nekomitu日記

ポンコツ日記

心に寄り添う

2016-08-16 13:09:41 | 日記


相手の心に寄り添う…

先日、私のblogにコメントを下さった方が使われた言葉…

私はこの、心に寄り添うという感性がとても好きです。

本来、信頼関係を築いていきたいと思えば、相手が何を好で、嫌いで
どんな事に哀しみ、どんな時に怒り
何をしたら喜んでくれるか…

そして何をどんな風に感じ、
どんなことに関心を持っているのか?

それを感じ取る事に喜びを感じるものだと思うからです。

実際には、心には形がないから寄り添うことはできないけど

だけど、「心に寄り添う」という、この感性そのものがわからない…或いは必要無いと思ってる人もいるだろう。

最悪の場合「寄り添ったふり」をして
自分にとっての利を得ようと
相手の心を弄ぶ人も見てきた。

自分が楽しいこと、幸せに感じること、自分の面子、プライド、利害関係を一番大切にしているから、相手の感情の機微や、相手がどう思うか?感じるか?なんて、そもそも関係無いのでしょう。大切なのは自分にとって利があるか無いか…なのです。

相手の心には無関心…

そこに揺るがずあるのは自分に対する「自己愛」だけなのでしょう。

だけど、そんな人の人生はきっと孤独だろう…
人を心から愛したり信じたりすることが無いから
ずっと埋まらない虚無感がつきまとうだろう。

人と関わる判断基準が「利害関係」と寂しさや憂さを晴らす為の「刹那的な安楽」なのですから…

私は、そんな関係なら人生において必要無い
そもそも、そんなに自分を愛して無いのかもしれない…

私は、人として生まれてきた以上
人を心から信じ、愛し、支え合い、喜び合い
その誰かの幸せや笑顔のために命を使う…

それを喜びであり幸せと感じる生き方がしたい。
たとえ裏切られたとしても。


それが、この世に生まれてきた意味だと思っている。

確かに…
若い時はそんな事考えもしなかった。
自分が楽しければそれでいいと思っていた。
だけどある時期から、何をやっても楽しくない。
何をやっても心から笑えない
満たされない事に気がついた。

そして、漠然と「誰かのために生きてみたい」
と思うようになった。

じゃあ…

私が幸せを感じる瞬間って何だろう…と
考えた時、大切の人が私と関わることで
心から笑ったり喜んだりしている姿を見て感じている時…だった。

それから生き方も考え方も変わっていった。
自分が生かされてる意味や、存在意義を考えるようになった。

人として生まれて、どんな事に自分の命を使うのか?

少し大袈裟だけど、そう考えるようになった…
死にゆくその時の自分の心のありようをイメージするようになった。

だから今の仕事にやりがいを感じているのかもしれない。

自分自身の無力さに苛まれ、限界を感じることも苦悩することもあるけれど、それでいい。

誰かが心から傷つき哀しみ…孤独の中にいるとき
その心に寄り添い、優しく抱きしめてあげられる。そんな自分でありたい。

大丈夫…たくさん泣いていい…でも闇は必ず抜ける…それまで、私が一緒に考えて、悩んで、泣いて…痛みを分かち合い寄り添うから…と抱きしめてあげたい。

そんな生き方がしたい…

何より…
私が心から望んでいるのも、私自身も誰かにそう言って抱きしめて欲しいんだと分かっている。

そうすることで、私の中に心に優しさ、思いやり慈しみという貯金ができて、その貯金を同じ思いをしている誰かに又使うことができるから…

心にその貯金がなくなると、人の思いやりを感じなくなり心は砂漠のようになることも知っているから…

喜びの時も同じこと…


私にとって「今を生きる」という価値観は
過去のblogでも折に触れ書いてきたが


結局のところ、心ない血の通わない人間関係ならいらない。自分の心に正直に、相手にも正直でありたい。取り繕った生き方はしたくないということ…

ほんの僅かでも、喜怒哀楽を共に分かち合える血の通った繋がりがあるからこそ、自分は一人じゃないんだと、人は前を向いて生きていけるんだと思う。