ここのところ、感染者が急増しているが、今年は予定通りやっていただけた。
密を避けるために、4人ずつ、2日に渡って実施。
着物を着て、先生のお宅にお邪魔した。
まずは席入り。
正客から順に席に入った。
私は正客もお詰めもできないので、2番目に入れてもらった。
お床を拝見
初釜には結び柳も飾る
お軸は「無為貴事人」
お花は菊と梅
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お釜と真台子(しんだいす)を拝見
写真は終わってから写したので、お釜から湯気が出ている。
炉縁の左奥には、鵬雲斎大宗匠(前家元、98歳)の赤い花押(かおう)が見える。
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初釜の時は、先生が全てのお点前をやってくださる。
さざえ篭に入った炭を持ってきて、初炭のお点前を見せてくださった。
火箸で炭を炉の中に入れていく。
優雅な所作を惚れ惚れと見つめた。
写真が撮れなかったのが、残念。
お湯が沸く間、お料理をいただいた。
しんじょうのお吸い物、鯛と菜の花の先付けは先生が作ってくださった。
お吸い物の人参は鶴の形、大根は亀の甲。
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主菓子は、もちろん、花びら餅
お雑煮を摸したお菓子なので、牛蒡が入っている
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主菓子の後はお濃茶をいただいた。
お濃茶は、コロナ前までは、一つのお茶碗を3人か5人くらいで回していただいた。
今は、各服点(かくふくだて)といって、一椀に一人分を点てるようになった。
このお点前は、100年くらい前、スペイン風邪が流行った頃に、考案されたそうだ。
先生が4つのお茶碗に濃茶を点ててくださった。
後から写したお茶碗
鶴が松をくわえている
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薄茶の前のお干菓子
イチョウは裏千家のシンボル
🐯の飴がかわいい
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お干菓子の後、薄茶をいただき、お道具(棗、茶筅、仕覆、茶入)の拝見へ
一期一会の名残を惜しみ、もう一度、床の間と点前座のお道具を拝見
最後に全員で床の間の前で集合写真を撮って、終了。
お点前をしているふり。
お茶碗の中は空っぽ。
盆略点前の癖が残っている。
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別室でコーヒーとフルーツやお菓子をいただいた。
先生が亭主をしながら、食事やお菓子のお世話までしてくださった。
その上、花びら餅などのお土産をいただいた。
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私はお茶を習ったことがなかった。
外国人観光客を案内するには、多少は知っておきたいと思い、先生のお宅に通うようになった。
しばらくするとガイドの仕事が忙しくなり、2〜3ヶ月くらい行けなかったこともあった。
上達もしないし、あまり意欲のない弟子に対して、先生はいつも優しく接してくださった。
この先生でなければ、続いてなかったと思う。