事務局長通信

第2回陸前高田学校≠P日目メモ

第2回陸前高田学校≠P日目メモ

日時;2月22日(水)~24日(木)
場所;岩手県陸前高田市、宮城県石巻市、福島県飯館村等
主催:総合社会福祉研究所

※22日(水)報告2本

*チャレンジドまちかど相談室…近江さん(相談支援専門員)。
・地球が壊れると思うくらいの激しい揺れと大津波、家族の安否が4日間ほど全く掴めない中で、誰かが助けに来てくれるなどとは思えなかった。
・多くの遺体を目の当たりにした。その光景とにおいが今も残っている。
・目の前のことに追われなかなか外に目が向けれなかった。まずは、一人暮らしの方から訪ねた。
・携帯が2週間後につながるようになって相談が入るようになった。同時に外部からの支援体制の対応にも追われた。
・思ったほど相談件数が多くはなかった。だからこそ、常に埋もれているケースがあるのではないかと不安になった。
・発災→避難所生活。避難所から仮設住宅、そしてその後。時間の経過に沿って、ニーズが変化していった。
・直後のニーズで大きかったのは薬が無くなったこと。その人にとっての必要なニーズを引き出すための関係づくりの大事であった。
・自閉症の親、最初は車の中で過ごしていたが、「そんなところにいてはいけない」と声をかけてくれた人がいて、不安もあったが避難所(体育館)にいった。そこで、子どもが飛び跳ねて怒られた。怒った人は招き入れてくれた人だった。子どもは、とても浮ュなって布団から出なくなった。障害児の親は、いつでも我慢をしなければならないと思った。
・仮設に入ったが、障害に対応した造りになっておらず、結果できないことが増えた。
・地元でない支援団体から、途中で支援を渡された時に大変になったこともあった。
・権利擁護、金銭管理では様々な状況に接した。
・一部のメディアから、被災地の課題を取り上げてもらうのはいいが、現状を理解しない発言に大きなショックを受けたこともあった。
・「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくりに向けて」という障害者計画・障害福祉計画の中で、市役所と連携しながら色々と検討をしてきた。
・引き続き様々な支援の力も借りながら、新しい街づくりに向けて取り組んでいきたい。

*陸前高田市…戸羽市長
・丸6年、亡くなった人から見れば七回忌、特別な期間であった。
・国勢調査でみれば、この間4000人+αの減少人口がある。(発災前は2万3千人ほど。高齢化率は37%)
・被害が大きかったことの要因の一つ、事前の予測に沿って立ていた避難計画があったが想定以上となった。情報をどう噛み砕いていくかが必要。
・市長になったのが、震災の1ヶ月前。震災後から今までの仕事は復興。8年間の計画を立てた。進捗はと聞かれるが、なかなかに難しい。
・熊本地震への対応、東日本大震災の教訓が生かされていないと感じる。
・国とも様々に喧嘩をし議論をしてきた。法律の壁が大きいが、次につながる制度改正を提案してきたが実現されていない
・なかなか厳しい現状だが、前向きに感じる方向もある。①国による追悼施設の建設②ラクビーW杯に伴う道の駅建設等)。
・住民のモチベーションを高める。高齢者も子どもも障害者も元気にすごせること等、誰もが自分の可能性を感じられるようにすすめていきたい。
・どんな人でも人生を楽しめるように。

*夕食交流会
・地元の社会福祉施設で働く人たちが10人ほど参加、交流。


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