店主の初!体験!?
「初!」とはいっても、どうってことのない話なので、あしからず。
先日、「初!」の期日前投票へ行ってきました。投票日当日は、よんどころのない?野暮?用で出かけなければならないようなので、致し方なく…。ですが、その用件も日程が変更になる可能性があるかも、とのこと。ずいぶんいい加減ですが、とりあえず期日前に済ませておくにかぎる、と考えたわけです。
「ああ~…投票に行くのは〇〇年ぶりだろう!?」
さっそく投票会場へ行くと、ベルトパーテーション(パーテーションポール)が設置された仮設通路に老若男女がすでにずらりと…。
特に何事もなく、と言いたいのですが…。3人前の長身の老翁が、必要なものを何も持ってきていなかったようで…おまけに、かなり耳の遠いかたらしく…耳に手をあてながら「なに? えっ? いや、持ってない。 うん? なに? もう一回言って…」。
受付の若い係の人はそのたびに老翁の耳に大声で…「免許証とか身分証明書とか持ってませんか?」と。
列が混みだしたのを見て、奥からベテランらしい係の男性が出てきて老翁を捕まえると、受付横のデスクに座らせてようやく列が動き出した。
スムーズに投票を済ませ会場から出ると、先ほどの老翁がまだ係の人と…。
とまあ、特にどうってこともない話でしたが、みなさん、27日はくれぐれもキケンなきよう。
ニュースでは、与党過半数の雲行きが怪しい…などと言っておりますが。
これ以上増えませんように…。
少子化なのに誰が払っていく!?
店主の無謀な? ひそかな試み (3)
「グーグルストリートビューで東海道五十三次?」の3回目。今回は「川崎宿」へ…と、その前に、まずは弥次さん喜多さんの歌を。
海辺をばなど品川というやらん〈弥・上の句〉
さればさみずのあるにまかせて〈喜・下の句〉
~~海辺なのになぜ品川なのか…真水(鮫洲)があるからいいでしょう~~
品川から鮫洲(さめず)~鈴ヶ森~大森、と…二人で歌などを詠みかわしながらの弥次喜多道中。やって来たのは「六郷の渡し」…現在の多摩川河畔です。
対岸の川崎宿側にある「六郷の渡し」跡。
本町1丁目にある「田中本陣」跡(歩道にある看板あたり)
川崎宿京入口。現在この駐車場はなく、マンション?に建て替わっている(ビューは2019年)
グーグルストリートビューで「六郷の渡し」から川崎宿のなかを歩いて?いくと、あちらこちらに「何々の跡」とか、宿場のことを案内する看板が立てられています。
上のビューのような石柱(旧東海道)や街灯の支柱(東海道川崎宿)も立ち並ぶ。
実際に歩いてみると、どんな感じになるんでしょうか……少しくらいは弥次喜多の気分を味わうことができる?…のかも。
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参考資料は、「東海道中膝栗毛」(中央公論新社 マンガ日本の古典シリーズ)と歌川広重の浮世絵「東海道五十三次之内 川崎 六郷渡舟」。
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上の歌川広重の画像は、下のリンク先よりダウンロードしました。
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店主の動画探索
東海道かわさき宿交流館 紹介映像
(音量にご注意ください・約6分半)
入館料が無料だというから、散策途中に立ち寄ってみてもいいかも。京急川崎駅近くで、旧東海道沿いにあります。詳しくは下のリンク先で…。
東海道かわさき宿交流館のホームページは…
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店主の個人的な独りよがり話
前々回の更新から書き始めた「グーグルストリートビューで東海道五十三次」。書いていて思い出したことがいくつかある。長くなりますが、今回は少しばかりその独りよがりな個人的な話におつきあいを…。
1970年代~1990年代…冒険家のニュースがテレビ・新聞・雑誌などでずいぶんと話題になり、僕ら少年たちの胸の中をざわつかせてくれていた時代。
今も覚えているいくつかの名がある。
- 堀江謙一さん(海洋冒険家)
- 植村直己さん(登山家・冒険家)
- 三浦雄一郎さん(スキー選手・登山家)
- …他。
…彼らは、少年たちにとっての十文字隼人やモロボシ・ダンで、大相撲の大鵬や北の湖、巨人の長嶋や王と同じくらいのヒーローであった。
そして、彼らに続けとばかりに新たな挑戦者たちが次々と現れ出した。それを後押しするように、週刊少年キングという漫画雑誌に庄司としおさんの『サイクル野郎』が連載され出したのもこの頃だったろうか。
僕もこの時代のど真ん中世代で、同級生たちはこぞって『サイクルスポーツ』を購読し、『山と渓谷』を夢中で読んでいた(回し読みで…)。
現在も発売されている『サイクルスポーツ』…その歴代表紙
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少年キングで連載されていた『サイクル野郎』
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そうこうしているうちに、僕らもあっという間に社会人へ…。
雑誌は変わらず読み続けていたが、アウトドアに出かける機会はグッと減ってしまった。友人らとなんとか連休を利用して、山登りや自転車ツーリングには出かけていたのだが…。
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そんなときに世に出てきたのが「クマさん」であった。
「クマさん」といっても男性ではない。れっきとしたうら若き(当時)女性である。本名、熊沢正子(現在の姓は不明…ですが)。サイクリストやバイクツーリングのライダーさんたちから親しみを込めて「クマさん」と呼ばれ、彼女を知らずしてバックパッカーを語るなかれ…とまで言われたかどうだか…。
山と渓谷社から出版された『チャリンコ族はいそがない』(1988年)、『チャリンコ族は丘を越える』(1995年)の登場は僕らには衝撃的であった。
まさか、かよわい?女子が……一流大学を卒業し、某出版社に就職して順風満帆の人生の出だしだったはずが…将来の先行きにどんな不安や焦りを覚えたのか…。退職して自転車での日本一周の旅へ飛び出していく…。
地平線会議の報告会へのリンク(クマさんの簡単な履歴も)
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本はすでに絶版?ぽいので、興味あるかたは中古本か図書館で。面白おかしく、女子のドタバタ自転車一人旅行記としても楽しめると思います。
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そしてそして…「クマさん」と同時期に僕が触れたのは、藤本研さんの『ニッポン大貧乏旅行記』(1991年・山と渓谷社・My books)であった。
東京のアパートを出発。時計回りに半年かけてテクテクと歩きに歩き…ぐるりとニッポン列島を一周するまでの記録。
野宿をしながら、パンをかじり、駅で歯を磨き…。声をかけてくれた人の情けも遠慮なく受けながら、嵐の北海道では不死身の体!?を手に入れ…。
徒歩や自転車での日本列島縦断の話は聞いたことがあるが、歩いて列島を一周するというのは新鮮な驚きでした。
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時代が変わってしまったのか…。
自転車旅行をしている若者をすっかり見なくなった気がします。重い荷物を両サイドに付け、「日本列島縦断中」と書いたのぼりを立て…。よく国道をエッチラエッチラとペダルをこいでいたサイクリストの姿は見なくなって久しい。重いリュックを背に、首にタオル、頭にキャップ帽をかぶった列島縦断ウォーカーたちも…。
よく見かけるのは、颯爽と風を切って走り抜けていく色鮮やかなロードレーサーや、爆音を響かせて走り去っていくツーリングライダーばかり。
青春は二度ない。若い頃に必要なのは、無駄な努力でもがきながら苦しんで汗をかいてその不器用さを仲間たちと笑いあって共有すること…人間にはそんな時期が絶対必要だと思うのだが…そんな大切な何かをずっと遠くに置いたままにしているよう…現代の若者たちは、向いている方向が180度正反対でなんだか寂しい。
なんでもいい! 失敗を恐れず遠回りしてでも果敢に挑戦してもらいたい。ネットやスマホも悪いとは言わないが、まずはおのれ自身で体当たりを。無駄なく効率的だからといって、すぐにハイレベルにたどり着ける人生なんて…つまらないじゃない。