仕事の話だが、担当タイトルのリニューアルがひとまず完了した。
全く数字が出ていない状況なのだけど、ひとまず完了した。
そのせいか、最近ちょっと燃え尽き症候群気味なのか、いまいちピリッと来ていない。
さらに、今の会社に入って、そこそこの仕事をもらえるようにしてくれた上長が退職するようだ。
数年前まではフラフラしていて、経験もろくになかった僕を少なくとも前向きな社会人として成長させてくれた方なので、正直かなりショックだ。
とはいえ、辞めてほしくないといっても、辞めてしまうときは辞めてしまうものなのだ。
この辺はきりかえないといけない。
だが、この切り替えというやつが僕は結構苦手だったりする。
今後どうなってしまうのかという不安感と焦燥感が結構自分の体を重くしてしまっているという実感がここ数日はあった。
また、それに限らず不毛なことを目の当たりにするだけでも数時間、もしくは数日気分が落ち込む。
その不毛感をもたらせた当事者に対して、非常にどす黒い感情が湧き出してくる感じになる。
今日もネット上の出来事とはいえ、大変不毛なことがあった。
本人には本人なりの思うところがあり、いきがっているつもりなんだろうけども、僕にとってはそれはみっともない虚勢でしかなく、碌な結末しか想像できない。
取り巻きやら周りの煽り立てる者も増長し、もう見ていられない。
正直あの当事者全員死ねばいいとも思ったりもする。
この死ねばいいと思う感情が実に不毛で、何が不毛かって、僕みたいなのが死ねと思った程度じゃあいつらは絶対死なないからなわけで。
奴らは次の消費物といちゃもんを見つけ出そうとまたそこら辺を徘徊するわけだ。
こんな人種が野放しになっている現状にも反吐が出るし、それをどうすることも出来ない自分にも嫌気がさす。
ネット上の炎上事やみっともない小競り合いなんぞは日々起こるもので、それこそいちいち気にしていたら身が持たない。
しかし、目の当たりにしてしまうあの不毛な憎しみは今でも苦手だ。
そんな不毛なことは見る必要はまったくもってないわけで、すぐにそのタブなりブラウザなりを閉じてしまえばいい話なのだ。
しかし、それをした後に残るあの後味の悪さ。
これが非常に気持ち悪い。
当事者たちが明日ものうのうとこの世に生きているという現状がたまらなく悔しい。
しかし悔しがったところであいつらは死ぬわけでもない。
仮にこの日記を見て傷ついたとしてもだ。
どうせ3日後くらいにはケロッと忘れて、数か月後には同じようなもめ事を起こしていたりするんだろう。
見聞しなきゃよかったとつくづく後悔の念に駆られるが、これはもう仕方がないのだ。
この不毛な争いを根絶するということは、世の中から争い事が消えるというのと同じような意味で、そんなことになった日には、それはそれでおっかない。
なので、切り替えが必要なのであるが、僕にはこの切り替えが非常にうまくいかない。
別の事をしていても、あいつらの薄ら汚い面構えを妄想してしまう。
あのみっともなくて意地汚い性根を想起してしまい、その度にゲンナリする。
が、仕方ない。
これも人生なのだ。
良いも悪いも含めて生きているわけなので、仕事で上長が辞めてしまうことも、不毛な出来事も、受け入れていかないといけないわけだ。
受け入れて納得なんぞ到底できるはずもないが、今の僕にはどうすることも出来ない。
そこに力を入れるよりも僕にはやりたいことがあるのだから、明日からまたそのやりたいことをしっかり見てやらねば。
切り替えが、大事なのだ。
全く数字が出ていない状況なのだけど、ひとまず完了した。
そのせいか、最近ちょっと燃え尽き症候群気味なのか、いまいちピリッと来ていない。
さらに、今の会社に入って、そこそこの仕事をもらえるようにしてくれた上長が退職するようだ。
数年前まではフラフラしていて、経験もろくになかった僕を少なくとも前向きな社会人として成長させてくれた方なので、正直かなりショックだ。
とはいえ、辞めてほしくないといっても、辞めてしまうときは辞めてしまうものなのだ。
この辺はきりかえないといけない。
だが、この切り替えというやつが僕は結構苦手だったりする。
今後どうなってしまうのかという不安感と焦燥感が結構自分の体を重くしてしまっているという実感がここ数日はあった。
また、それに限らず不毛なことを目の当たりにするだけでも数時間、もしくは数日気分が落ち込む。
その不毛感をもたらせた当事者に対して、非常にどす黒い感情が湧き出してくる感じになる。
今日もネット上の出来事とはいえ、大変不毛なことがあった。
本人には本人なりの思うところがあり、いきがっているつもりなんだろうけども、僕にとってはそれはみっともない虚勢でしかなく、碌な結末しか想像できない。
取り巻きやら周りの煽り立てる者も増長し、もう見ていられない。
正直あの当事者全員死ねばいいとも思ったりもする。
この死ねばいいと思う感情が実に不毛で、何が不毛かって、僕みたいなのが死ねと思った程度じゃあいつらは絶対死なないからなわけで。
奴らは次の消費物といちゃもんを見つけ出そうとまたそこら辺を徘徊するわけだ。
こんな人種が野放しになっている現状にも反吐が出るし、それをどうすることも出来ない自分にも嫌気がさす。
ネット上の炎上事やみっともない小競り合いなんぞは日々起こるもので、それこそいちいち気にしていたら身が持たない。
しかし、目の当たりにしてしまうあの不毛な憎しみは今でも苦手だ。
そんな不毛なことは見る必要はまったくもってないわけで、すぐにそのタブなりブラウザなりを閉じてしまえばいい話なのだ。
しかし、それをした後に残るあの後味の悪さ。
これが非常に気持ち悪い。
当事者たちが明日ものうのうとこの世に生きているという現状がたまらなく悔しい。
しかし悔しがったところであいつらは死ぬわけでもない。
仮にこの日記を見て傷ついたとしてもだ。
どうせ3日後くらいにはケロッと忘れて、数か月後には同じようなもめ事を起こしていたりするんだろう。
見聞しなきゃよかったとつくづく後悔の念に駆られるが、これはもう仕方がないのだ。
この不毛な争いを根絶するということは、世の中から争い事が消えるというのと同じような意味で、そんなことになった日には、それはそれでおっかない。
なので、切り替えが必要なのであるが、僕にはこの切り替えが非常にうまくいかない。
別の事をしていても、あいつらの薄ら汚い面構えを妄想してしまう。
あのみっともなくて意地汚い性根を想起してしまい、その度にゲンナリする。
が、仕方ない。
これも人生なのだ。
良いも悪いも含めて生きているわけなので、仕事で上長が辞めてしまうことも、不毛な出来事も、受け入れていかないといけないわけだ。
受け入れて納得なんぞ到底できるはずもないが、今の僕にはどうすることも出来ない。
そこに力を入れるよりも僕にはやりたいことがあるのだから、明日からまたそのやりたいことをしっかり見てやらねば。
切り替えが、大事なのだ。