先日、母親のお父さんが他界した
つまりは俺にとってのジイちゃんが死んだ。
俺はジイちゃんが入院していること、暮れも迫った12月19日に知らされた
そうか、そりゃあ見舞いにでも行くかってんで翌日、母親と一緒に片田舎の病院へ向かった。
病院は改装中で、真新しいエレベーターの中の壁にパンパースのダンボールを養生テープで貼り付けてあった。
エレベーターを降りると、飯時なのか味噌汁の匂いとともに、篭った怒声なようなものを呻く老人や
白衣の看護師にスプーンで機械的にペースト状のものを口へ押し込まれている老人
そういった光景を横目に見やり、俺と母親は感染室と名づけられた部屋に入った。
-感染室?
と思ったが、言葉には出さず、口に使い捨てのマスク、頭に帽子、手にナイロン製の手袋、それにエプロンをつけて病室に入った。
ジイちゃん以外にもお二方ほどご老人がベッドに横たわっていました。
一人はなにかワケの分からない言葉をずっと叫んでいて。もう一人の方は眠っていた。
そして俺のジイちゃんは手足をベッドに縛り付けられて、苦しそうに呻いていた。
呼吸用のマスクを付けられて、点滴から垂れたチューブを腕に繋げられていた。
母親が言うには、縛られているのは手の力が強くてチューブや呼吸器を取ってしまうから、らしい。
体は痩せ細っているが、手の力はまだ強く、手を握ると強く握り返してくる。
肺炎で苦しいらしく、言葉にならない低いうめき声を断続的に繰り返していた。
母親が「今日は、む・す・こ・の・い・し がきたよ」と有り得ない大声をジイちゃんの耳元で発していた。
うーあー
全く、意思を持っているとは思えないうめき声、隣の老人の叫び声、母親の大声も遠く聞こえる。
そういえばジイちゃんはいつも優しかったな。
戦争に行って、帰ってきて梱包業の仕事で一財を築いて
いつも腹巻の中に帯封いれて飲み歩いていた。
株に競馬、競輪、競艇、パチンコ、おいっちょかぶ・・・・・・まあ、ギャンブルというギャンブルを全てやって
よく分からない壷やら刀やら甲冑なんかが床の間に飾ってあった。
結局、死んだときには全ての財産を使い果たして
なんにも持たずに死んでしまったらしい。
『豪放磊落』
戒名はこれしかねーだろと思うが、白竜なんとかいう中2病全開みたいな戒名をつけられて
俺が見舞いに行って3日後に大往生をとげた。
ほんの4年前にばあちゃんが死んだときに買った礼服がキツくなっていた。
それに無理矢理、腕を通して通夜に行くと3日前にあったときとは違い
手足を縛り上げられていない替わりに木棺に入れられたジイちゃんの姿がそこにはあった。
口を開けた姿でまるで蝋人形にでもなったかのように同じ顔のままのジイちゃん
その白装束の袂にチラっと馬券が見えた
中山10R 有馬記念の三連単 12→2→5 ジイちゃんの誕生日馬券だ。
ちなみに頭の12はオウケンブルースリ 俺が真っ先に馬柱から消した馬で
つい先日1月19日に引退した馬だった。
淀のターフに『燃えよ!ドラゴン』のテーマソングが流れ
お前いつ乗ったっけ?という印象の無い浜中が鞍上に跨り
ウオッカに4cm差で2着に負けたVTRが流されたブルースリは
「勝った菊花賞流せよ!糞広報!!!」と、ちょっと怒ったようにチャカついて馬場に入ってきた。
長年、担当した塩津さんのリードから放たれると
4コーナー奥のポケットまで、ホッホッホヮッチャ!とリズムを刻んで並足で行って
山本直也キャスターの「いま、最後の全力疾走です!」の声とともにスタンド前をギャロップで駆け抜けていった。
家族葬だったため、通夜が終わると三々五々
長男家族と次男が蝋燭の番をしてくれることになっていて
長男家族の長男さんから、石も一緒に飲もうと誘われたが
歳の離れた末っ子の母親は早々と「帰る」と言った為、末っ子わがまま家族らしく石たちは帰路についた。
翌日、告別式を終えると葬儀屋が手配したバスに乗り込み斎場に向かった。
最後の焼香を終えて、30分、「ウルトラ上手に焼けました~♪」と声がしたので
納骨堂に入るとバーナーで焼かれて骨だけになったジイちゃんがいた。
理科の時間みたいに詳しく「はいそれじゃあね。これが大腿骨、腰骨、喉仏で・・・・・・」と説明しはじめる職員の方の声
そんなにウエットな感じにはならなかった。
はいはいという感じで骨壷にジイちゃんを納めていく。
4年前にも同じことをしているだけあって、みんな手際が良い。
おぎゃあと泣いて産まれて、笑って怒って泣いて学生時代を終えて
就職して結婚して自分も子供をつくって、育てている内に老け込んで
孫ができたと思ったら足腰弱って、しまいにボケて、気がついたら焼かれて骨になって墓に入る
ただそれだけ
人生なんて多寡が知れている。
老人は若者に「勉強しろ、良い大学行け、良い企業に就職しろ、良い嫁さん、良い婿もらえ」というが
たいがいそういった言葉は若者には届かない
そしてその若者が老人になり、若者に「勉強しろ、良い大学行け、良い企業に就職しろ、良い嫁さん、良い婿もらえ」というが・・・・・・
人生は常に後ろ向きだ。
振り返って、後悔してはじめて気がつく
気がついてはじめて失っていることに気がつく
俺は何を失ったのか、そうだな。
一人の偉大な祖父を失くした。
ジイちゃんの手を握って俺は病室に飛び交う怒声や、呻き声に負けない声で
「ありがとう」と言った。
嘘みたいに怒声も呻き声も消えてしまった病室にもう大声は必要はなかった。
「ありがとう」同じ言葉を呟いた。
奇しくもジイちゃんが意識があるとき、俺と同じ言葉を叫んでいたみたいだ
「ありがとうございました。ありがとうございました」
そう言ってジイちゃんは死んでいった。
ジイちゃんは93歳目前、誕生日前に地元の病院で息を引き取った。
今更、思い残すことも無かった・・・・・・だろ?
そういえばジイちゃんが俺に説教したことなかったな
「勉強しろ、良い大学行け、良い企業に就職しろ、良い嫁さん、良い婿もらえ」
そんな言葉、聞いたこともねーや
なんか伝えたいことあったのかな?
さてさて俺はなんて言って死んでやるかな。
つまりは俺にとってのジイちゃんが死んだ。
俺はジイちゃんが入院していること、暮れも迫った12月19日に知らされた
そうか、そりゃあ見舞いにでも行くかってんで翌日、母親と一緒に片田舎の病院へ向かった。
病院は改装中で、真新しいエレベーターの中の壁にパンパースのダンボールを養生テープで貼り付けてあった。
エレベーターを降りると、飯時なのか味噌汁の匂いとともに、篭った怒声なようなものを呻く老人や
白衣の看護師にスプーンで機械的にペースト状のものを口へ押し込まれている老人
そういった光景を横目に見やり、俺と母親は感染室と名づけられた部屋に入った。
-感染室?
と思ったが、言葉には出さず、口に使い捨てのマスク、頭に帽子、手にナイロン製の手袋、それにエプロンをつけて病室に入った。
ジイちゃん以外にもお二方ほどご老人がベッドに横たわっていました。
一人はなにかワケの分からない言葉をずっと叫んでいて。もう一人の方は眠っていた。
そして俺のジイちゃんは手足をベッドに縛り付けられて、苦しそうに呻いていた。
呼吸用のマスクを付けられて、点滴から垂れたチューブを腕に繋げられていた。
母親が言うには、縛られているのは手の力が強くてチューブや呼吸器を取ってしまうから、らしい。
体は痩せ細っているが、手の力はまだ強く、手を握ると強く握り返してくる。
肺炎で苦しいらしく、言葉にならない低いうめき声を断続的に繰り返していた。
母親が「今日は、む・す・こ・の・い・し がきたよ」と有り得ない大声をジイちゃんの耳元で発していた。
うーあー
全く、意思を持っているとは思えないうめき声、隣の老人の叫び声、母親の大声も遠く聞こえる。
そういえばジイちゃんはいつも優しかったな。
戦争に行って、帰ってきて梱包業の仕事で一財を築いて
いつも腹巻の中に帯封いれて飲み歩いていた。
株に競馬、競輪、競艇、パチンコ、おいっちょかぶ・・・・・・まあ、ギャンブルというギャンブルを全てやって
よく分からない壷やら刀やら甲冑なんかが床の間に飾ってあった。
結局、死んだときには全ての財産を使い果たして
なんにも持たずに死んでしまったらしい。
『豪放磊落』
戒名はこれしかねーだろと思うが、白竜なんとかいう中2病全開みたいな戒名をつけられて
俺が見舞いに行って3日後に大往生をとげた。
ほんの4年前にばあちゃんが死んだときに買った礼服がキツくなっていた。
それに無理矢理、腕を通して通夜に行くと3日前にあったときとは違い
手足を縛り上げられていない替わりに木棺に入れられたジイちゃんの姿がそこにはあった。
口を開けた姿でまるで蝋人形にでもなったかのように同じ顔のままのジイちゃん
その白装束の袂にチラっと馬券が見えた
中山10R 有馬記念の三連単 12→2→5 ジイちゃんの誕生日馬券だ。
ちなみに頭の12はオウケンブルースリ 俺が真っ先に馬柱から消した馬で
つい先日1月19日に引退した馬だった。
淀のターフに『燃えよ!ドラゴン』のテーマソングが流れ
お前いつ乗ったっけ?という印象の無い浜中が鞍上に跨り
ウオッカに4cm差で2着に負けたVTRが流されたブルースリは
「勝った菊花賞流せよ!糞広報!!!」と、ちょっと怒ったようにチャカついて馬場に入ってきた。
長年、担当した塩津さんのリードから放たれると
4コーナー奥のポケットまで、ホッホッホヮッチャ!とリズムを刻んで並足で行って
山本直也キャスターの「いま、最後の全力疾走です!」の声とともにスタンド前をギャロップで駆け抜けていった。
家族葬だったため、通夜が終わると三々五々
長男家族と次男が蝋燭の番をしてくれることになっていて
長男家族の長男さんから、石も一緒に飲もうと誘われたが
歳の離れた末っ子の母親は早々と「帰る」と言った為、末っ子わがまま家族らしく石たちは帰路についた。
翌日、告別式を終えると葬儀屋が手配したバスに乗り込み斎場に向かった。
最後の焼香を終えて、30分、「ウルトラ上手に焼けました~♪」と声がしたので
納骨堂に入るとバーナーで焼かれて骨だけになったジイちゃんがいた。
理科の時間みたいに詳しく「はいそれじゃあね。これが大腿骨、腰骨、喉仏で・・・・・・」と説明しはじめる職員の方の声
そんなにウエットな感じにはならなかった。
はいはいという感じで骨壷にジイちゃんを納めていく。
4年前にも同じことをしているだけあって、みんな手際が良い。
おぎゃあと泣いて産まれて、笑って怒って泣いて学生時代を終えて
就職して結婚して自分も子供をつくって、育てている内に老け込んで
孫ができたと思ったら足腰弱って、しまいにボケて、気がついたら焼かれて骨になって墓に入る
ただそれだけ
人生なんて多寡が知れている。
老人は若者に「勉強しろ、良い大学行け、良い企業に就職しろ、良い嫁さん、良い婿もらえ」というが
たいがいそういった言葉は若者には届かない
そしてその若者が老人になり、若者に「勉強しろ、良い大学行け、良い企業に就職しろ、良い嫁さん、良い婿もらえ」というが・・・・・・
人生は常に後ろ向きだ。
振り返って、後悔してはじめて気がつく
気がついてはじめて失っていることに気がつく
俺は何を失ったのか、そうだな。
一人の偉大な祖父を失くした。
ジイちゃんの手を握って俺は病室に飛び交う怒声や、呻き声に負けない声で
「ありがとう」と言った。
嘘みたいに怒声も呻き声も消えてしまった病室にもう大声は必要はなかった。
「ありがとう」同じ言葉を呟いた。
奇しくもジイちゃんが意識があるとき、俺と同じ言葉を叫んでいたみたいだ
「ありがとうございました。ありがとうございました」
そう言ってジイちゃんは死んでいった。
ジイちゃんは93歳目前、誕生日前に地元の病院で息を引き取った。
今更、思い残すことも無かった・・・・・・だろ?
そういえばジイちゃんが俺に説教したことなかったな
「勉強しろ、良い大学行け、良い企業に就職しろ、良い嫁さん、良い婿もらえ」
そんな言葉、聞いたこともねーや
なんか伝えたいことあったのかな?
さてさて俺はなんて言って死んでやるかな。