少年団をやっていて、子供たちと関わっているわけだが、時々家庭境遇が恵まれていない、と感じる子が入団してくる。
「恵まれている」とはどういうことなんだろうか?
いや、普通の家庭環境であればそれで恵まれている、と言うことではないかと。
では普通の家庭環境とはどういうことなんだろうかと。
他の町のことを知らないのだが、時々聞かされるのだ。
「私の住む町はいろいろな事情を抱えた家庭が多い」と。
母子家庭、父子家庭ならまだ普通といったレベルで、祖父母家庭とか、法律上の家族構成と実生活の家族構成が違うとか、血のつながらない幼い子たちが兄弟姉妹として過ごしているとか・・・。
当然、養育権や保護者責任や親などの収入などのお金の問題とか、勝手な想像を勝手にしてしまうのだが、そういう想像をしてしまいたくなるような事案が結構多いように感じてしまうのだ。
学校の先生ならさらにそう感じることも多いのだろうな。
少年団に来る子たちは比較的生活基盤や家庭環境がしっかりした場合が多く、指導者としては家庭の問題にまで気を回すことは滅多にない。
だが、それでも時に気を回さねばならない子もいて、そういう子はこれがまた休みがちになったり、他の団員とトラブルになったり、と結局、孤立して行きやすい状況になりがちなのだ。
大人が子供に差別はだめとか、みんなで仲良くとかいって収まることはないのだ。大人の目で見て気づくような問題になったら、私の経験上はすでに手遅れと言うことが多いように思う。
とりわけ、女子同士の争いは醜い。
男の方がそういう争いというか対立の面では扱いやすい。
割り切らせることが可能だからだ。
女子は割り切らない。
否定するとなったらすべてを否定してしまう。話にならないのだ。
だから、一度だめになった人間関係については私はそれを尊重するようにしている。
仲悪いグループは離して練習させるとか。
そしていつの間にか関係が戻ったりする。こういうときは裏で親や女性の指導者が動いてくれている。
まあ、いずれにしても話ができる状況にさえなれば、子供とはいえ人間なので話し合うことが可能なのだが。
家庭にトラブルや悩みを抱えている子は、トラブルになったときにとても苦労する。
トラブルにならない間は家庭環境を意識することはない。
トラブルになった場合に意識するのだ。そういう環境だからこうなってしまうのかな、と。
そして時々悩むのだ。
これは一方的な視点での「差別」だと。「偏見」だと。
頭で理解していれば対応できるなんてことはない。
理論で解決できないから難しいんだよね・・。人間の感情や感性や感覚や性格に基づく問題って・・・。
たかが少年団。されど少年団。
少年団代表と酒を飲んだときにいつも言われる。
「おまえは少年団をやって大人になった」
「少年団とともに成長してきた」
「少年団がおまえの仕事のあり方に大きく影響している」
うん、その通りだと思う。
それでも、今の少年団に対する私の思いは、たぶん、限りなく「恋愛」に近いと思う。
少しでも多く、長く会っていたい。困った子は助けてあげたい。
一方で、好かれようという努力ではないのが自分でもおもしろいなあ、と思う。
子供には好かれようとしていない。意識しているのは正直であること。
自分が間違えたときは素直に謝るし、だめだと思ったらダメ出しするし、いいと思ったらほめるし。
そして、こういう素直な感情が伝わらないときが確かにあって、そういうときの子供たちの心理状態はやはり不安定になっている時なんだなあ。
伝わらないことは非常に煩わしくて、その伝わらない理由を家庭環境にしたりするんだよなあ。
伝え方や言葉の表現を変えることで伝わることは多いと思うんだけど、自分もまだまだでまだ方法を見つけていない。
とりとめのない話を書いたけど、今日の少年団の練習終了後に、練習をしばらく休んだ子に町で会って、話をした。
明らかに嘘だとわかる話を一生懸命している。
私は攻めている訳じゃないよ、と心の中で思いながら話を聞いて、彼女が無事に過ごせることを願うしかない。
今日のあの子の行動は、「プチ家出」なんだと思うんだよな。
小学2年生なんだよな。
せめて今後の時間を平穏に過ごせることを願わずにいられない。
「恵まれている」とはどういうことなんだろうか?
いや、普通の家庭環境であればそれで恵まれている、と言うことではないかと。
では普通の家庭環境とはどういうことなんだろうかと。
他の町のことを知らないのだが、時々聞かされるのだ。
「私の住む町はいろいろな事情を抱えた家庭が多い」と。
母子家庭、父子家庭ならまだ普通といったレベルで、祖父母家庭とか、法律上の家族構成と実生活の家族構成が違うとか、血のつながらない幼い子たちが兄弟姉妹として過ごしているとか・・・。
当然、養育権や保護者責任や親などの収入などのお金の問題とか、勝手な想像を勝手にしてしまうのだが、そういう想像をしてしまいたくなるような事案が結構多いように感じてしまうのだ。
学校の先生ならさらにそう感じることも多いのだろうな。
少年団に来る子たちは比較的生活基盤や家庭環境がしっかりした場合が多く、指導者としては家庭の問題にまで気を回すことは滅多にない。
だが、それでも時に気を回さねばならない子もいて、そういう子はこれがまた休みがちになったり、他の団員とトラブルになったり、と結局、孤立して行きやすい状況になりがちなのだ。
大人が子供に差別はだめとか、みんなで仲良くとかいって収まることはないのだ。大人の目で見て気づくような問題になったら、私の経験上はすでに手遅れと言うことが多いように思う。
とりわけ、女子同士の争いは醜い。
男の方がそういう争いというか対立の面では扱いやすい。
割り切らせることが可能だからだ。
女子は割り切らない。
否定するとなったらすべてを否定してしまう。話にならないのだ。
だから、一度だめになった人間関係については私はそれを尊重するようにしている。
仲悪いグループは離して練習させるとか。
そしていつの間にか関係が戻ったりする。こういうときは裏で親や女性の指導者が動いてくれている。
まあ、いずれにしても話ができる状況にさえなれば、子供とはいえ人間なので話し合うことが可能なのだが。
家庭にトラブルや悩みを抱えている子は、トラブルになったときにとても苦労する。
トラブルにならない間は家庭環境を意識することはない。
トラブルになった場合に意識するのだ。そういう環境だからこうなってしまうのかな、と。
そして時々悩むのだ。
これは一方的な視点での「差別」だと。「偏見」だと。
頭で理解していれば対応できるなんてことはない。
理論で解決できないから難しいんだよね・・。人間の感情や感性や感覚や性格に基づく問題って・・・。
たかが少年団。されど少年団。
少年団代表と酒を飲んだときにいつも言われる。
「おまえは少年団をやって大人になった」
「少年団とともに成長してきた」
「少年団がおまえの仕事のあり方に大きく影響している」
うん、その通りだと思う。
それでも、今の少年団に対する私の思いは、たぶん、限りなく「恋愛」に近いと思う。
少しでも多く、長く会っていたい。困った子は助けてあげたい。
一方で、好かれようという努力ではないのが自分でもおもしろいなあ、と思う。
子供には好かれようとしていない。意識しているのは正直であること。
自分が間違えたときは素直に謝るし、だめだと思ったらダメ出しするし、いいと思ったらほめるし。
そして、こういう素直な感情が伝わらないときが確かにあって、そういうときの子供たちの心理状態はやはり不安定になっている時なんだなあ。
伝わらないことは非常に煩わしくて、その伝わらない理由を家庭環境にしたりするんだよなあ。
伝え方や言葉の表現を変えることで伝わることは多いと思うんだけど、自分もまだまだでまだ方法を見つけていない。
とりとめのない話を書いたけど、今日の少年団の練習終了後に、練習をしばらく休んだ子に町で会って、話をした。
明らかに嘘だとわかる話を一生懸命している。
私は攻めている訳じゃないよ、と心の中で思いながら話を聞いて、彼女が無事に過ごせることを願うしかない。
今日のあの子の行動は、「プチ家出」なんだと思うんだよな。
小学2年生なんだよな。
せめて今後の時間を平穏に過ごせることを願わずにいられない。
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