「大神(おおみわ)神社」です。栃木県栃木市です。
奈良県の飛鳥地方には「三輪山」(みわやま)があり、「大和三山」の一つとして有名です。
おなじく「大神神社」が日本最古の神社として祀られています。
奈良時代の平城京、つまり日本最古の都(?)にある超重要神社の一角がなぜ、こんなド田舎である栃木県にあるのか?
超、謎です。
ちなみに、こちらの「大神神社」はほぼ田んぼのど真ん中にあり、現在も近くに幹線道路が走っているものの、実に田舎であることに変わりはありません。
ゆえに、参道の景観も残されているわけです。
スギ林の向こう側にはおそらく個人のお屋敷があります。すごい敷地です。
途中、道路が横切るのは残念ですが、それでも雰囲気のある参道であることには変わりありません。
けっこう長い参道ですが、それでも創建された当時はもっと長かったはずです。
拝殿が見えてきました。
境内は広く、森に囲まれています。いや、雑木林というべきか…。
社殿もとても立派なものです。
「御朱印」ブームで、この日も御朱印を求めに来た方がいらっしゃいます。
訪れたのは3月の末日。ちょうどこの年は桜の咲くころでした。
人も少なく、ゆったりとした時が流れています。
さて、ここで有名なのが「室の八嶋」(むろのやしま)と言われる場所です。
池の中に八つの嶋があり、それぞれに小さな祠があります。
そこに様々な神様が祀られています。
これを、「室の八嶋」というらしいのですが、どういう語源があるのでしょう???
「室」とは次のような意味があります。
1 物を保存、または育成のために、外気を防ぐように作った部屋。氷室。麹室。
2 山腹などに掘って作った岩屋。石室。
3僧の住居。僧房。庵室。
4古代、土を掘り下げ、柱を立て屋根をつけた家。室屋(むろや)。
5古代、周囲を壁で塗り込めた部屋。寝室などに使用した。
(Webioより)
創建の古さを考えれば、「4」か「5」なんでしょうが…。
境内には大木も多くあります。これは特に「神木」とされるレベルです。
江戸時代は荒廃していたようですね。
しっかし、関東各地の社寺で徳川家めっちゃ絡んでくるなあ…。
「神君」と言われるわけだよ…。偉いよ、まじで。
(まあ、今回のは家光公だけど)
さて、案内図だけど、見つけました。
古いっすね。もう、かなり汚れてるじゃん…。(*´Д`)
これ、若いときに見て、脳がバグったんですよ。
「1800年前」って古墳時代とかそんなんじゃんwwww
だいたい、日本に文字が伝来したかどうかさえ怪しいのに、その頃から神社信仰があったとか…。(*´Д`)
ちなみに、境内はこんな感じ。
広いんですよ、とにかく。
他の案内板も、こう。
「延喜式」なら、もう平安時代真っただ中だから、分かるんですけど。
そんで、奈良時代には近くに国府が置かれ(とはいえけっこう離れているけど)、
その神社としてここが置かれたというのなら、ハナシは分かる。
でも、「1800年前」はさずがになあ…。
そう思って、中学の時にたまたまそこら辺にいた宮司さんに尋ねたことがあります。
そうしたら、その宮司さんが親切な方で、わざわざ社務所の中まで案内してくれて、古事記や日本書紀の内容まで説明してくれました。
だいたい、Wikiに載っている、以下のようなことでした。
なんでも崇神天皇の皇子「豊城入彦命」(筑波山にもいたな…)が
東国平定の際に、三輪山の「大神神社」を勧請したものだという…。
その崇神天皇の在位期間を考証していくと1800年前になるのだとか…。
そういえば、戦前には西暦1940年を「皇紀2600年」とか言っていたし、そのくらい昔から日本の歴史って綿々と続いているんですかね…???
でも、それは日本書紀や古事記の記述が「歴史的事実」として本当だとしたらのハナシです。
本当にそんな昔から日本の歴史があるのかどうか、少年時代の私はすごく不思議でした。
それからですね、高校時代は古代史の本にハマっていました。
もちろん真相は分からないのですが、けっこう古代って人の交流が盛んだったので
(古墳が日本各地にあったり、新潟の糸魚川の翡翠が日本各地にあったり…)
そういうこともあるのかなあと思いました。
しかし、その後、ふとしたきっかけから「奥の細道」を研究した際に、芭蕉の同行の曽良がこんなことを言っています。
「木花之佐久夜毘売」って新たなテイストが…「富士一体」の神ってそんな情報どこから…。
その神様の話はもちろん知っていましたが、「室の八嶋」の「室」は「木花咲耶姫」がその身を焼いたという「無戸室」からきている…?その煙を水煙が連想させるからこのネーミングになったという…???
本当なんですかね?そしてそれをなぜ「曽良」が知っているのかというのも謎です。
当時はこのようなことが通説になっていたんでしょうか?
ちなみに、大神神社の周辺には山は一切ありません。
関東平野の真っただ中です。それなのに、このような山岳信仰と結びつくのも謎だし、
もともとの奈良の三輪山にそういった信仰があるというのも聞いたことがありません…。
また、「室の八嶋」といえば、「煙」との連想が取沙汰されますが、現在の「室の八嶋」を模した池には水煙の「み」の字もありません。
何度も訪れていますが、ここで水煙が上がっていたことなど一度としてありません。
そもそも、滝じゃあるまいし、水煙が上がるわけでもないのです。
それとも、春か秋の早朝にでも来れば水煙が上がっている時もあるのでしょうか。
それとも、今の池は1990年に復元されたものだから、水煙が上がらないのでしょうか。
一体、何の「煙」を歌枕のイメージとして結びつけたのか、一切謎なのです。
(おわります)
【撮影日:2024/3/31】
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