ホリコは今…

見たり、聞いたり、感じたり、そんなものを何かに綴って残したい、そう思うこの頃です。

武将が崇めた瀬戸内の社 《大山祇神社》 へ

2016-04-14 16:38:24 | 日記
   2016年4月
   同期会の翌日は オプショナルツアー
    A案 しまなみ海道
    B案 ゴルフ

 さて、どうする?

 皆さんと一緒に楽しみたいけど…

 私は〔台東区観光ボランティアガイド〕
 
   ☆台東区内に3社、「三島神社」「元三島神社」があります
    神社の由来は
      「鎌倉時代に伊予国一宮大山祇神社から御分霊を勧請した神社」とあるのです
    また
    樋口一葉の名作「たけむらべ」にも出てくる‟三島さま”とは「三島神社」のこと
    境内には《楠》があり、説明板には
    「当神社の御本社伊予国大三島に鎮座する大山祇神社は楠群の原生林にあり
     境内には樹齢二千五百年の 大楠が繁り御神木であります茲に常緑樹楠を現地より移植し
     氏子各位の彌栄をお祈りいたします」
    と、書かれているのです

 なので やはり
 オプショナルツアーの A案、B案、キャンセルしかないですね 
 「三島神社」のルーツを求めて
 「大山祇神社」へ 
 ガイドの資料を求めに行くしかないでしょう…
 
 そんな私に 救いの手を差し伸べてくれたのは Y・Sさん
 高校時代 といっても 半世紀以上も前のことです…
 同じ教室で 学んだ クラスメート(?)です
  「大山祇神社? 連れて行ってあげるよ!」
  「エッ? ホント? いいの?」
 ということで、
 有り難く 嬉しく お受けしました。
 おまけに
  「今治通るでしょ? 今治城へも行きたいんだけど…」
 厚かましいお願いまで 聞き入れてくれました。

 当日は 生憎の雨
 でも良いんです ‟神の島” へ行くのですから

 Y・Sさん よろしくお願いします♪

 来島海峡大橋を渡りますが
 見晴らし抜群のはずですが
  ますます強くなる雨脚…
  視界は???…

 それでも
 伯方島を過ぎると
 もうそこは 大三島 
 武将が崇めた瀬戸内の社、「三島神社」の本家?
 「大山祇神社」に到着しました
 
 【大山祇神社】

   祭神は 山神にして海神の大山積神(おおやまづみのかみ)、水軍の護り神でもある 
   創祀は 大山積の子孫・小千命(おちのみこと)が大三島に鎮祭したという飛鳥時代に遡る。
   
   島を支配下においた水軍で名高い河野氏の氏神であり、また、源氏、北条氏、足利氏など、
   武将の尊崇を集めた。
   「日本総鎮守」ともよばれ、全国に11,000余の分社がある。

   また
   「国宝の島」の名があるように、宝物館には、膨大な武具甲冑が収蔵されている。 
 
   境内には 楠(くすのき)の巨木が多い。
   特に、神門前のにそびえる大楠は
   「小千命(おちのみこと)御手植の楠」と言われ、樹齢2,600年を数える神社一の巨樹である。 

                     学習研究社刊  週刊 神社紀行 大山祇神社 より

 
 春雨けぶる 静けさの中 
 清浄感みなぎる境内
 どっしりと鎮座し 歴史を語る大楠

 時代を遡ったかのような空気に包まれる

 それとも「大山積神」の神威に包まれたのでしょうか

 故郷のふところにいるような
 安堵感 心の安らぎ 心のよりどころ ‥‥
 
 何だか ジ~ン ときました。

 「台東区観光ボランティアガイド」の資料を求めに来たのに…です


追記:Y・Sさんへ
   大雨の中、車を運転し、しまなみ海道〔大三島〕へ、《大山祇神社》へ、そして《今治城》まで
   連れて行っていただき、付き合っていただき、ありがとうございました。
   また、車中での会話で、ウルグアイのムヒカ元大統領の話もありがとうございました。
   「貧乏な人は少ししか物を持たない人ではなく、いくらあっても満足しない人だ」
   要するに、「足るを知る」だよ!
   何だか、頭を打たれた気がしました。肝に銘じます…


 

 

「ことり」で鍋焼きうどん♪

2016-04-12 00:15:56 | 日記
   松山へ 帰ったら
   必ず 行く処 そこは「ことり」
   必ず 食べるもの それは《鍋焼きうどん》

 子供の頃
 そう言っても 今から60数年前(!)
 外食など あまりすることがなかった時代です。

   「ことり」で食べた《鍋焼きうどん》
      アルミの鍋
       薄味スープのうどん
      細切りの牛肉や油揚げの甘辛煮
      薄切りのかまぼこ
      小口切りの緑のネギ
         
    そして もう一品
    これまた甘めの《稲荷ずし》

       何て♪美味しいんだろう♪

    あの味が あの感動が 頭の中から消えないのです。


 だから
 同期会出席で帰省の今回も
 まずは 第一歩は 「ことり」です。
   店内は 当時とほとんど同じ
   メニューは 《鍋焼きうどん》と《稲荷ずし》
   開店時間帯は 10:00~14:00
 危ない 危ない やっと間に合いました。
 勿論 鍋焼きうどんと稲荷ずしを注文!
 ところが
 「稲荷は1コしかありませんが…」
 「1コで良いです お願いします」

 相席の老婦人(私も同じ…)も稲荷を注文
 「稲荷はおわりました」
 「それは 残念…」

 残りの1コ、相席の方に譲りたいけど
 「ゴメンナサイ」
 「良いですよ、私はいつも来てるから」
 「いつも」の言葉にホッ~

 さて! いただきます♪
   熱々の《鍋焼きうどん》
   蓋をとると~
   かつての いつもの あのうどん
   中身も ほとんど昔と同じ
   懐かしさがこみ上げ…ジ~ン


《鍋焼きうどん》と《稲荷ずし》
 ありがとうございました。
 美味しかったです♪
 ごちそうさまでした。

  
 



     
    
  

‟三津浜”再発見!新発見!

2016-04-11 16:22:45 | 日記
    三津浜に来たなら
     ゆっくりとまちを歩きたい
      なつかしい風景と人情に出会えるから

       商人、職人、漁師という町の衆がつくりあげてきた港町
       三津浜
       まだ夜も明けきらぬころから
       ひっきりなしに漁船が行き交い
       朝市にたくさんの魚介類を水揚げする。
       やがて夜が明け
       港には数多くの貨客船が入り
       下船する人
       乗船する人
       船乗りたちが街を行き交い
       辻々の商店には山積された荷物
       食堂やカフェーの喧騒
       映画館、銭湯のにぎわい‥‥

       伊予の名物とまで評された三津の朝市
       かつては松山の海の玄関口として
       隆盛を極めたまち
       そんな港町らしいにぎわいの
       名残を垣間見ながら
       まちのそこかしこに残る商家や蔵を見ながら
       路地を歩いていると
       いつの間にか
       昔なつかしいあの頃に
       戻っているかもしれません

                 三津の朝市復興推進協議会
                 「三津浜 ちんたら MAP」より

   何年前になるだろう~
   小学校1年生から高校3年生までの12年間
   三津浜に住んでいました。
   駅からそれほど遠くない新興住宅街でした。
   子どもだったからかもしれません…
   朝市も、古民家も、あまり記憶がありません。
   ただ
   賑やかだった住吉通りの商店街だけは よく覚えています。
    本屋はK君、薬局はN君 毛糸屋はY君 魚屋はU君 呉服屋はAさん、
    そして貴金属店はK君、‥‥
    左へ曲がると、Hさん、Nさん、Oさん、よく遊びました~

    ただ、今、すべて、閉店されてます…
   

 でも
 その 三津浜が
 あの 三津浜が
 NHKのブラタモリでクローズアップされたのです!
 港町、古民家、見直されてます。

    鯛飯 食べに行こうよ!
    三津浜 歩いてみようよ!

 というわけで
 ‟三津浜散策”となりました。

 古民家「鈴木家」は高校時代の国語の先生宅
  ボランティアガイドさんの案内でおじゃまする。
  和洋折衷の建物 陶製の欄間 など 凝りに凝った建物にビックリ!
  多くの蔵書が無造作に積まれる書斎には
  「山岳講」「霧の山稜」などが机上に並ぶ
  そういえば 鈴木先生は山岳部の顧問だったね~
  歴史ある有形文化財の古民家が
  グ~ンと身近になりました。

 続いて次も有形文化財の「森家」
 「鯛や」を営むご主人は同級生の従兄さん
  一日30食限定の鯛飯を美味しくいただき
  天保四年築の石庭にあるのは連理木(れんりもく)にウ~ン
  2階には
  萬問屋、精米・精麦業を営んでいた商店の歴史館
  資料や古地図などが所狭しと展示される中
  さすが ここは 子規のふるさと
  俳句を詠み合う座敷まである。
  
 続いて
  寛永年間に掘られた「辻井戸」
  城下町松山の外港として発展した街並み
  漆喰の格子窓や海鼠壁の土蔵
  昭和初期の銀行通り
  ‥‥‥
 
 あちらこちらと 見て歩きました。
 三津浜再発見がいろいろ
 新発見もいろいろ
 
 ‟三津浜っておもしろい!!!”
 
 でも やはり 疲れました~ 
 友人宅でコーヒータイム  
 喋って 笑って 今日はおしまい。

    そういえば
    渡し舟に 乗らかなかった~
    残念…
    また今度ということですかね?

    計画してくれた Eさん Kくん
    付き合ってくれた 皆さん
  
    三津浜 
    素敵な‟ふるさと”嬉しかったです。
    でも やっぱり
    友だちは 一番 有り難いです。
 
    皆さん~ありがとうございました。 


 
 


   

   


 

 




 
 
 

俳句は生きてました~子規の故郷ですから~

2016-04-10 09:35:50 | 日記
 ここは
松山市一番町

 ホテルから
 コーヒー片手に ぼんやりと 外を見てました…
 アレッ?
 通り過ぎる 市内電車に
 いろんなことが 書いてある!
 これって 
 俳句? 違うなあ~
 川柳? それでもないなあ~
 「俳句甲子園」と書いてあるけど…

 でも
 何だか 気になりました
 胸が 熱くなりました
 だから思わず 書き留めました
   
 ・「連絡してあげてや まちよるぞね」
 ・「なあ婆さん 昔みたいに手つないでみるかな」
 ・「遠回りでも ぼくの道」
 ・「ばあちゃん うちおいでや」
 ・「お母さんが弟をギュッ! 今度はぼくかな ドキッ ドキッ」


 そう言えば
 ここは松山 正岡子規の故郷
 亡き 友人を偲んでの
 二人の友人のメールのやりとりも
 交換俳句? 
 K・Hさん T・Tさん 
 ゴメンナサイ
  見せていただきました。 
  メモさせていただきました。
  公開して 良いですか? 

 ・「うぐいすや 経よみたのむ 友のそば」
 ・「うぐいすに 墓もりたくし 帰京する」
 ・「花冷えに 独り言いう 君の前」
 ・「天守閣 さくらとともに 君さがす」
 ・「橘花(きっか)さり 桜桃(おうとう)の園へ 君は逝く」

 俳句ではないけれど
  「Mくんが 墓前に供えたタバコ 作ちゃんが根っこまで喫ってたよ
   粋な計らい 嬉しいね  K・H」
 やっぱりジーンときます。
 短い言葉に 想いがギュッと詰まってます。

 さすが 松山 俳句の町
 
 私も
 気の利いた一句 読みたいですが 無理です…
 そんな才能 ありません…


追伸:ブログを見てくれたS・Yさんから

     私も松山のあちこちで俳句のいい言葉を見つけました。
     「かまんのよ あなたの頑張り つたわっとるけん」
     何だかじ~んときてメモリました。
  


 
  

同期会に100人集合!

2016-04-09 23:10:02 | 日記
    今年は
    オリンピックの年
    だから 
    今年は
    「松山北高14期の同期会」
    会場は
    母校のある 松山市

    あれこれ 計画を立て
    早割・格安・チケットを手配し
    はやる気持ちを 歳相応に抑え
    久し振りに
    故郷に帰りました。

    出席者は 100人とのこと!
    幹事さんの努力の結果ですね~きっと
    

 桜満開の松山城を目の前に
 懐かしい顔が揃いました。
 卒業して 50年+α ともなると
 「ゴメンナサイ お名前は?」
 それでも 話が進むうち
 高校時代の顔が 蘇ってくるから不思議
 仲が良かった友は 勿論
 存在すら知らなかった友も
 (ゴメンナサイ 240人もいたんですから)
 子供の頃 女だてらに喧嘩した男子も
 全てが懐かしく 手を握り合い
 喋って 笑って 励まし合って
 楽しい時が 流れました。

   ただ 一つだけ 
   やっぱり S・Mさんのことですよ~
    ‟空”からの出席では 寂し過ぎます…
   《盛会を祈ります》のメールを残してくれても
   「元気で やっとるか!」
   あの声が 聴きたかったです…


 友だちは良いもんだ と
 よく 言われますね
 でも
 本当に そうだと思えるのは
 この歳になってからではないかと
 (この歳だからですね きっと)
 そう 思います

 自分が(若くない自分が)
 弱さや衰えを自覚始めた とき
 友だちの
 ちょっとした優しさが 嬉しく
 だから
 少し 手を差し伸べる
 そんな やりとりが 
 できるようになるんですね
 こんな 関係
 良いなあ~
 大切に したいです。

 松山の 皆さん
 お世話いただき ありがとうございました。
 とっても 嬉しい 楽しい ひと時でした。

 ところで
 次の再会は4年後ですか?
 ちょっと長すぎません?
 2年後くらいで 如何でしょうか?