「機微とは」=表面だけでは知ることのできない、
微妙なおもむきや事情。「人情の機微に触れる」ということ。
人の「心の機微」って理屈じゃないんだよなぁ…
この仕事をしていると、折に触れそう思う。もちろんプライベートでも。。
心って、些細なことがきっかけで、嬉しくなったり、哀しくなったり、怒ったり…感情の起伏となって出てくる。これをコントローするのは容易ではない。
だからこそ人は悩んだり落ち込んだりするのだろう。特に男女間についてはこれが如実に感じられるはず。
(以下あるビジネスパーソンの文献より抜粋引用)
恋愛は、「機微」のゲームである。男と女の関係は、知り合ってから少しずつ心が打ち解け、互いの理解が深まっていく。
思い込みや誤解も含めて浅くなったり、深くなったり、おやっ!と云うような、発見や驚きがあり、変化していくのだ。
時には、今まで築いてきたものがガラガラと音を立てて崩れるようなことも起こる。
心の機微の訓練には、恋愛するのが良い(訓練目的で恋愛をすべきではないが)なぜならば、間違うと本当に傷つくからだ。
本気で相手のことを思っていても相手のことを感じ取ることができなければ、良い結果は生まれない。
人は傷つき成長する。手紙やメールも状況によって様々な感じ方をすると思う。
相手の置かれている状態と性格を良く考えて伝える…と書いてある。
心の機微が分かる人と分からない人がいる。他人の心に平気で土足で踏み込む人もたまにいる。
他人と会話する際に靴を脱ぐことをしつけられていない。大人になってから認識させようとしても難しい...とも書いてあった。
私のブログのなかでも折に触れて、男女の性差の違いによる価値観や考え方など書いてきたが、
ままならないのが恋愛…そしてコミュニケーション。誰も「訓練」等とは思えないのである。
よく、対人関係において「そんなの言ってくれなきゃわからない…」ということを聞くが、
言わなくても感じ捉えるのが機微なのだろうか?
様々な人との関わりや、経験を経て身に付いていくのかもしれないが、よく考えると…「機微」として捉えた事は、
会話によって確認しなければ、大半は「憶測」や「決めつけ」になってしまう場合もある。
何故ならば、どうしても自分の「価値観」というフィルターを通してしまうからである。「自分と相手は全く違う人間である」ことを大前提にしなければ、
結局のところそうなってしまう…。そして自分が予測した答えじゃなかったら傷つく..落ち込む..
で...何が言いたいかというと、「機微」を感じとるには、まず「自分の価値観を白紙」にしなければ
できないと思うのです…。そしてもう一つ、相手を尊重し信じる事。
もちろん、色んな経験や関わりから培った感覚は
必要なんですが、「先入観」や「憶測」「思い込み」「決めつけ」が入り込むと相手の心の機微が読めないからです。
私の場合、クライアントと向き合うときは、限りなく白紙になるようにしています…。(職業柄、巨大な黒板消しを持っているのです)
クライアントと向き合う際は、常に自分自身の問題や、悩みを解決していなければなりません。
黒板に書いたものを、きれいに消してもとの状態にするようなもの…。そこに相手の機微を感じて書き込む。
だからこそ、私自身の問題は、基本相談などしません。一人になり、無音の世界で自分と向き合い、自分の考えや行動を深くかえりみて「内省」し、一人で解決する、府に落とす...。
この繰り返しなんです。日々修行のようなものです。とても時間を要する事もしばしば。。ですが、内省を繰り返し、そこから何かを学んでいく事が大切な事なのかもしれません。
内省(reflection)の目的は、自分自身や周りの人を責めることではなく、公平な第三者の目で自らの思考や行動を観察することです。
そうして気づいた事柄から自分の言動を改めるように努力することにあるのです。
そうは言っても、私も一応一人の女ですから(笑)落ち込み、悩み、悲しむ。。自分の感情や相手の言葉だけに囚われてどうにも整理がつかないこともあります。
「カウンセラーだから悩みがないでしょ?てか、悩まないでしょ?」って言われますが...カウンセラーだって人間(笑)悩むのです。
そんな自分を内省する時、自分に課すキーワードが「自己責任」「許す」「感謝する」の3つです。これをもって内省すると
人を恨まず、妬まず、比べず、怖がらず、悲観的にならず整理出来る気がします。
内省で自問自答する時は、こんな風に自分に問いかけます。
■自己責任。。。「その事柄は自分でやりたいと決めてやった事なのか否か?」「自分以外の外的要因があったのか?しかし本当にそれが原因なのか?」
■許す。。。「許せない理由は何か?」「許さないことで自分にも相手にもどんな影響があるのか?」「許すことで自分にも相手にもどんな影響があるのか?」
■感謝する。。。「この経験のおかげで●●に気が付くことができた」「この出会いや縁によって●●のように幸せに感じる事ができた」「それは当たり前ではない..有難き事だよな・・」
そうすると、その時は自分の価値観や、言葉、瞬間的な感情に囚われて、見えなかったことが見えてきたり、気づいたり、納得したりする事で素直になれたりもする。
だから、その時に素直に言えなかった「ごめん」や「ありがとう」「おかげさまで」は、どんなに時間が経っても相手に伝えようと思っている。
こうして、
心の機微が捉えられる人間になるには、「内省出来る事」が重要かもしれないと思うのであります。。
そして何を隠そう私自身....新年早々から内省の自問自答しております。。
微妙なおもむきや事情。「人情の機微に触れる」ということ。
人の「心の機微」って理屈じゃないんだよなぁ…
この仕事をしていると、折に触れそう思う。もちろんプライベートでも。。
心って、些細なことがきっかけで、嬉しくなったり、哀しくなったり、怒ったり…感情の起伏となって出てくる。これをコントローするのは容易ではない。
だからこそ人は悩んだり落ち込んだりするのだろう。特に男女間についてはこれが如実に感じられるはず。
(以下あるビジネスパーソンの文献より抜粋引用)
恋愛は、「機微」のゲームである。男と女の関係は、知り合ってから少しずつ心が打ち解け、互いの理解が深まっていく。
思い込みや誤解も含めて浅くなったり、深くなったり、おやっ!と云うような、発見や驚きがあり、変化していくのだ。
時には、今まで築いてきたものがガラガラと音を立てて崩れるようなことも起こる。
心の機微の訓練には、恋愛するのが良い(訓練目的で恋愛をすべきではないが)なぜならば、間違うと本当に傷つくからだ。
本気で相手のことを思っていても相手のことを感じ取ることができなければ、良い結果は生まれない。
人は傷つき成長する。手紙やメールも状況によって様々な感じ方をすると思う。
相手の置かれている状態と性格を良く考えて伝える…と書いてある。
心の機微が分かる人と分からない人がいる。他人の心に平気で土足で踏み込む人もたまにいる。
他人と会話する際に靴を脱ぐことをしつけられていない。大人になってから認識させようとしても難しい...とも書いてあった。
私のブログのなかでも折に触れて、男女の性差の違いによる価値観や考え方など書いてきたが、
ままならないのが恋愛…そしてコミュニケーション。誰も「訓練」等とは思えないのである。
よく、対人関係において「そんなの言ってくれなきゃわからない…」ということを聞くが、
言わなくても感じ捉えるのが機微なのだろうか?
様々な人との関わりや、経験を経て身に付いていくのかもしれないが、よく考えると…「機微」として捉えた事は、
会話によって確認しなければ、大半は「憶測」や「決めつけ」になってしまう場合もある。
何故ならば、どうしても自分の「価値観」というフィルターを通してしまうからである。「自分と相手は全く違う人間である」ことを大前提にしなければ、
結局のところそうなってしまう…。そして自分が予測した答えじゃなかったら傷つく..落ち込む..
で...何が言いたいかというと、「機微」を感じとるには、まず「自分の価値観を白紙」にしなければ
できないと思うのです…。そしてもう一つ、相手を尊重し信じる事。
もちろん、色んな経験や関わりから培った感覚は
必要なんですが、「先入観」や「憶測」「思い込み」「決めつけ」が入り込むと相手の心の機微が読めないからです。
私の場合、クライアントと向き合うときは、限りなく白紙になるようにしています…。(職業柄、巨大な黒板消しを持っているのです)
クライアントと向き合う際は、常に自分自身の問題や、悩みを解決していなければなりません。
黒板に書いたものを、きれいに消してもとの状態にするようなもの…。そこに相手の機微を感じて書き込む。
だからこそ、私自身の問題は、基本相談などしません。一人になり、無音の世界で自分と向き合い、自分の考えや行動を深くかえりみて「内省」し、一人で解決する、府に落とす...。
この繰り返しなんです。日々修行のようなものです。とても時間を要する事もしばしば。。ですが、内省を繰り返し、そこから何かを学んでいく事が大切な事なのかもしれません。
内省(reflection)の目的は、自分自身や周りの人を責めることではなく、公平な第三者の目で自らの思考や行動を観察することです。
そうして気づいた事柄から自分の言動を改めるように努力することにあるのです。
そうは言っても、私も一応一人の女ですから(笑)落ち込み、悩み、悲しむ。。自分の感情や相手の言葉だけに囚われてどうにも整理がつかないこともあります。
「カウンセラーだから悩みがないでしょ?てか、悩まないでしょ?」って言われますが...カウンセラーだって人間(笑)悩むのです。
そんな自分を内省する時、自分に課すキーワードが「自己責任」「許す」「感謝する」の3つです。これをもって内省すると
人を恨まず、妬まず、比べず、怖がらず、悲観的にならず整理出来る気がします。
内省で自問自答する時は、こんな風に自分に問いかけます。
■自己責任。。。「その事柄は自分でやりたいと決めてやった事なのか否か?」「自分以外の外的要因があったのか?しかし本当にそれが原因なのか?」
■許す。。。「許せない理由は何か?」「許さないことで自分にも相手にもどんな影響があるのか?」「許すことで自分にも相手にもどんな影響があるのか?」
■感謝する。。。「この経験のおかげで●●に気が付くことができた」「この出会いや縁によって●●のように幸せに感じる事ができた」「それは当たり前ではない..有難き事だよな・・」
そうすると、その時は自分の価値観や、言葉、瞬間的な感情に囚われて、見えなかったことが見えてきたり、気づいたり、納得したりする事で素直になれたりもする。
だから、その時に素直に言えなかった「ごめん」や「ありがとう」「おかげさまで」は、どんなに時間が経っても相手に伝えようと思っている。
こうして、
心の機微が捉えられる人間になるには、「内省出来る事」が重要かもしれないと思うのであります。。
そして何を隠そう私自身....新年早々から内省の自問自答しております。。