涙目筑前速報+

詰まるところは明日を知る。なだらかな日々につまずいて
向かうところはありもせず、未来の居場所だって未定―秋田ひろむ

未来になれなかった全ての俺に

2020-12-31 18:14:25 | チラシの裏
2020年もいよいよあと数時間だ。
今年もガキの使いを観ながら、紅白やRizinも観てゆったりと過ごすつもりだ。

2020年は俺の中では一生忘れられない1年になった。
外側を観ればコロナ禍という流行り病だ。
1年を通してマスクをしている時代が来るなんて、思いもしなかった。
今日の東京の感染者なんて、いよいよ1,000人を超える始末。
まったくとんでもない病が流行ったもので、社会の経済活動や生活も滅茶苦茶だ。

本来こんな困った時のための行政のはずなのだけど、俺が思ったような施策は全く打ってくれなかった。
他の人も同じように感じたのかどうかは知らないが、与党の支持率は下がる一方だった。

ソレだけではなく、いきなり腹痛になって辞めだす下痢野郎も出てきたな。
何かほとぼり冷めたらいきなりピンピンしだしてこれまたイラっとしたけども。
後任のスダレハゲ野郎も何かやるわけでもなく、自身に反対する連中は容赦なく切っていく小物というイメージしかない。
結局コイツ等に来年も任せて良いのか、それとも別のヤツが良いと選ぶのか。
おそらく近いうちに選択の時が来るんだろう。よく考えなくちゃなと改めて思う。

また、SNSの発達も手伝い、我々下々の中でも価値観や性別上の分断が進み、中々集団では生き辛くなってきた。
中でも多様性というモノは清濁併せ持った面があるなと感じることが多い。
多様性を認めることは、自分と違った価値観を理解することでもあるが、必ずしも共感・納得しろという話ではない。
そういう存在がいることは理解するが、その価値観をに迎合するわけではない。

ではどうしても共感できない価値観がある場合はどうなるか。
その価値観を持つコミュニティとは一切の関わりを断つことだ。
この価値観の人間はこの集団、あの価値観はあの組織というような形だ。
ゾーニングという言葉に置き換えても良いだろう。

この考え方を突き詰めていくと、コミュニティの細分化が進み、終いには蛸壷化すると俺は思っている。
多様な価値観を認めるあまり、相容れない考えの人間や集団との関りを徹底的に避ければ元からあった集団は分断される。
結果、細分化された狭いコミュニティに閉じ込められ、その価値観の中で傷を舐め合うような未来が来るんじゃないかと思っている。
そういった狭い集団の中ではエコーチェンバー現象も起こしやすく、元来希求していた多様性を我々自身が否定することも有り得る。

ソレが良いのかどうかは俺にはまだ分からない。
個人的には大勢で群れるのは得意ではないので、少数で蛸壷化してくれている方が楽ではある。
利害関係も無しに嫌いな奴を助けたいなんて思えないってのが正直な所だ。

だが、それでも自分と違った価値観を認識することは非常に大事だ。
自分の殻に閉じこもってて成長はあり得ない。
それに、これは自身の経験則でしかないが、大事な事は何時だって自分に都合が悪い事ばかりだ。
自身にとって非常に面倒で耳が痛い言い分がとても大事な事だっていうのは、俺の中では良くある話だ。

また助ける助けないの話になった時、助けなければ助けないで、どこかで俺が困った時には絶対助けてもらえないんだろうなと、何ともうすら寒い事を考えたりもする。
これも経験則でしかないが、誰かを助けたところで助けてもらえる保証はない。
寧ろ「前回助けれくれたんだからまた助けるのが当たり前」と、甘えられて俺の労力が増すだけの事の方が多い。
だが、世の中大抵ギブアンドテイクで成り立っているのもまた事実。
そもそも助けなかった相手が俺の時に限っては助けてくれるなんて都合のいい話、あるはずもない。

助ける・助けないの話が軽い問題であればまだ良い。
ソイツが災害・疫病レベルの事となると死活問題になってくる。
何せマスク1つでここまでピリピリするご時世だ。
分断を進めて良いのかと考える自分と、嫌いな奴なんか助けたかねぇやと感情的になる自分がいるのだ。

多分この葛藤はこれから先も続くんだろう。
簡単に正解が出せるものではなく、人間が感情の生き物である以上は社会の在り方として向き合い続ける部分だろうなと感じる。
コロナ禍という状況は、そういう問題がいつも以上に顕在化した1年でもあった。

一方で内側を観れば、自分の生活には大きな転機があった。
正確に言えば俺だけじゃなくて俺の家族での話なんだけど。

まだ確定しているわけではないので、その事実が明らかになるまではこういう場所では口にしたくない。
人生はナニが起こるかわかったもんじゃない。

もし明日事故にあったら もし明日会社が潰れたら
もし明日愛する人が死んだら もし明日疫病が流行ったら もし明日災害が起こったら
そんな「まさか」が 何度もあったこの数年を見てきた

―amazarashi「曇天」より一部引用


俺の敬愛するamazarashiの歌詞にもあるように、ここ数年「そんなまさか」が何度も起こってきた。
それは俺の生活も例外ではない。

その「まさか」を回避するためには俺に出来ることはあまり多くはない。
だからこそだ。出来ることがそう多くはない故に、その転機の事を意識しすぎてプレッシャーにしたくはないのだ。
非常にもどかしいが、いつもと変わらぬ普段通りの生活を送り、その日が来るまで出来る準備を粛々と進めていくだけだ。

その転機を意識しすぎないためにも、物事がちゃんと確定してから言葉にしたい。
毛ほども考えたくはないが、万が一が起こって転機がふいになってしまった時の落差を考えると、おいそれと事前に気軽に言葉にはできる事ではないし、したくはないからだ。
だから事の内容は高校から俺を知る気の置けない友人だけに留めている。

まあそれ位大きなことが起こったのだ。今年は。
コロナ禍による社会不安の増大、それに反するかのような俺の生活における大きな転機。
絶対に忘れはしない1年だ。

来年はどんな1年になるだろう。楽しみ半分、不安半分だ。いや、不安の方が大きいか。
転機が実現すれば、1日1日が今以上に忙しくなるはずだし、初めての経験のオンパレードになる。
そしてそれは俺の人生のためのモノではないない。俺の人生は俺の為だけのモノではなくなってしまった。

ここから先は冗談でも「死にてぇ」なんて一言も言えないし、現実の生活じゃ情けない姿は見せられない。
まあきっとこういう場ではガス抜きがてら暴言だったり減らず口たたくのは相変わらずなんだろうけど。
少なくとも実生活じゃ性善説ありきで動くようになるんだろう。
そうならなくちゃいけない立場に立ったという事だ。

本音はともかくとして、建て前というか家族としての俺の存在は性善説をもって生きていきたい。
性善説の善の字も微塵にも思うことがない俺が、そんな存在になれるのかどうか。
その元年となるのが来年の令和3年。2021年の課題だ。

厭世観に塗れたような生き方をしてきたのに、その未来は辛くはないのかと言ったら嘘になる。
だが、俺はこの未来を選択することにした。
今の俺が本音のところでナニを考えているかは問題じゃないんだ。
俺の根本的な厭世観は捨て去ることはできないだろう。俺はもうここから逃れることはできない。

だが、その厭世観を静めることなら可能だ。
かつ前を向いて生きていこうじゃないかということを前面的に提示できる事も出来ると思うし、そういう生き様を出せるよう努力していきたい。
生きていくことに絶望せず、今自分が選んだ選択に対して後悔はしてもしっかり向き合える存在になりたい。

一方でこの選択をするという事は、最低でも実生活上では今このブログで書いているような減らず口はもう叩けない。
現実世界で不貞腐れるような未来は選ばないことにした。

思えば色々な場面で不貞腐れたり逃げたりすることも多かった。
論理的な思考や理性的な思考を身に着けはしたが、感情に身を任せることもあった。
そういったドス黒い感情に染まり切ってしまう未来は、今でも容易に想像できる。
このブログが最も良い例だ。悪意と身勝手の塊のようなブログだからな。

だが、そういう未来を俺は選ばないことにする。
本音のところではそういう弱い自分がいることを否定はしないし捨てもしない。
だが、それに染まり切らないような心持が大事なんだ。
現実で顔を合わせる他人様の前では、人間の善の面を前面にする人生を選ぶ。

ドス黒い感情だけで動いている、そんな未来にならなかった俺はネット上の隅っこでの独り言程度だ。
願わくば、いずれネットでもそんな自分は静められるようになれたら万々歳だ。
それがおそらく平凡ではあるけど幸せな一生になるだろうからな。

弱い自分を鎮め、俺だけじゃなく家族にとっての自分というヤツをしっかり見せていくという事を来年の抱負として、この日記に書いておく。
未来になれなかった全ての俺を受け入れながら、俺はまた未来を選んでいきたい。

2021年からは今だけじゃない。俺だけじゃない。
家族としての俺を意識して、どうすれば家族が幸せに過ごせるかを考えて日々過ごしたい。

2020年。絶対に忘れない年。
俺の人生でとても大きな年。
ありがとう。良いお年を。

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