そのままでは読めない古文書を理解するには、『解読』という行為が必要です。
でも、古文の『解読』と一言で言っても、
実は解読には二種類あるのをご存知でしょうか。
ひとつは『文字の形を読み解く解読』(文字解読・文字判別)で、
もうひとつは『文章の意味を読み解く解読』(文章解読・文章解釈)です。
今では一般的にこの二つは混同され、
文字解読ができるなら文章解読もできるだろうと思われているようですが、
そういうものではありません。
この二つは、まったくの別物なのです。
たとえば、ある古い文字を解読したら、
その文字は『卑弥呼』と書かれていたとわかったとしましょう。
また、別のある古い文字を解読したら、
その文字は『邪馬台国』と書かれていたとわかったとしましょう。
読めない文字を読めるようにする、ここまでは文字解読者の範囲です。
文字判別をやっている人は多いですから、
その文字がその文字であることは後に追認され、
ほぼ確かになることでしょう。
でも、『文字の形を読み解く解読』と、
『文章の意味を読み解く解読』とは別物です。
文字の元の姿を解読できたからといって、
その読み方や意味を解読することはできません。
なぜなら、意味や読みの解読というのは、
文章解読・文章解釈者の範囲だからです。
現在、『卑弥呼』は『ヒミコ』、
『邪馬台国』は『ヤマタイコク』と
読まれることになっているようですが、
その文字をそう読む『根拠』はどこにあるのでしょうか?
文章解読者なら、文章解読の技術を持っているものならば、
『根拠』を提示するはずです。
すこしでも文章解読ができるのであれば、
実際の文字をなんと読むのかはわからなくとも、
『卑弥呼』を『ヒミコ』と読まないことや、
『邪馬台国』を『ヤマタイコク』とも読めないことだけはわかるはずです。
なぜなら、たとえば『卑弥呼』なら、
いわゆる魏志倭人伝には、卑弥呼の字を使った別の単語が散見されます。
その単語は、『卑弥呼』を『ヒミコ』と読んでいては意味が通らないからです。
『卑弥呼』を『ヒミコ』と読む人、
『邪馬台国』を『ヤマタイコク』と読む人は、
古文解釈の技術がなく、資料の読み込みと検討が足りていません。
古文の解読技術があれば、別の角度から、
『卑弥呼』や『邪馬台国』に迫れます。
魏志倭人伝を呼んで卑弥呼と邪馬台国を考える人は、
見る限り、日本側の記録は基本的に無視をしているようです。
でも、神社や神様に関係する神道の文書には、
いわゆる卑弥呼は後に名を変え、
現在まで続く神になったことが記されているのです。
もちろんそれは、アマテラスなどではありません。
今、『卑弥呼』や『邪馬台国』の読みがわからない、
『邪馬台国』がどこにあったかはっきりしないというのは、
古文解釈の技術のない人が、古文を読もうとしているせいです。
文章解読をするには、専門的な文章解読法というものが必要です。
古文の文字を解読できたからといって、
その人が古文の文章の意味も解読できるなどということはありません。
文字解読と文章解読とはそれほどに異なり、
文章解読技術を持っているというのは、
それほどまでに文章の読み方を変えるのです。
ついでに述べておくのなら、解釈技術があると
『つしま』の見方もまったく変わります。
『つしま』を考えずに、単純に
漢字の『対』はどう読むか、
漢字の『馬』はどう読むか
と訊ねた場合、多少知識のある日本人なら、
漢字の読みはわかるでしょう。
では、二つをあわせて『対馬』と書くと、
なぜ単独の文字ではあり得ない読みが発生して、
ありえない意味が生まれるのかわかるでしょうか。
『対馬』は歴史上『ツシマ』と読むからそう読むのであって、
それが常識でそれ以上の意味はない
――と考えるのなら、それは誤りです。
そもそも日本には、一般的な日本語でそう読める
『津島』表記がありました。
旧日本は、その表記を捨て、『ツシマ』の漢字に
わざわざ普通では使えない『対馬』という字を使うことを決めたのです。
なぜ、『ツシマ』を『対馬』と書くことにしたのか。
対馬の漢字と由来を明らかにするには、
この部分を資料や他の地名、他の現実から解釈する必要があります。
『ツシマ』が現在『津島』でなく『対馬』となっていることの裏には、
神道にも関わるとても重要な意味が隠されているのです。
そういったことごとは、『文字解読』ではなく、
『文章解読』の技術があれば理解することができます。
でも、現在では、文字系の解読はとても人気があって
文字の見分け方の本や解説もたくさん出ている一方で、
文章系の解読は人気がなく、
本や解説はまったくない、あるいはほとんどない状況です。
そして、多くの人が文章系の解読を知りません。
せっかくですので、神道関係古文を読むわたしが使う、
文章の解釈法の基礎をまとめてアップしてみました。
古文や古い時代のできごとに興味があるかたは、
サンプルページだけでもぜひ見てみてください。
専門的な知識がなくてもわかるように書いてみたつもりです。
●古文書解読の基礎の基礎
また、そこまで古文や文章に興味はないけれど、
・「過去のあの事件がなぜ起こったのか、
どういうことがきっかけでどういう流れをたどってその結果に至ったか。
調べて自分で考えて、それを踏まえて小説を書きたい」
・「邪馬台国はどこにあったか、自分でも考えて答えを出してみたい」
・「どこそこの古墳は誰が埋葬されているのか考えてみたい」
・「浦島太郎のおとぎばなしの主題はなにか知りたい」
という人が『自分説』というものを作るための方法も載せておきました。
興味があるかたは、サンプルだけでもどうぞ。
プレビューも本編も、PCのブラウザからも見られます。
邪馬台国関連の解読・解釈は
ぼちぼちとまとめてアップしていますので、よろしければどうぞ。
外国文献ではなく、日本の文献などを中心に解説しています。
●古代神道が語る邪馬台国 第01巻
でも、古文の『解読』と一言で言っても、
実は解読には二種類あるのをご存知でしょうか。
ひとつは『文字の形を読み解く解読』(文字解読・文字判別)で、
もうひとつは『文章の意味を読み解く解読』(文章解読・文章解釈)です。
今では一般的にこの二つは混同され、
文字解読ができるなら文章解読もできるだろうと思われているようですが、
そういうものではありません。
この二つは、まったくの別物なのです。
たとえば、ある古い文字を解読したら、
その文字は『卑弥呼』と書かれていたとわかったとしましょう。
また、別のある古い文字を解読したら、
その文字は『邪馬台国』と書かれていたとわかったとしましょう。
読めない文字を読めるようにする、ここまでは文字解読者の範囲です。
文字判別をやっている人は多いですから、
その文字がその文字であることは後に追認され、
ほぼ確かになることでしょう。
でも、『文字の形を読み解く解読』と、
『文章の意味を読み解く解読』とは別物です。
文字の元の姿を解読できたからといって、
その読み方や意味を解読することはできません。
なぜなら、意味や読みの解読というのは、
文章解読・文章解釈者の範囲だからです。
現在、『卑弥呼』は『ヒミコ』、
『邪馬台国』は『ヤマタイコク』と
読まれることになっているようですが、
その文字をそう読む『根拠』はどこにあるのでしょうか?
文章解読者なら、文章解読の技術を持っているものならば、
『根拠』を提示するはずです。
すこしでも文章解読ができるのであれば、
実際の文字をなんと読むのかはわからなくとも、
『卑弥呼』を『ヒミコ』と読まないことや、
『邪馬台国』を『ヤマタイコク』とも読めないことだけはわかるはずです。
なぜなら、たとえば『卑弥呼』なら、
いわゆる魏志倭人伝には、卑弥呼の字を使った別の単語が散見されます。
その単語は、『卑弥呼』を『ヒミコ』と読んでいては意味が通らないからです。
『卑弥呼』を『ヒミコ』と読む人、
『邪馬台国』を『ヤマタイコク』と読む人は、
古文解釈の技術がなく、資料の読み込みと検討が足りていません。
古文の解読技術があれば、別の角度から、
『卑弥呼』や『邪馬台国』に迫れます。
魏志倭人伝を呼んで卑弥呼と邪馬台国を考える人は、
見る限り、日本側の記録は基本的に無視をしているようです。
でも、神社や神様に関係する神道の文書には、
いわゆる卑弥呼は後に名を変え、
現在まで続く神になったことが記されているのです。
もちろんそれは、アマテラスなどではありません。
今、『卑弥呼』や『邪馬台国』の読みがわからない、
『邪馬台国』がどこにあったかはっきりしないというのは、
古文解釈の技術のない人が、古文を読もうとしているせいです。
文章解読をするには、専門的な文章解読法というものが必要です。
古文の文字を解読できたからといって、
その人が古文の文章の意味も解読できるなどということはありません。
文字解読と文章解読とはそれほどに異なり、
文章解読技術を持っているというのは、
それほどまでに文章の読み方を変えるのです。
ついでに述べておくのなら、解釈技術があると
『つしま』の見方もまったく変わります。
『つしま』を考えずに、単純に
漢字の『対』はどう読むか、
漢字の『馬』はどう読むか
と訊ねた場合、多少知識のある日本人なら、
漢字の読みはわかるでしょう。
では、二つをあわせて『対馬』と書くと、
なぜ単独の文字ではあり得ない読みが発生して、
ありえない意味が生まれるのかわかるでしょうか。
『対馬』は歴史上『ツシマ』と読むからそう読むのであって、
それが常識でそれ以上の意味はない
――と考えるのなら、それは誤りです。
そもそも日本には、一般的な日本語でそう読める
『津島』表記がありました。
旧日本は、その表記を捨て、『ツシマ』の漢字に
わざわざ普通では使えない『対馬』という字を使うことを決めたのです。
なぜ、『ツシマ』を『対馬』と書くことにしたのか。
対馬の漢字と由来を明らかにするには、
この部分を資料や他の地名、他の現実から解釈する必要があります。
『ツシマ』が現在『津島』でなく『対馬』となっていることの裏には、
神道にも関わるとても重要な意味が隠されているのです。
そういったことごとは、『文字解読』ではなく、
『文章解読』の技術があれば理解することができます。
でも、現在では、文字系の解読はとても人気があって
文字の見分け方の本や解説もたくさん出ている一方で、
文章系の解読は人気がなく、
本や解説はまったくない、あるいはほとんどない状況です。
そして、多くの人が文章系の解読を知りません。
せっかくですので、神道関係古文を読むわたしが使う、
文章の解釈法の基礎をまとめてアップしてみました。
古文や古い時代のできごとに興味があるかたは、
サンプルページだけでもぜひ見てみてください。
専門的な知識がなくてもわかるように書いてみたつもりです。
●古文書解読の基礎の基礎
また、そこまで古文や文章に興味はないけれど、
・「過去のあの事件がなぜ起こったのか、
どういうことがきっかけでどういう流れをたどってその結果に至ったか。
調べて自分で考えて、それを踏まえて小説を書きたい」
・「邪馬台国はどこにあったか、自分でも考えて答えを出してみたい」
・「どこそこの古墳は誰が埋葬されているのか考えてみたい」
・「浦島太郎のおとぎばなしの主題はなにか知りたい」
という人が『自分説』というものを作るための方法も載せておきました。
興味があるかたは、サンプルだけでもどうぞ。
プレビューも本編も、PCのブラウザからも見られます。
邪馬台国関連の解読・解釈は
ぼちぼちとまとめてアップしていますので、よろしければどうぞ。
外国文献ではなく、日本の文献などを中心に解説しています。
●古代神道が語る邪馬台国 第01巻