていくが、以前のように車外に降りてもらっての説明が難しい(復興工事等の関係)
・以前は悼オた建物・流れた車や瓦礫が多く積み上がっていたがほとんどなくなっている。表面は綺麗になっている。しかし震災は終わっていない。今回の視察で、見えない部分を感じ取って欲しい。
・被災地は、大変苦しく深くなっている。以下の3点から。
①住まいの問題
・仮設住宅…以前よりずいぶん少なくなった。石巻市は、それらをある程度に集約する方向。そうなると、築き上げてきたコミュニティがまた壊される。
・復興住宅…計画通りに進んでいない。出来上がったところも家賃が高く入居を断念する世帯も多い(5年間は減免措置があるがそれ以降は何もない)。それだけ、経済的に困窮しているところが多い。仮設からの再建先未定世帯は、1119(16年5月)。
②産業の問題(例:水産業)
・すべての漁港が壊滅的な被害を受け、水産関連業も同様。
・市はかなり大規模(東洋一、全長約880m)な魚市場を再建したが、機能していない。販路拡大がされていないこと、放射能風評被害が大きい。名物のほやは韓国が買ってくれていたが、震災で他地域での対応となり、石巻に戻っていない。
③学校と子どもたちの問題
・資料にあるように、多くの子どもたちが貧困な状態に置かれ格差が拡大している。中学生の不登校が全国ワースト1になってしまっている。

*日和山公園南側
・4年前に津波被害にあい建物が石巻市立病院は解体され、来月にオープンする
・焼けた門脇小は、遺構として一部残すが取り壊し。石巻小と統合。
・国、県、市の3者で南浜地区復興祈念公園を作る計画を立てている。海岸線と門脇地区近くに高盛り道路を建設。道路間のすり鉢状になったところに公園を作る準備を進めている。この計画は住民の意見を聞いた訳でなく、大きな矛盾を持っている。公園検討区域に土地を持っている人は、人が住めないので市が買い上げているが、それ以外は手立てを取らない態度でいる

*日和山公園北側
・たくさんの遺体があり、火葬できずに土葬した。粗末な箱に入れられ、番号で振り分けられていた。
・友人(菊池さんの)は、個人医院をやっていた。震災から3日後になんとかその場所にたどり着くと、2階建医院1階には、車が3台余り突き刺さっていたが、本人と奥さんは無事であった。震災当日の晩、一晩中、車がぶつかる音を聞いていて、死ぬ思いだったとのこと。その後、医療人として、被災された人たちの治療などにあたっていた。
・医院の再建も考えたようだが、市は個人病院には手を貸さなかった。
・土地が異様に値上がりした。

*女川への移動の車中から
・市は津波被害ビルの整備と津波避難タワー(国交省補助金)で整備している(現在4箇所)。1箇所2億円かかり、対応年数はわずか25年しかない。さらに、最上部にある居室部は、空いているのに市民に使わせない。
・万石浦は、入り口部分が狭く、中広い湾。よって津波は拡散し被害なかった。
・石巻は種牡蠣の生産日本一の地域。

*女川町(女川町地域医療センター…旧女川町立病院)
・テレビでもよく取り上げられる駅前周辺、まるで映画のセットのように思える。街が元気になってきていると言われるが、復興に近づいていると言えるのか。
・病院敷地内に避難してきた人、第1波では助かったが、第2波の病院裏からの津波で流された。最終的には堀切山をかけあがり、36.4mの高さがあった。
・まだ何百人もの人が、行方不明のままである。
・震災遺構も女川町交番が少し残っているだけ。相当な高さで、土地のかさ上げをしている。
・女川原発のオフサイトセンターは、いかに危険だったかを伝えるにはわかりやすかった場所だったが、撤去されてしまった。

※石巻に戻る車中(その他の場面も含めて)
・仮設住宅建設、岩手県は地元に頼み、宮城県はゼネコンに依頼した。結果、宮城県は東北仕様ではないものとなり、大変であった。
・学校の統廃合が進み、住んでいる仮設住宅によって学校までの距離がバラバラ。スクールバスで通うが、中には1時間半近く乗っている子どもがいる。
・復興住宅。高齢者の場合、風の強い日には玄関ドアが開けられないことがあるとのこと。


菊池さんが最初に言われた「今回の視察で、見えない部分を感じ取って欲しい」との言葉が、印象的でした。4年前にもこの視察に参加して、その時の記録や写真を見直すと確かに綺麗になったなとの印象は持ちました。でもまだ終わっていないし、人々の暮らしを支えるためには、行政機関や政治の役割が大きいと感じました。これからも、震災に向き合っていきたいと思います。



ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「東日本大震災」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事