日にち薬

瀬戸内寂聴さんの言葉をタイトルにいただきました。
以前は「デルタ」をメインテーマに。今後は・・?

自分が聴いてきた古い音楽

2012-02-12 17:25:06 | μジック!
昨日は小学生のバド大会だった。
成績自体は“いい結果”ではなかったが、指導者としてはここ数ヶ月課題として繰り返し練習していたことが改善されていたことを確認できて「大満足」。

まさに指導者冥利につきる。選手が試合運びをしやすくするための動きの練習が生きた。それぞれの選手が自分の持ち味を出していた。上位に進出するためにはその持ち味を修正しなければいけないが、その前に選手が持っている能力を発揮できるようにしたかったのだ。

選手たちはどう感じただろう?指導者目線ではバドミントンのゲームが楽しくなったと思うのだが。

明日の練習時に感想を聞けるので楽しみだ。



話は変わって、本日、「ど」吹雪!

地吹雪。真っ白。びゅーびゅー。

こいつは危険です。外出禁止。


ということで暇なので、手当たり次第、所有するCDをひっくり返して聴き直す。というか、最近は古いCDを聞きまくっている。

そんな中で、改めて自分の音楽人生に影響を与えたバンドを考えたい。


YMO



小学生とき私も含めた同級生3人と同級生の兄の運転する車でスキーに行った。
その時カセットテープがかけられていて、その時「これってなんて言う曲?」と質問したことを今も覚えている。

それは「NICE AGE」という曲で、とにかくかっこよかった。意味もわからずスネークマンショーで笑っていたことも記憶している。(今思えばそれはYMOの「増殖」というアルバムだった)


その後、父親のオーディオシステムのおかげで音楽に目覚めた。お金がなくLPを買うなんて夢の行為だったため、FMラジオを録音する、というエアチェックを始めた。

ちなみに自分が自分のお金で初めて購入したLPレコードが大瀧詠一の「ロングバケイション」。今思っても何故このLPを買ったんだろう?いや、いいアルバムなんだが、大瀧詠一を知る機会なんて当時の自分は全くなかったはずなんだけどな。
大瀧詠一をエアチェックしたことはなかったな。

YMOをエアチェックしたことは今も覚えている。当時のカセットテープはもう手元にないが、メタルテープを奮発したことを覚えている。そのエアチェックで、「PERSPECTIVE」と「BEHIND THE MASK」に感銘を受けた。その曲は今でも歌えるほど覚えてしまった。今聴いても美しいメロディで、当時の自分のセンスをほめてあげたい。


自分が中学生の時は周りのみんなもLPを買うので貸し借りが結構流行った。貸し借り用に安全地帯も買ったし、一部の洋楽LPも買った。カセットに録音して渡したりとか。自分の音楽環境は親父のオーディオのおかげで相当に恵まれていた環境だったので、友人から録音を頼まれたりすることも多く、その関係でいろいろな音楽に触れることも出来た。ただ、当時は何度聞かされてもクイーンは好きにはなれなかった。頼まれて録音したハウンドドックも覚えている。きらいだったな、録音の時間が苦痛だった。


中学生の時、自分のメインはいつの間にか誰も聴いていないフュージョンへ移り「カシオペア」や「スクエア」を聴くようになった。ギターを好きになった時期があって、その時は「高中正義」を聴いた。高中正義はLPアルバムも1枚だけ持っている。
この時からひねくれていたんだなあ。誰も聴かない物を聴こうという姿勢が今の自分につながっているような・・・。



YMOのLPを自分で購入したのは、高校生の時だったと思うが、SOLID STATE SURVIVORだけ。アルバムとして購入した唯一のYMOだ。

熱心なファンとは言えないと思う。
社会人になり、CDをそれなりに購入できる立場になってようやくYMOのCDを購入した。

FMを音源とするざらざら音のカセットではない、クリアな音のCD。

熱心なファンではない。

しかし、小学生のあの車の中をスタートとするならば、30年近く聞き続けている本当に数少ないバンド。安全地帯はもう聴いていない。中学生当時聴いていた洋楽も今はアルバムとして聴くことはない。

今も中学生時代のアルバムをアルバムとして聴くのはスクエアとYMOだけ。しかもLPとして所有しているのをわざわざCDで買い直してまで。

YMOの活動期間はわずか1978年から1983年の5年間。日本や世界に大きな影響を与えたバンドだと大きくなってから知った。
しかし自分の中でのYMOは、アルバム『増殖』の中のスネークマンショーであったり、「NICE AGE」の女性ボーカルであった。「TECHNOPOLIS」や「RYDEEN」もYMOだと知っていたが、大ヒットした「君に、胸キュン。」は私にとってYMOではなかった。


「MULTIPLIES」や「TAISO」のような奇抜な音楽もYMOだと知ったのは後の時代になってから。今はすばらしい楽曲と思うが、当時の自分はそこまでYMOを聞き込んでいなかった。


YMOが解散してから(途中の再結成とかを無視して)、もうすぐ30年になるわけだ。今聴いても十分に通用する楽曲であり、録音である。あまりにすごすぎて言葉を失う。


テクノミュージックの先駆者という言われ方をしているが、1978年に日本での認知度がまだ低い時代、YMOはアメリカでヒットをする。細野晴臣はアメリカにおけるYMOのキャッチフレーズを「メタ(突然変異)ポップス」と名付けたという。そしてあのアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」を発表する。
ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー

「テクノポリス」のイントロに「TOKIO(トキオ)」というフレーズを入れたのもアメリカ進出を意識してのことと言う。
アメリカでじわじわと認知度を高めていく中、日本ではYMOブームが起きていた・・・・・・・・。




YMOの楽曲は結局ポップスなのだと思う。大衆音楽なのだ。

「TECHNOPOLIS」も「RYDEEN」もとてつもなくわかりやすいポップスだった。

当時の小学生に「TECHNOPOLIS」は大受けだったそうな。

大好きだった「NICE AGE」と「TECHNOPOLIS」が同じバンドと知って驚きはしなかったが、興味を深めたのは事実だった。




結局、自分はYMOのファンなのだ。


自分で、熱心なファンだと気づいていなかっただけで、結局は熱心なファンだったのだと思う。


年を追ってからCDを購入し、いつまで経ってもベストアルバムを買い続け、聞き続けている。

細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一それぞれのYMO解散後の活動に興味は持ってもCDを買うまでには至らない。
でも、確かにファンなのだ。





2010年にYMOの3人がRYDEENの音楽をバックに赤い服で登場するポッキーのCMがあった。
意識しているのかしないのか、1979年のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」のジャケットは3人とも赤い人民服だ。

YMOは復活しないでほしい。私は懐古主義者ではない。だが、変わらないで欲しいモノがありコトがある。

変わらないでほしい。YMOは私にとってそういう存在だ。
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