
ねこのみなさんごきげんよう。
ぼくはさいきん、牛のにくはたべられないと
気づきました。あと、さばやぶりもおきらいなことを
しりました。
これがぼくとうねこさんです。
さて、ねこさんじゃらしの考察のさいに
よこくしましたとおり、こんかいは
なぜぼくがライオンさんにならなくてすんだかを
おはなししましょう。
まずかんけつにもうしあげますと
ライオンさんになりそうなぼくがねこさんのままでいれらたのは
みずたまりがあったからです。
これまでぼくは、ぼくのおへやだけがぼくのおへただったので、
ぼくのおへやのなかがぼくにとってかいてきであるように
腐心してきました。
しかし、ぼくのしもべではないにんげんが新形態になっていこうの
こちらがわは、ぼくは、いままでのおへやにくわえ
ぼくのかくれんぼのへや、しもべではないにんげんとあそぶへや
しんみょうなかおですわるへや、ねこさんくさのあるところ、
など、すごすところがふえました。
ですので、ぼくはこれらすべてのおへややばしょが
ぼくにとって快適になるようにかんがえねばならなくなりました。
まあ、だいたいのところはしもべにそうじを
するようにいいつけたり、ぼくのおこのみのばしょに
あるじゃまなものをしっぽっぽにおねがいして
なぎはらったりすればよかっただけですが、
ひとつ、けしてあってはゆるされないものがはびこる
ばしょがありました。
それは、気づくと水たまりができているばしょです。
にわかにはしんじがたいことでしょう。
しかしぼくは、なんどもそのばしょに水たまりが
あるのをみつけています。
ぼくというねこさんには、
ぼくの飲み水いがいの水のそんざいはゆるさない
というほど、水とはあいいれません。
そんなぼくが、ぼくのおへやにみずたまりが
あるとしったときの、その怒りにも似た驚きを
みなさんならわかっていただけるでしょう。
ぼくはどうすべきかを、ぼくのかわいいおつむに
ぎっしりつまったくるみだいの脳細胞の
あるまりをくしして、かんがえました。
ぼくは、ねこさんです。
ですので、すぐに良いかいけつ方法を
みいだすことができました。
それが水たまりの水を飲むことです。
飲み水ならばそんざいをゆるしてもよいのです。
みずたまりの水を飲めば、それは水たまりではなく
たちどころにぼくのための飲み水ということになります。
ですので、ぼくは水たまりをさっちしましたら
すぐさま飲みにゆきます。
じゅうぶんのみましたら、
それはもう水たまりではなく、飲み水ですから
なにもこわくありません。
そしてこの、水たまりは飲み水にしなければならない
という信条の強さは、ぼくがライオンさんになるのを
とめてしまうくらいに強かったのです。
あのとき、たしかに内なるライオンさんが目覚め、
まさに覚醒の咆哮をとどろかせようとしていました。
ですが、うすれゆくぼくというねこさんのおめめのはしに
水たまりがうつったのです。
ただその一瞬、水たまりがおめめのはしにとまった
それだけのことで、ぼくはうちなるライオンさんではなく
水たまりを憎むぼくというねこさんが勝ったのです。
まさか、ぼくのまいにちにこのようなことが
おこるとは、いがいなきもちがいたしますし
とってもふしぎなことですね
ねこさんのしめいは、にんげんの総しもべ化です。
そのためにねこさんのいのちはつかわれるべきですが、
このようなできごとにめぐりあうことも、
すてきなねこさんというわたしたちにとっては
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