私は2度離婚を経験している。
いずれの離婚も確かに大きなリスクはあった…
だけど、
何かを失いたくないから…その「何か」に執着して形だけ夫婦でいるなんて私には考えられなかった。
例え収入源がなくなったとしても、住む家が無くなったとしても、そこに相手に対する愛情や信頼、絆みたいなものが無いなら、夫婦関係を維持する意味は無いし、私なら何度生まれ変わったとしても迷わずそのリスクをとるだろう。
何故こんな話をするか?
今日、たまたまTVで
山口達也の離婚会見を見たからだ…
彼の離婚会見を聞いたとき、彼の誠実さや奥様の素晴らしい人柄。そして2人とも自立しているな…と思った。実に清々しい離婚会見だった。
離婚会見の彼の表情に悲壮感がなく
質問にも真摯に答え
ある意味自信に満ち溢れて見えた。
双方の人生、子供にとっていい離婚だと私は思った。
夫婦の形は人それぞれだろうし
捉え方もそれぞれだろう。
しかし、彼は正直だし潔い。離婚しても父親としての責任を果たそうとしている一人の男性として単純にいい男だな…と私は思った。
夫婦関係を維持することも大切かもしれないが、お互いを尊重、尊敬できる精神状態での離婚は私の中で「あり」である。
よく「夫婦関係は破綻してる」といいながら関係を維持しようとする人もいる。
それは、子供のため…という人もいるが
子供にとってはいい迷惑だろう…
何故ならば、本当は別れない理由は
他にあるだろうに…子供に託けてるだけじゃ無いのか?
子供にそれは伝わるのに
親としての責任は、形だけを維持することが責任じゃないと私は思う。
子供が自立するまで、付かず離れず
見守り続けることの方が大切である。
私がこうしてblogを書いている今、上の住人は派手に夫婦喧嘩?をしている…
女性が半狂乱になり泣き叫ぶ声…
大きな物音…
万一そこに子供が居たら最悪である。
夫婦って何なんだろう。パートナーって一体何なんだろう…考えさせられる瞬間だ…
「愛してる」って言葉は大切な言葉だと山口達也が会見で言った…そこには相手に対する尊敬の意や、その言葉に値する人がいるということは幸せなことだと…
彼が言うその言葉には説得力があった。
私は、何の駆け引きもなく嘘もなく…真っ直ぐに自分の無償の愛情を注げる対象でなければ「愛してる」なんて言葉は使わない。
純粋にその人の存在を大切に想い
その人の幸せを願い
笑顔でいてほしいと願うこと
そして、何よりその人を支えたいと思うことが男女関係なく「愛」なのかもしれないと…
私は馬鹿正直で不器用なのかもしれないが、そんな自分は嫌いじゃない。
自分にも相手にも嘘のない生き方が好きだからだ
でも、そんな生き方故に、深傷を負うことばかりだがそれでもいいと思っている。
自分を偽り誤魔化しながらの人生なんて
生きたくはない。
私は今でも離婚した二人の旦那様は
尊敬と感謝の念しかない。恨んだことも一度もない。
娘を授けてくれた初めの主人と、一緒に育ててくれた2番目の主人共に人生の同士だと思っているからだろう。
間違いなく二人との出会いがなかったら今の私はないのである。
今、私が幸せと感じる瞬間があるなら、それは二人がいたからこそ感じられるものなんです。
何が言いたいかというと「離婚」することが決して不幸なことではなくて
幸せにつながる事もあるわけで、結局その人が夫婦の形、結婚の意味
をどう捉えるかで変わってくるのだと思います。
そして、決して「結婚」がゴールではないということ
人生は何度でも生き直せるということです。
例えその選択の結果が良くも悪くもその人次第であり、誰のせいでもない。全ては自己責任なのです。