またたく間の10日間。この『ひとこと』は10日を一区切りとして書いているため生活のリズムのひとつになっている。当然節目は1週間が一番だけど月の前半、中盤、後半と考えるとこれも大きな区切りになる。それにしてもこの10日間が早く感じてしかたがない。歳を重ねるごとに時の過ぎるのが早く感じられるというが確かなようだ。10日を3回重ねると1ヶ月になってしまう。
24-10-21
言い方が軽過ぎていやな闇バイト(正しくは強盗殺人請負)の極悪性と凶悪犯罪との報道がされているなかでどうして応募するのか疑問に思ったものだが、そもそもそのような報道には触れていないのではと気付いた。新聞もテレビもネットのニュースも見なければそれらの情報も入らない。請負の恐ろしさを知るのは応募してからのようだ。狭い選択の中に生きている怖さ。
24-10-22
先日目覚めのコーヒーのあとには始動のココアを飲みたくなると書いたが夕食の味噌汁のあとにはお茶がほしくなる。少し前までは冷たいものを飲んでたが今は温かい玄米茶を飲んでいる。どうしてかはわからないが朝に玄米茶を飲みたくならないし夜にココアをほしがりもしない。もしかしたら朝食はパンで夕食はご飯のせいもあるのだろうか。とにかくおもしろいものだ。
24-10-23
世代によって使う言葉の違いがあるのは自然なことで否定の意味でしか使っていなかった『全然』が肯定の意味での使用が増えたりもした。しかし、未だに肯定では使っていない。そして近年随分多く使われるようになったのが『じゃないですか』で、相手に意見や同意を求めるというより相手もそうだと思っているかのような使い方。こちらも使うことのできない言葉のひとつ。
24-10-24
60代と70代の区別がわかりづらい。市役所地下の広い食堂で昼食の幕の内弁当を食べながら遠くに通る人を見ていてふとそう思った。年寄りの仲間入りをするときなのでまだ開きがあるようなのだ。50代と80代だとなんとなくわかる気がする。あくまでも推察なので正しくないのかもしれない。60代と70代は個人差が大きくなって平均的な姿が思い浮かばないせいか。
24-10-25
大学時代からの友人の陶芸展を観に恵庭へ。会場のカフェは来店者で一杯で陶芸展目的の人も大勢いたためしばらくカウンターで待つほどだった。とにかく大盛況な様子が嬉しい。人の流れが少し落ち着いてから一緒に食事をして話をして作品を鑑賞させてもらった。おかげで今年も楽しい時間を過せて充実した気分になり、来年の再会を願いつつ帰りの列車に乗った。
24-10-26
夕方4時頃に中学校の投票所へ行くと投票している人は誰もいなくて投票を終えるまで誰にも会わなかった。これまでより少し遅めの時間帯とはいえひとりだったのは初めての体験。そして外に出ても出口調査をする報道関係の係員もいない。いつも何も応えていないのに何だか盛り上がりに欠けるようで寂しい気持ちに。あくまでも時間帯のせいだろうがこの結果が気になる。
24-10-27
新聞に小選挙区全議席の都道府県別の当選政党が記された図があった。これには非常に興味深い傾向が出ていた。北海道と東北は立憲が強く、北関東は自民が強く、関東はほぼ拮抗、中部と北陸も半々、関西は特に大阪は維新ばかりで兵庫は自民が圧倒、中国はほとんど自民、四国も九州も自民が多く、沖縄は共産と社民と自民ふたり。これだけでも地域の違いが明らか。
24-10-28
続き。そこには近代の歴史風土の影響がよく出てる。そして、全勝の政党が新潟の立憲5人、富山の自民3人、群馬の自民5人、大阪の維新19人、鳥取の自民2人、山口の自民3人、徳島の自民2人、高知の自民2人、熊本の自民4人となっている。以外だったのは新潟。それにしても大阪は北海道人には信じがたい。いくらなんでもかたより過ぎ。しかし、大阪人はそれを選択した。
24-10-29
続き。ときどき「選挙に行ったってどうせ変わらないから行かない」といかにもわかったかのように語る人がいる。それではどんな方法で国のあり方を変えるのかは聞こえてこない。行かなければ現状維持を願っているのと同じ。そんな人には今回の結果をしっかり見ておいてほしい。悪いことをすれば落とされるのだと議員にわからせるだけでも大きな変化につながっていく。
24-10-30
大谷翔平のすごさは様々な言葉で形容されているがそのすべてを足しても言い足りないほどの偉大さがある。上を目指すために移籍した1年目に頂点に立ってしまうのだから何と表現したらいいのだろう。個人種目なら努力しだいで達成できたとしても団体競技は運も必要だ。その運が神がかり的としかいいようがない形で舞い降りた。大谷には運を引き寄せる力もある。
24-10-31