生きる自由

シングルマザーと娘のドタバタ生活日記

今、考えなければならいこと

2012-09-10 | こどものこと

ちょっと弱音。独り言。



2学期が始まって、娘が学校に行きたがらなくなった。


働かなきゃならない私。

てんかん発作を起こすかもと思うと、一人置いていくわけにもいかない。

不登校。


どうしたらいいんだろう。


困った。










ニュージーランドの思い出 その2

2012-09-09 | 旅行

海外へ向けての初の保安検査。

娘が身に着けていた貴金属を外させて、

自分も携帯やら何やら外してトレーに乗せて、

よし大丈夫だ!と堂々と金属探知機通ったら・・・

ピンポーンって

え、なんでなんで??


手に持っていたパスポートケースにフックが着いていて

見事に反応してしまったのだ。


優しそうなお姉さんが

「ちょっとこちらにいいですか~」

スリッパに履き替えて、あのテレビとかでよく見る携帯金属探知機で

上から下までぬかりなく!調べられ・・・・

結構恥ずかしいのね。

一人だけ、って感じで。


娘は難なく通り抜けて不安そうに母を見てた。

そりゃそうよね。

ごめんね、娘。抜けてる母で。



いよいよ時刻も迫ってきて、

搭乗口前で待つ。

ここまでは日本語が通じた。


私、飛行機でも日本語がわかるCAがいると思っていた。

ニュージーランド航空だけどいると思ってて、

何かあっても大丈夫だろうなあんて軽く考えていた。

いざ、搭乗。

いた!

一人日本人のCAがいた。

ラッキーなんて思ったのもつかの間、

そのCAは向こう側の通路が担当らしくこちら側の通路には来てくれなかった

何を聞かれても英語、何か頼みたくても英語。

自分の英語力のなさに呆れてしまった。


ま、飲みたいものは飲めたし、料理も選べたし、

書き損じたからイミグレーションカードもう一枚ほしい、も伝えられたし。

良しとしよう。



出発時刻は18:00。

離陸して1時間半後くらいに夕食の時間。

娘に薬を飲ませて。

その後、私も娘もビデオを見たりしていたらあっという間に22:00。

慌てて娘を寝かせて。

でもやっぱり、夜中にてんかんの発作を起こしてしまった。

疲れと寝不足は大敵。

そして寝慣れない飛行機のシート。

軽い発作だったのでそのまま様子見。



日本時間3時半。

朝食の時間です、とアナウンス。

えっっ?

そうか。

時差3時間。

ってことは、もう朝の6時半ってことね。

でも、眠い。

実質5時間くらいしか寝てないもの。

娘は・・・起きられず、ほとんど朝食には手を付けられなかった


眠い娘は降りる支度もままならず、

結局一番最後に飛行機を降りた。


この後、何が起きるかも知らずに

私たちはオークランド空港に降り立った。


つづく













辛かった告知

2012-09-06 | こどものこと

今回は娘のこと。


今年9歳になる娘は、てんかんがある。


最初の発作は2歳のときだった。

脳波を撮っても異常なしの診断。

知識がなかったから、娘の発作を目の当たりにしても

「医者が脳波を見て異常ないと言ってるから・・・」

と、おかしいと思いながらも普通に生活していた。

発作があるのはたまにだったし。


でも、やっぱりおかしい。

そう思ったのはシングルになって少したってから。

東京に戻ってきてから、脳波を撮ってくれる小児科に行った。

でも、そこでもなんだか分からない診断。


発作なんて知らなかったし、

自分の愛情不足とか、娘のことしっかり見てあげてないんじゃないかとか、

たくさん自分を責めていた。


幼稚園に通い始めて、でも私は仕事をしていたから、

園の預かり保育をお願いしていて、お迎えが一番最後のときもあった。

だから、さびしくてそんな発作が起こるんじゃないかとか考えた。

幼稚園の先生にも相談した。

たくさん悩んだ。

当時、まだ我が家にパソコンがなく何かを調べるということもなかったの。



寝てから発作を起こすから、

疲れちゃったりして娘が先に寝てしまうと、

私はお風呂にも入れなかった。

トイレも戸を開けてないと娘が心配だった。


ただ、そういう時期には波があって、何もないときは全く何もなかった。

1年に2回~3回。

1~2週間程度。

だから余計に調べることをしなかったのか。



年長の夏。

いつもは睡眠時の発作しか起こさなかったのに、

覚醒時に発作を起こした。

びっくりして慌てた。


絶対おかしい。

調べまくった。

とあるドクターのサイトに行き着いた。

そのドクターが書いている症状そのものだった。

てんかん専門医。

これだ!と思ってすぐに予約の電話をした。

ところが、そのドクターに診てもらえるのは半年後。

えぇ~~!!

それじゃ遅すぎると困ってしまったら、

「ほかにもてんかん専門医がいますから」と

小児神経科・てんかん専門医の先生の予約を入れてくれた。

診察してすぐに「検査入院しましょう」。


私も娘も心の準備をする間もなく、

3日後に入院となった。


この入院は娘はもちろんのこと、

私も辛かった。

今まで、看護師3人と私の4人で押さえつけないと注射できなかった娘が

静かに反対を向いてひたすら耐えている。

完全看護のため親は8時には帰らないといけないのだが、

言葉少なくさびしそうに私が帰る前に寝ようとしている。

CT、MRI、SPECT

いろいろな検査に耐えている娘に「ごめんね」と思わずにいられなかった。



この病院で、一晩中の脳波とビデオ撮影をした。

結果、てんかん。

ドクターに告知されるのは、それはそれで辛かった。

診断がついたことで治療も開始できるのだが、

やはり

「私の(脳)と取り替えられないですよね?」



バカなことを聞いてしまった。

そんなことできっこないのは分かっているのに。


服薬が始まった。


私だったらよかったのに。

替わってあげられたらいいのに。


ドクターに「お母さん、自分を責めないで」と言われた。

でもやっぱり「わたしのせいですか?」

と聞いてしまう。


頭では分かっていても辛かった。

毎日、娘に「ごめんね」と心の中で言っていた。



あの時は受け入れられなかったんだ。






















ニュージーランドの思い出 その1

2012-09-02 | 旅行

2011年9月

1週間のニュージーランド現地生活体験ツアーに旅立った。


出発を決めたのは5月。


ネットで探し当てたのは、親子留学をきちんと考えている

とある会社。

でも最初は、この会社大丈夫かな?と、やはり不安。

だって、海外が初めてなうえに子供を連れて行くんだもの。

向こうで何かあっても英語では意思疎通ができない。


現地の学校を案内してくれる

日常生活で必要なところを一緒に回ってくれる

そういう、ただ旅行ではなく留学だけでもなく

「生活」ということを知ることができるツアーを提供してくれていた。

(もちろん日本語


調べて調べてここにしようと決めた。

急いで二人分のパスポートを取りにいった。

予約が埋まらないうちにと、航空券と同時進行で予約した。

6月末日の申し込み。

7月頭に「入金確認しました」、と予約受理。

後は、支度をして待つだけ。



海外・・・。

支度って・・・洋服しか思い浮かばない。

こんな私、行けるのかな?と、それも不安。

あ、スーツケース買わなきゃ

え、そうか!南半球だから季節逆

えぇ!秋冬の洋服なんて出してないし

日本はまだまだ残暑の厳しい9月。

一方、ニュージーランドはもうすぐ春というまだ涼しい季節。

何持っていけばいいのぉぉ。

そんな海外初心者が、どうにかこうにか支度をして、

出発を待つばかり。







時差は3時間。

あと10日後だったら4時間になっていたらしい。




18時成田発の飛行機に乗るため、かなり余裕を持って家を出る。

娘は午前中で早退。

わくわくドキドキしながら、成田空港に向かうバスの中で軽くお腹を満たした。

っていっても、コンビニのから揚げとかおにぎりとか。




パスポートと航空券、忘れていないか落としていないか、

何度確認したことか



一方、娘はというと、

肝が据わっているのか何も考えていないのか

全然不安がる様子もなく、

ただ連れて行かれるがままに・・・ついてきた。


楽しみにはしていたと思うんだけど。

もしかしたら私が勝手にそう思っていただけかもしれない。



空港到着。



チェックインもして、




展望デッキからニュージーランド航空の機体を見て、



ちょっとお茶して、

さあ、時間だ!


いざ保安検査へ


つづく






山村留学

2012-09-01 | こどものこと

夏休み

娘が短期山村留学した。

北海道の沙流郡日高町というところ。


良くも悪くも何もないところ。


全校生徒5人の小さな小学校のみんなが出迎えてくれた。

地域の人も先生たちも。


親と離れて3泊4日。

山村留学の里親さんちにお世話になった。


酪農と農業の場所。


娘は、生まれて初めて牛の出産に立ち会った。

子牛にミルクをやったり、乳絞りをしたり、

ピーマンを取ったり、

じゃがいもの収穫をしたり、

乗馬をしたり、

川で魚釣りをしたり、

学校の裏山に登ったり、

そこらじゅうにカブトムシやクワガタがいたり、

そして、東京では決して見ることのできない満天の星に圧倒され、

楽しんで楽しんで帰ってきた。


ここの地域で採れたピーマンを「美味しい美味しい」と娘は食べていた。

いつもは残すくせに。


「とうきびは、もいだ瞬間から味がおちるからね」と、

里親さんは、お湯を火にかけてから畑にとうもろこしをもぎに行ってくれた。

娘を連れて。




大きなスーパーまで車で40分。

それも信号のない道路をひたすら走って。

ファーストフードも同じくらい。

本屋さんも同じ。


でも、雄大な自然に囲まれておいしい空気を吸って、

おいしい野菜を食べて、

降ってくるような星を間近に感じて、

うらやましい生活だと思った。



娘が里親さんちにお世話になっている間、

親は一緒にはいられないということで、

私は近くのビジネスホテルに素泊まり。

あまりお金かけられないし。



3泊4日じゃ何もわからないのかもしれないけど、

脱東京を考えてしまおうか・・・(仕事あるかな