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こんばんは。
今朝、実母と話をしていたんですが、彼女の生き方って基本的に、「精神鍛錬すれば、全てを乗り越えられる」なんですよね。
ただ、それだけじゃうまく行かないケースもあるわけで、そういう生き方を押し付けられて育ってきたわたしとしては、良くここまで耐え抜いたものだと思いますが、ずば抜けた耐久性が、情けない事に足を引っ張る事もあります。
誰でも、最初からずば抜けた耐久性を持っているわけではないんですね。
わたしも、泣きながら色々なことを仕込まれて、引きずり回されて、それを自分で痛みとして受け取っても、親は、精神鍛錬が足りないから、痛いのだと言う答え方をしてきたんですよ。実家の考え方には、中々ついていけませんでね。そりゃ、若い頃は、痛みを痛みとして受け取る事さえ、許されなかったんですよ。
ストレスを発散したくても、その術を知らぬわたしに、ストレスをためることが悪いのだと親は申しました。
わたしは、悩みに悩んで、考えて、ストレスを感じることを罪悪だと思ってしまいました。無論、わたしに課せられるストレスは、幼い頃から半端なかったので、潰される思いはしていました。わたしが、15で心療内科の門をくぐろうとしたときは、親は、こんな薬で騙されるな、お前の精神が鍛え抜かれていないから、ストレスだと感じるのだと、そう言い捨てて、わたしには、現状維持を強いました。
わたしは、学校での悩みもあったのですが、親は泣いて訴えるわたしを軽蔑した顔で見て、初めて大きな揉め事に巻き込まれたときには、たった一日だけ泣く事を許すと言い、翌日泣いていた私を見て、張り倒すほどの勢いでいました。
今考えると、当時の私の悩みは、恐らく、巷で騒がれるいじめ問題と大体似通っていたと思います。死ねとか、早く飛び込めとか、そういうことを強要されることが多く、また、何故か教師受けがいい顔なので、教師のいないところで、徹底的にいじめられたんですね。まぁ、行きすぎがあって、歩道橋から突き落とされるとか、水場で突き落とされるとか、そういう、一歩間違ったら、死んでいたんじゃないかと思う時もありました。
だけれど、親は精神修養が足りないから、ストレスを感じるのだと言うけれど、歩道橋から突き落とされると、流石にこれは、ストレスになるんですよ。死ね死ね言うのはいいんですが、言われる側は、折れるんですよ。何か、自分なりの世界をもたなければ生きていられない。だけれど、親は、わたしの私物でさえ、気に入らなかったら、勝手に処分する有様。わたしが、安心して私物を持てたのは、結婚してから。ただし、その私物を、主人が、「悪意はない」と言って壊して歩きましたが(苦笑)。
その親は、精神修養が足りないと言い張って、お嫁さんと同居して、70代後半にて、帯状疱疹になるのですわ。
彼女は、医者がくれる鬱の薬を一切拒否し、こんな馬鹿になる薬は要らないと申しましたが、しかし、治りが遅いのですわ。痛ければ、誰でも、気分は低下しますし、意欲は湧きません。そんなの当たり前です。痛くて苦しいからこそ、悩むんです。ただ、それを、母は、精神力で乗り越えられると思ったそうなんですね。
んじゃ、やってみたらいいんじゃない?って、今でこそ思いますけれどね。
でも、結局は、何もできなかったんですよ。痛くて眠れなくて、それでも、精神力が足りないと言い張ってきた老母は、ここに着て間違いを認めるんですわ。痛くて苦しいのを我慢して、血中濃度による薬を、飲んだりやめたり、勝手にしてたら、流石に、自律神経が狂うんじゃないかしらと、そう言った娘の話に、「それも、一理あると今では思う。」と認めたんですよ。あの、頑固な実母がですよ。認めるって、余程の事じゃないですか。
よくわたしは、ストレスをどう昇華しているのかと聞かれます。
単純に申せば、わたしは知的な満足を得られると昇華できるんですよ。昔は、それでも、このブログの最初の頃のように、歌ったり、何か出さなければ昇華できなかったんですが、今じゃ、影響力のありすぎるブログを行うより、知ることに楽しみを感じるのですよ。行える事に楽しみを感じるのですよ。わたしは、失った機能はあるけれど、できる機能の中で、ストレスを昇華する方法を、何年もかけて探したんですね。
自分なりにあったストレスの解消方法があるからこそ、顔に苦労が出ないのですよ。
自分にあったストレス解消の方法を持ち、自分なりに表現できる場を持ちますと、人は他のストレスは割りと感じないものなのですよ。ずば抜けて耐久性がいいIT企業の社長さん達を御覧なさい。セックスや、愛人を囲う事で、ストレス発散なんですよね。そういう手段をさげすむのではなく、逆に、そういう手段で、解消しているからこそ、人の上に立つという仕事ができるのですよ。不倫は、法的には困った問題ですよね。だけれど、彼らは、そういうことで、自分の背負う莫大な責任のストレスを解消しているんですよ。
だからと言って、一般市民がこれを真似する事はできないですね。無論、愛人には金が掛かりますし、そもそも、彼らは稼いでくる額がハンパないですから、奥さんも黙ります。奥さんを黙らせることができるほどのお金を稼いで来たら、不倫は悪いという一般的な概念がひっくり返るんですよ。
何をもって正義となすか、そこが大事なんですね。
ただ、自分でも思いますが、自分なりのストレス解消方法を見つけるのは至難の業ですし、普通はストレス解消方法を探している間に潰れてしまいます。死ね死ねコールを受けながら、自分のストレス解消方法を見つけられるような人はいません。だからこそ、痛みや苦しみがあったとしたら、思う存分打ち込める趣味はもった方がいいですね。それが、どういう形であれ、なんであれ、「これで成功して、人を見返してやる」なんて思うやつには、そもそも、ろくな趣味が見つかりません。
スピリチュアルは、野心家の巣窟ですが、人を見返すために、努力する努力は、苦労が伴いますよ。
自分が生きていく為に見つける趣味なら、これは、喜びがあるのです。ですが、人を見返すとか、人に何か一矢報いたいとか、復讐の為に趣味を見つけるのなら、ろくな気合の入れ方もできないでしょうし、見返したい人の挙動にばかり焦点が当たって、集中力も欠けるでしょう。自分がどうすれば、自分らしくいられるかを探し求めるのなら、人も手を貸すでしょうけれど、誰かを見返したいのなら、手を貸す人はいないですよ。
自分を正当化したい気持は分かるのですが、一応、何かある時には、双方に何かしらの問題点があるのだと思います。それを、人を見返したいとか、頂点を目指したいと思う人は凄く多いのですが、頂点は、そんな安易に極める方法なんてありません。もちろん、そんな安易なトリックもありません。努力を努力と思わないうちに、自然と称号はついてきます。
ただ、それを、安易にパッとできる方法を探している間は、ストレスに耐えかねて悲鳴を上げる事が多いと思います。
人間が出来る許容範囲のストレスは、個体差があります。ですが、その個体差を伸ばす方法があります。それは、適度に期待しなかったご褒美を与えて、伸ばす方法です。自分で加減してたら、伸びないです。艱難辛苦を乗り越える人たちは、何度も何度も諦める瞬間をもって、その都度、もうダメだと思いながら、ご褒美が来ます。ですが、そのご褒美目当てじゃ、人間は簡単に潰れます。
自分で、自分なりの自分がいられるところを見つけることが大事なんです。
ストレスについて、もう少し考えて生きましょう。
朋