鈴木大拙著の「日本的霊性」のご紹介
この著書は鈴木大拙が昭和19年の1月から書き始め、夏に出版しました。その動機は当時日本が拠り所としていた、国家主義全体主義国家神道に対して、彼が抱いた危機感であり、これからの日本が、それに拠って立つべきではないという思いから、それに対する対立軸として、確信を持って提示したものです。それは、日本人固有の超個の霊的存在(「霊的」という言葉を、彼は、精神と肉体のその奥にあり、両者を含む存在 であり、超個の叡智(仏教徒がいう「仏心」)として捉えている)であるというのです。そしてそれは、全ての人類に共通するものだと主張しています。たまたま、その日本人固有の超個の霊的存在は、
仏教により呼び覚まされたと考えています。従ってそれによって生まれた法然と親鸞の教えは、それ故に独自のものだと主張するのです。それは結果として、中国人の師匠から日本僧の法嗣に受け継がれてきた日本の禅宗とも合い通じるものがあると著者は言っています。浄土真宗の所謂 妙好人(「一念の信」を得た念仏の行者(禅でいう「頓悟した人」))の言葉と禅の高僧の言葉に相通ずるものがあるのは、著者が引用する下記の詩からも想像できます。
南無佛は、才一が仏で、才一なり。
才一が悟りを開く、南無佛。
これを貰たが 南無阿弥陀仏
ええなあ
世界虚空がみな仏
わしもそのなか 南無阿弥陀仏
(ともに 妙好人 浅原才一 の詩)
勿論、この書の中には、「金剛経(能断金剛般若波羅蜜多経)の禅」が最後に詳細に解説され、般若即非の論理、応無所住而生其心、三世心不可得、禅概観と節を分けて解説されています。
著者は、この日本的霊的叡智に拠って立ち、日本は、世界に貢献できるものだと確信をもって提示しています。
私は祖母から受けた親鸞の教えを学びながら、学生時代に立派な禅僧から受けた禅の教えをともに持ち、心の師である中川宋淵老師から受けた、「念仏で座禅して良い」と教示して頂いたこともいまだに守っています。この書は、昨年の夏に買ってから3回読みましたが、今後も読み返し読み返し、私の生の続く限り読み続けていくことになる書物です。仏教に関心のある方の精読をお勧め致します。
この著書は鈴木大拙が昭和19年の1月から書き始め、夏に出版しました。その動機は当時日本が拠り所としていた、国家主義全体主義国家神道に対して、彼が抱いた危機感であり、これからの日本が、それに拠って立つべきではないという思いから、それに対する対立軸として、確信を持って提示したものです。それは、日本人固有の超個の霊的存在(「霊的」という言葉を、彼は、精神と肉体のその奥にあり、両者を含む存在 であり、超個の叡智(仏教徒がいう「仏心」)として捉えている)であるというのです。そしてそれは、全ての人類に共通するものだと主張しています。たまたま、その日本人固有の超個の霊的存在は、
仏教により呼び覚まされたと考えています。従ってそれによって生まれた法然と親鸞の教えは、それ故に独自のものだと主張するのです。それは結果として、中国人の師匠から日本僧の法嗣に受け継がれてきた日本の禅宗とも合い通じるものがあると著者は言っています。浄土真宗の所謂 妙好人(「一念の信」を得た念仏の行者(禅でいう「頓悟した人」))の言葉と禅の高僧の言葉に相通ずるものがあるのは、著者が引用する下記の詩からも想像できます。
南無佛は、才一が仏で、才一なり。
才一が悟りを開く、南無佛。
これを貰たが 南無阿弥陀仏
ええなあ
世界虚空がみな仏
わしもそのなか 南無阿弥陀仏
(ともに 妙好人 浅原才一 の詩)
勿論、この書の中には、「金剛経(能断金剛般若波羅蜜多経)の禅」が最後に詳細に解説され、般若即非の論理、応無所住而生其心、三世心不可得、禅概観と節を分けて解説されています。
著者は、この日本的霊的叡智に拠って立ち、日本は、世界に貢献できるものだと確信をもって提示しています。
私は祖母から受けた親鸞の教えを学びながら、学生時代に立派な禅僧から受けた禅の教えをともに持ち、心の師である中川宋淵老師から受けた、「念仏で座禅して良い」と教示して頂いたこともいまだに守っています。この書は、昨年の夏に買ってから3回読みましたが、今後も読み返し読み返し、私の生の続く限り読み続けていくことになる書物です。仏教に関心のある方の精読をお勧め致します。