
ねこのみなさんごきげんよう。
ほんのこねこさんだったじゆうこねこさんたちは
ごぶじでふゆをこし、いまやぼくよりつよそうになりました、
きんにくもりもりなのが、おけなみのうえからでもよくわかるくらいです。
みなさん、ねこさんのおと、ときいてあなたのしもべが
おもいうかべるのはどんなおとと、おもわれますか。
ねこさんのすべてのおとには、しもべをみりょうするちからがあることは
このばでごせつめいするまでもない、よくしられたじじつです。
しかし、しもべはひとりひとりちがっていますから、
ねこさんのおとに、どのようにみりょうされているかは
しもべひとりひとりでちがうとおもわれます。
たとえば、ねこさんのあくびのおとをきいて
きゅんとするしもべもいれば、
はわわわーしかいえないきもちになるしもべや
よろこびのなみだをながすしもべ、
あがめたてまつりだすしもべ
などがかんがえられます。
そして、ねこさんのおみみのぱたぱたするおとで
あくびのおとをきいて
きゅんとしたしもべはあがめたてまつり、
はわわーしかいえないしもべはよろこびのなみだをながし、
あがめたてまつったしもべはきゅんとし
よろこびのなみだをながしたしもべははわわーしかいえなかったりするわけです。
さらに、きゅんとするのがとてもおすきなしもべ、
はわわーしかいえなくなることにこのうえないよろこびをかんじるしもべ
よろこびのなみだをながすことをひつようとしているしもべ
あがめたてまつることにいきがいをかんじるしもべなど
そのおもむきはさまざまといえます。
ですので、ねこさんのおと、といわれて
どんなおとをいちばんにおもいだすのかも
しもべによってちがうのです。
ぼくのしもべは、きっと、ぼくがおけなみのおてていれをしている
ときのおとをおもいうかべるとおもっています。
なぜぼくはそうおもうのでしょうか。
このあいだ、こんなことがありました。
そのひ、しもべはふらりといなくならない日でした。
そういうひには、ぼくはしもべにとくにこまかく
ごしどうをします。
いつもはじかんがかぎられていて、すこしのことしか
つたわらないので、こういうきかいをのがしてはならないからです。
課題を「おひさまのひざしのもとぼくがきもちよくおねんねできように
とりはからう」とさだめて、ぼくはねっしんにごしどうにあたりました。
けっきょくのところ、しもべが課題をごうかくするまでに
ぼくはごまんかいはにゃーをしました。
しもべのためとはいえ、ぼくはとてもがんばりましたし、
おひさまのひざしはぼくをやさしくつつみましたので
ちゅーるさんをいただくまえにぼくはおねんねのための
おけなみのおてていれをするほかなくなりました。
さりさり、しゃり、さりさり、しゃーり、しゃーり、さりり
ぼくはおひさまにうっとりしながらむしんに
おてていれをしました。
じゅうぶんおてていれをしますと、ぼくのおめめはしぱしぱしますので
そっととじて、おかおはおててのうえ、あんよはおつむのさきにのばして
ついにおねんねのときをむかえました。
そのあいだじゅう、しもべはじっとして
いきすらしないようなようすでぼくをみつめていました。
ぼくはそのことをしっていましたし、そういうそぶりのしもべが
よからぬことをかんがえていることもしっていました。
しかし、そんなことどうでもよくなるくらいに
そのときのおひさまはぼくをやさしくつつんでいたのです。
そして、いよいよぼくが別の世界でおきるかおきないかというところで、
ぼくの、おてていれのいきとどいたおなかにしもべが鼻をうずめました。
このようなおこないは、とうていゆるされることではありません。
いつもでしたら、ごしどうにつぐごしどうのうえに、
この罪にみあったばいしょうをせいきゅうするところですが、
ぼくはもう、ほとんどべつのせかいにいましたので、
ごしどうや、ばいしょうまでとてもおててがまわりませんでした。
おなかについて、しもべの鼻のあぶらをとることがせいいっぱいだったのです。
さり、さり、さーり、しゃりしゃりしゃり
ぼくのおてていれのおとを、しもべはぼくのそばで
ずっときいていたのです。
しもべは、もういちどこのおとをきくために
ぼくのおなかに鼻をうずめたのでしょう。
それでぼくは、ぼくのしもべはねこさんのおとときかれれば
おてていれのおとをおもいうかべるだろうとおもうのです。
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