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こんばんは。
昨晩は、夢の中で入院して個室にいたはずが、どんどん、人が増えましてね。何とか言っても、いつの間にか部屋自体が、大学の教室程度の広さになりましてね。ぎっしり、奥様方が、年齢を問わず、詰め込んでいる。
しかも、私を取り囲んで、座ってくる。
「あー、何か自分が、やっちゃったのかな。出てけとは言わないから、何でいるんだか教えてください。」と言ったんですね。
集団が意識として持ってきたのは、「朋さんと同じようにしようと思って、同じにした。けれど、自分はうまく行かなかった。自分だけはうまくいかないのが悲しい。」「朋さんのようになりたい。だけれど、なれない。悔しい。」
ひとりのビジョンでは、パンを焼き、そのパンを売る店で、他の店員に良かれと思った事が、彼女に裏目に出ていた。他のビジョンでは、本屋だった。本を売るなかで、どうしても悪質な客がいて、そしてやっぱり裏目に出た。
「受け入れても、許して、どうして、自分がこんな目に遭うのか。何のやり方が悪いのか。」
そのビジョンを見た私は、あまりの裏目に出過ぎているその人達を目の前にして、ボロボロ涙がこぼれて、涙の中で一つだけ言った。
「私の伝え方が、悪かったね。もっともっと磨いて、書くようにするから、本当にごめんね。私自身になりたいと思ってくれる人がいたとして、できない事を書いても意味がないよね。気がつかない不備が多いんだね。ごめんね。もっと、もっと、ちゃんと伝え方を考えるから。」
そう約束したら、ひとり去り、またひとり去り、またひとり去って、部屋は結局誰もいなくなったんです。
うん。現実でもあり得るだろうな。このブログに書いている程、実は私は強くはない。だけれど、一生懸命タイミングを見測って、強い人になる一言を準備して、人あしらいもうまくなって、自分の心にわだかまりが残らないように、弱いなりにしてきた。けれど、もっと弱かった時の事を思い出した。もっともっと弱い時も思いだした。
辛くても、アルバイトを一生懸命やって、同僚に濡れ衣を着せられて、追い出された経験もある。だから、パン屋の人のビジョンは、凄く見てて、涙がこぼれたし、実際には、本屋のアルバイトで、やっぱり一生懸命見ていたんだけれど、手狭で、盗まれた事があった。だから、辛いのも分かるし、これをどう前向きに、考えていいかなんて、答えなんかあるわけがないと自分では思う。
人の常識を当てにして、そうしてそれを計算に入れて、動いていたから、人の常識や通年概念とか、そういうものは、変化しないモノだと思い込んで、人の能力へ込みで考えてきた。だから、失敗すれば、凄く怒ったし、フォローをしない人に、怒りを覚えた事もあった。万引きをしたり、平気で何でもお店のものを食べてしまう人達や、そういうルーズな人だった事を考えないで、
「自分の領分だけ守っていればいいかと思ってた。だけど、それじゃうまくいかないんだ」
人と言うのは凄くあてにはならない。気まぐれもあるし、ある日その人を取り巻く環境が壊れたら、あっという間にその人は、急に変わってしまうのはよくある事だった。で、いつも、その人が同じ常識を提供してくれ続け、信頼感があり続けるる訳はないのに、人に善意を期待してしまいすぎて、上の問題は起こる。
夢の中の人にフォロー文章をブログで書くのもどうかと思うが、
「人の善意は、その人の家庭環境に凄く因る(よる)。その家庭環境と言うのは、現在住んでいる状態だったり、過去の親子関係や、今後の様々な家族イベントの可能性を考えながら暮らす状態もさします。だから、凄くあやふやなんです。
ある日、イキナリ会社でと言う事は、今では割と良くある事になってきた。それも、正社員であってもそうだし、派遣やアルバイトでもそう。
自分の領分ばかりをきっちり堅固するより、多分日本人は、グレーゾーンがあった方がいいんだと思う。そして、そのグレーの中で、皆の善意を調整できあえれば、本当は、不意な事や、善意がない人にも余裕がないまま、当たらずに済む。
だけれど、今の勤め方の王道は、何一つない。堅固に要塞として守るより、割と幅広い活躍をする人の方が、ニーズはある。どうして行ったらいいのか、私も考えたい。それは、他人事ではないから。」
これで、取りあえず、考えてみてください。
人の善意は、一定ではない。非常に変化しやすい。だから、人に何かを期待する時は、
「他の人は、いつも自分と等分の善意の塊ではない」
と認識してから、かかった方が、まだリスクを防げるでしょう。
朋
昨晩は、夢の中で入院して個室にいたはずが、どんどん、人が増えましてね。何とか言っても、いつの間にか部屋自体が、大学の教室程度の広さになりましてね。ぎっしり、奥様方が、年齢を問わず、詰め込んでいる。
しかも、私を取り囲んで、座ってくる。
「あー、何か自分が、やっちゃったのかな。出てけとは言わないから、何でいるんだか教えてください。」と言ったんですね。
集団が意識として持ってきたのは、「朋さんと同じようにしようと思って、同じにした。けれど、自分はうまく行かなかった。自分だけはうまくいかないのが悲しい。」「朋さんのようになりたい。だけれど、なれない。悔しい。」
ひとりのビジョンでは、パンを焼き、そのパンを売る店で、他の店員に良かれと思った事が、彼女に裏目に出ていた。他のビジョンでは、本屋だった。本を売るなかで、どうしても悪質な客がいて、そしてやっぱり裏目に出た。
「受け入れても、許して、どうして、自分がこんな目に遭うのか。何のやり方が悪いのか。」
そのビジョンを見た私は、あまりの裏目に出過ぎているその人達を目の前にして、ボロボロ涙がこぼれて、涙の中で一つだけ言った。
「私の伝え方が、悪かったね。もっともっと磨いて、書くようにするから、本当にごめんね。私自身になりたいと思ってくれる人がいたとして、できない事を書いても意味がないよね。気がつかない不備が多いんだね。ごめんね。もっと、もっと、ちゃんと伝え方を考えるから。」
そう約束したら、ひとり去り、またひとり去り、またひとり去って、部屋は結局誰もいなくなったんです。
うん。現実でもあり得るだろうな。このブログに書いている程、実は私は強くはない。だけれど、一生懸命タイミングを見測って、強い人になる一言を準備して、人あしらいもうまくなって、自分の心にわだかまりが残らないように、弱いなりにしてきた。けれど、もっと弱かった時の事を思い出した。もっともっと弱い時も思いだした。
辛くても、アルバイトを一生懸命やって、同僚に濡れ衣を着せられて、追い出された経験もある。だから、パン屋の人のビジョンは、凄く見てて、涙がこぼれたし、実際には、本屋のアルバイトで、やっぱり一生懸命見ていたんだけれど、手狭で、盗まれた事があった。だから、辛いのも分かるし、これをどう前向きに、考えていいかなんて、答えなんかあるわけがないと自分では思う。
人の常識を当てにして、そうしてそれを計算に入れて、動いていたから、人の常識や通年概念とか、そういうものは、変化しないモノだと思い込んで、人の能力へ込みで考えてきた。だから、失敗すれば、凄く怒ったし、フォローをしない人に、怒りを覚えた事もあった。万引きをしたり、平気で何でもお店のものを食べてしまう人達や、そういうルーズな人だった事を考えないで、
「自分の領分だけ守っていればいいかと思ってた。だけど、それじゃうまくいかないんだ」
人と言うのは凄くあてにはならない。気まぐれもあるし、ある日その人を取り巻く環境が壊れたら、あっという間にその人は、急に変わってしまうのはよくある事だった。で、いつも、その人が同じ常識を提供してくれ続け、信頼感があり続けるる訳はないのに、人に善意を期待してしまいすぎて、上の問題は起こる。
夢の中の人にフォロー文章をブログで書くのもどうかと思うが、
「人の善意は、その人の家庭環境に凄く因る(よる)。その家庭環境と言うのは、現在住んでいる状態だったり、過去の親子関係や、今後の様々な家族イベントの可能性を考えながら暮らす状態もさします。だから、凄くあやふやなんです。
ある日、イキナリ会社でと言う事は、今では割と良くある事になってきた。それも、正社員であってもそうだし、派遣やアルバイトでもそう。
自分の領分ばかりをきっちり堅固するより、多分日本人は、グレーゾーンがあった方がいいんだと思う。そして、そのグレーの中で、皆の善意を調整できあえれば、本当は、不意な事や、善意がない人にも余裕がないまま、当たらずに済む。
だけれど、今の勤め方の王道は、何一つない。堅固に要塞として守るより、割と幅広い活躍をする人の方が、ニーズはある。どうして行ったらいいのか、私も考えたい。それは、他人事ではないから。」
これで、取りあえず、考えてみてください。
人の善意は、一定ではない。非常に変化しやすい。だから、人に何かを期待する時は、
「他の人は、いつも自分と等分の善意の塊ではない」
と認識してから、かかった方が、まだリスクを防げるでしょう。
朋
年上だけど、する事が人生の先輩に思えなかったり。
どうしてだろうと見つけた言葉は、
自分のした事に常識が低い人もいる
期待するけど、さほど期待しない
でした。
自分に起こった事に「引き寄せたから。」と言われたた時は凹みましたが~。
よくない知恵を働かせないとやっていけない世の中ではないと思ってます。
朋さんが書いてくれる事で、今までかなり助かってきましたー。
さらに伝えてくれようとしてくれる事に感謝(^人^)
私の元には、かなりなブログのトラックバックが送られてきます。その内のひとつは、悪い事はみんな引き寄せの法則だとか、感情の法則で物事が治ると書いてあります。無論、承認した事はありません。
そもそも、器質性は、感情の法則とか、引きよせとかでは、何にも解決しないのでね。
ちなみに、年上だからと言って、達観している事はないです。若いサバイバーの女の子が、人生60年になっても文句を言い続けるおばさんより、達観している時は幾らでもあります。
>よくない知恵を働かせないとやっていけない世の中ではないと思ってます。
家族の中にも敵がいる以上、思う以上のリスクマネジメントと、人への過剰期待を避けた方がいいのは無難でしょうね。
どうもありがとうございます。