自宅の新築に当たり、設計事務所と昨年から打ち合わせを重ねてきた。
時期ははっきりと覚えていないが、もう半年以上は打ち合わせをしている。
普通の依頼主がどういう打ち合わせをしているのかよくわからないが、私たちもそれなりに回数を重ねてきて、図面が確定し、ようやく「いえ」の形が見えたところだった。
昨日、向こうの両親から注文がつき、結果的にその図面が四度目の設計変更となった。
彼女は怒り狂い、「もうどうでもいい」とあきらめることになった。
最低限の条件である、「歩行障害があっても住みやすい家」「透析が可能な家」の部分は守られたが、その流れで望んでいた“家の中”と“屋外”のつながりの部分を切り捨てることになった。
まあ、要は彼女にとっての家への出入りのしやすさを考慮した部分がなくなってしまった。
家の中の設計は基本はそのまま踏襲されるだけまだマシではあるが。
建築費の圧縮がその理由という。
言ってくれればそのための算段を提案するのに。
そういう「カット」することが必要なことぐらい、私も彼女もわかっていて、ここはあきらめなきゃね、と打ち合わせもしていたのだ。
向こうの勝手な判断で、必要としていた部分をカットされるのがどうにも不満。
まあ、いいけどね。使い勝手が悪くなったら、その分文句言うから。
私がこれから住もうとする家は、彼女の身体的理由による要素が大きい特殊な家であるわけだが、その建築に関わる流れもまた特殊な環境である。
それなりの覚悟が必要だと元々思っていたが、本当に覚悟がいるのかもしれないな。
救いは、私に対しては向こうの両親は半端ない気遣いをしてくれていることだが・・・。
今日は単なる愚痴ですな。
友人に「拘束されるからやめろ」といわれるが、私は今さら別れようとか別の生活を求めたい気持ちもないので、ただ、仕事と少年団を続けられる環境であればそれでいいのだ。
いろいろ周りの人にも「よくやっている」とか「がんばっている」とか果ては「えらい!」とか言われるのだ。
違うんだなあ。
年取ったのかもしれないが
変わりたくないだけ。
今自分が大事と思えることを守りたいだけなんで、それ以外のことをあきらめられるようになったのかな。
彼女の病気は自分は何のメリットもないが、彼女は「うつ」になってもおかしくないような深刻な病気を抱えながら普通の人格者でいるわけで、それはそれですごいことで、だからこそ一緒にいても問題ないといえるわけなんであって、私が特別我慢とか努力とかもしているわけではないんだな。
これで彼女が精神病を抱えたらさすがに私は逃げるわ。
普通の人格でいることが何よりも大事だと、実感できるのは私がきっと精神的に大人になった部分だと思う。
健康な人間であっても、精神に問題があったら、男女の関係でも親子の関係でも友人関係でも、普通、もたないでしょ?
私の生活している環境はたぶん、「普通」ではない。
だから、普通でいられる部分は変化させたくないんだよね。そういう普通でいられる部分を「ここ」と決めているので、そこだけは死守しているのが、今の私の立場。
その一つが「少年団」なわけだ。
彼女との生活においてはその「少年団活動」に制限を加えないこと、が暗黙の条件になっていて、彼女も少年団には何も言わない。
だから私も彼女に何も言わない。
精神世界だなー。
普通って大事。
そして、普通で過ごしているであろう少年団の子供たちの幸せを願わずにいられない。いや、当人たち、それぞれのご家庭に悩みや問題はあるでしょう。
でもね、きっと、普通なんだわ。そういったことも。
いろいろなことを経験して親も子も指導者も育っていくんだよね。
今までも今でも女の子が多い少年団。
初年度の子はもう23歳になった。こういった少年団OBの子たちの結婚式に呼ばれるのが、今の夢。
ただし、
松の席で。
時期ははっきりと覚えていないが、もう半年以上は打ち合わせをしている。
普通の依頼主がどういう打ち合わせをしているのかよくわからないが、私たちもそれなりに回数を重ねてきて、図面が確定し、ようやく「いえ」の形が見えたところだった。
昨日、向こうの両親から注文がつき、結果的にその図面が四度目の設計変更となった。
彼女は怒り狂い、「もうどうでもいい」とあきらめることになった。
最低限の条件である、「歩行障害があっても住みやすい家」「透析が可能な家」の部分は守られたが、その流れで望んでいた“家の中”と“屋外”のつながりの部分を切り捨てることになった。
まあ、要は彼女にとっての家への出入りのしやすさを考慮した部分がなくなってしまった。
家の中の設計は基本はそのまま踏襲されるだけまだマシではあるが。
建築費の圧縮がその理由という。
言ってくれればそのための算段を提案するのに。
そういう「カット」することが必要なことぐらい、私も彼女もわかっていて、ここはあきらめなきゃね、と打ち合わせもしていたのだ。
向こうの勝手な判断で、必要としていた部分をカットされるのがどうにも不満。
まあ、いいけどね。使い勝手が悪くなったら、その分文句言うから。
私がこれから住もうとする家は、彼女の身体的理由による要素が大きい特殊な家であるわけだが、その建築に関わる流れもまた特殊な環境である。
それなりの覚悟が必要だと元々思っていたが、本当に覚悟がいるのかもしれないな。
救いは、私に対しては向こうの両親は半端ない気遣いをしてくれていることだが・・・。
今日は単なる愚痴ですな。
友人に「拘束されるからやめろ」といわれるが、私は今さら別れようとか別の生活を求めたい気持ちもないので、ただ、仕事と少年団を続けられる環境であればそれでいいのだ。
いろいろ周りの人にも「よくやっている」とか「がんばっている」とか果ては「えらい!」とか言われるのだ。
違うんだなあ。
年取ったのかもしれないが
変わりたくないだけ。
今自分が大事と思えることを守りたいだけなんで、それ以外のことをあきらめられるようになったのかな。
彼女の病気は自分は何のメリットもないが、彼女は「うつ」になってもおかしくないような深刻な病気を抱えながら普通の人格者でいるわけで、それはそれですごいことで、だからこそ一緒にいても問題ないといえるわけなんであって、私が特別我慢とか努力とかもしているわけではないんだな。
これで彼女が精神病を抱えたらさすがに私は逃げるわ。
普通の人格でいることが何よりも大事だと、実感できるのは私がきっと精神的に大人になった部分だと思う。
健康な人間であっても、精神に問題があったら、男女の関係でも親子の関係でも友人関係でも、普通、もたないでしょ?
私の生活している環境はたぶん、「普通」ではない。
だから、普通でいられる部分は変化させたくないんだよね。そういう普通でいられる部分を「ここ」と決めているので、そこだけは死守しているのが、今の私の立場。
その一つが「少年団」なわけだ。
彼女との生活においてはその「少年団活動」に制限を加えないこと、が暗黙の条件になっていて、彼女も少年団には何も言わない。
だから私も彼女に何も言わない。
精神世界だなー。
普通って大事。
そして、普通で過ごしているであろう少年団の子供たちの幸せを願わずにいられない。いや、当人たち、それぞれのご家庭に悩みや問題はあるでしょう。
でもね、きっと、普通なんだわ。そういったことも。
いろいろなことを経験して親も子も指導者も育っていくんだよね。
今までも今でも女の子が多い少年団。
初年度の子はもう23歳になった。こういった少年団OBの子たちの結婚式に呼ばれるのが、今の夢。
ただし、
松の席で。
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