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ヘミングウェイ通り

2017-11-15 04:14:28 | 夜ノオト。

 「T市ヘミングウェイ通り、と書いてもらったら着くから、そこに送ってください。」N田先生はおっしゃった。
 私が大学に通えなくなってからずいぶんと時間が経っていた。先生が私にマリリン・モンローの絵を描いて送るように言ったのは、私のほとんど愚痴でしかない身の上話が済んで、競馬で勝ったからと一万円を茶色の財布から出して私の手にぽんと乗せてくれた後だ。
 いただく言われがないです。私は憮然として言った。本当は喉から手が出るほどお金が欲しかったのだが、急に財布を出してきた先生に、何か、私が自分でもわかっていない大事なものを買われるのではと身構えたのだ。
 じゃあ、マリリン・モンローの絵を描いて送ってください。住所は、T市中央ヘミングウェイ通り。
 先生は高名なヘミングウェイの翻訳家でマリリン・モンローの研究家でもあった。私は寒くもないのに少し歯の根が合わなくなって、ぶるっと震えた。美術大学の教授ではあるが、本業を持っていて名を成している、そういう経歴を持つ大人に一対一で話すのは初めてだった。

 N先生にもらった一万円をもって、私はボーイフレンドと書店に行った。さすがにN先生の本を一冊も読まないではいけないだろうと思ったのだ。ちょうど新刊が出たばかりで平積みになっている中に、先生のマリリン・モンローに関する著作があった。モンローの未発表の写真を集めた写真集が出たばかりで、ちょっとしたマリリン・モンローブームだったのでコーナーができていたのだ。
 だが、私は先生のモンローに関する本を買う気になれなかった。それは値段の高いしっかりした研究書で、ぱらぱらとめくって安易に理解できるような内容ではなかった。まいったな、立ち読みで済ませられるといいと思ったんだけど。一緒にいたボーイフレンドと、私よりはるかに真面目な友人が、買わないの?と聞いてきた。うーん、私に読み通せるとは思えないな、どうしようか。私は何となく隣に置いてある本に手を伸ばした。
 私は結局、先生の本を買わずにマリリン・モンローを扱った別の小説を買った。それから、絵を描くために画材屋に行き、安いB5サイズのイラストボードを買った。そして図書館でマリリンの写真集を探し一番描きやすそうな、大きく胸の開いたドレスを着て唇を半開きにして微笑んでいるマリリンの写真をコピーしてそれを元に、鉛筆で絵を描くことに決めた。けれど、絵はいつまでたっても完成しなかった。着色すれば完成、というところまでは描いたのだけれど、いつまでもいつまでも描きかけのまま私の机のところに置いてあった。
 そこまでは覚えている。以外と細部まで思い出せたのだが、私の学生時代はひどいものだったと恥ずかしくなった。単純な約束を果たすこともできない幼稚な学生。描きかけた絵はどうなったか。私はその後大学を中退し、しばらくは学生時代と同じアパートに暮らし、職に就いたはずだ。絵はどうなったのか。