気まぐれな一匹狼のブログ

ただの一匹狼が書き綴るくだらない雑記

梅雨の連想

2020年06月26日 22時12分53秒 | 日記
 梅雨は僕にどのような印象を残してきたか? ほとんど何の印象も残さなかった。それは毎年やってきては意識にのぼることなく通り過ぎていく。無口な通行人だ。あなたは街ですれ違う通行人を覚えているだろうか? おそらく覚えていないに違いない。もちろん、ときどき何かのきっかけでふと心に留まるものを目にするかもしれない。知り合いに似ているとか、美しい容姿をしているとか、何かそういったような理由で。毎年とくに意識するでもなくすれ違う梅雨も、ときには記憶に残るような何かを手に僕の前に現れたりするのかもしれない。「かもしれない」と言ったのは、いまのところ心当たりがないからだ。それはちょうど通行人のなかの美人をみて、そのとき心に留まっても、時間と距離に応じて記憶が薄れていくのと同じだ。「通行人が目を惹く場合もある」という抽象化された認識だけが手元に残る。かつて僕が梅雨に見出したであろう具体的な何かも、いまとなっては所在が明らかでない。梅雨にも何かおもしろいことや悲しいことのひとつくらいはあるだろう、という一般論だけが口にできるのに過ぎない。


 某日。重苦しい雰囲気をあたりに感じる。きょうから一週間はずっと雨が続くようだ。冬が去って春がやって来ると、日を追うごとに世界は色彩と熱を強めていくというのに、その絶頂に至る少し前に灰色のじめじめした暗い時期を挟むのになかなか慣れないでいる自分を発見する。それは毎年繰り返される経験であるのに、そのたびに新しい発見ででもあるかのように梅雨への違和感と驚きを覚える。しかしその古く新鮮な感情も日常の些事に隠れてどこかへ行ってしまう。曇天と生ぬるい雨を前にしては、倦怠と義務感と焦燥の間を揺れ動きながら、ともかく道を急がねばならないからだ。もし梅雨の時期が休みであったなら、少なくとも義務感と焦燥からは解放されていたかもしれない。これもまた梅雨のたびに空想することだが、とくに行き場のないものだ。基本的に無駄だけれど、ただ路面の滑りを恐れるのに注意を無駄に回さなくて済むくらいの効能はある。

 
 いっそ冷たい雨が勢いよく降ってきて、街を震え上がらせたらいいのに。さいきんはそう思う。




習慣を取り戻す

2020年06月20日 21時36分51秒 | 日記
どうもどうも。お久しぶりです。
いやあ、きょうまでの間にとんでもない状況になりましたね。新型コロナウイルスによって、まさか世界がこんなことになるとは。なにが起こるか分からないものです。まあ、この「なにが起こるか分からないものです」とひとが言いがちなのは常に分かってしまうものですけれど。

こういう時世だからと言うんじゃありませんが、さいきん読んだ森博嗣『悲観する力』は参考になりますね。要するに、できるだけ都合の悪い未来を想定して、それに対処する方法までをもあらかじめ考えておく、そのためになるべく余裕をもっておく、という考え方なのですよ。
(2020/06/09)

(2020/06/20)

はい、ここまで書いて放置してしまったので、なにを書くつもりだったのか失念してしまいました。習慣を取り戻すということでしたが、その意欲と宣言を途中で放棄してしまいましたね。この先延ばし癖は根深い問題です。だれかはやく助けてくれ。

森博嗣のエッセイ好きですねえ。いきなり話題が変わりましたが、そんなことは気にしないでいきたいと思います。気にしないのも重要なんですよね。どういう場面で重要なのか? それも気にしないんですね。気にしない、気にしない。無責任、無責任。

森博嗣のエッセイが好きなんですよ。どうして好きなのか? 気にしな……ええっとですね、具体的な書名を挙げるのは面倒なのでしませんが、その合理的な考え方に惹かれますね。世間では一生懸命やるのが推奨されていますが、彼はそもそも一生懸命やらなければならない状況にならないように事前に考えて余裕を見ておくんですよ。これは非常に大きな違いですね。いまだれの目にも明らかなことを言ってしまいました。

この「一生懸命にならないで済むように事前に複数のパターンを想定して対策を練っておき、また対策の実行の際に無理が起きにくくなるよう余裕をみておく」という姿勢はたいへん参考になります。なぜって、それはわたしが彼と対極にある生き方をしてしまったためにその無意味さを痛感しているからです。

たとえば、学校のテスト。森博嗣方式なら、テスト内容については出題範囲を確認し、自分の得意と苦手を把握して、手持ちの時間を考慮してどこにどれだけの時間と労力をかけるのかを検討するでしょう。わたし? わたしはなにもしません。正確にはテスト直前になるとそれまでの余裕をかなぐり捨てて、慌ててテスト範囲を頭に詰め込むという the last minute 野郎に変身するのです。

直前大慌て徹夜詰め込み方式もそこそこの成果を挙げられるので、いままでこの方式に慣れていたのですが、なんか途中からダルくなってきたんですよね。まず徹夜とかしんどいじゃないですか。それも10代の頃だったら全然問題ないんですけど、成人するともうね……。徹夜だめだめ太郎ですよ。本名じゃありません。

体力だとか気力のことを考えると、どうしたって短期間高負荷のやり方では物事を達成するのが困難になりこそすれ、その逆はなくなっていくわけです。すると、どうしても路線変更しないとまずくなる。そこに森博嗣ですよ。彼の無駄なく無理なくやる姿勢がいいんですよ。そもそも学校のテストくらいなら短期間高負荷方式とも相性が良かったりするのですが、世の中は学校のテストで成り立っているわけではなく、むしろもっと継続的に取り組んでいくのが求められる課題ばかりが目立っていますからね。

はい、というわけで今回は以上です。失速してしまいましたが、仕方ないですね。これから書く習慣を取り戻せていけたらなあと思います。今回はその第一歩です。



中身のない文章

2019年09月23日 20時25分55秒 | 日記
 なにかを書きたいのになにも書きたいことがないとき、僕はよく中身のない文章を書くようにしています。これまでの記事を見てもらえばわかる通り、なにか読む価値のあるような文章を書いたことは基本的にはありません。それは単に能力的な意味で書けないというのが主な理由ですが、それだけに留まらず、意味があろうとなかろうと書きなぐりたいという意欲が昔からまあまあの強さであったというのも大きい理由としてあります。

 文章に中身がないことは、必ずしもその文章を書くこと自体に中身(=意味、意義)がないということを意味しません。世の中には自分にはとても理解できないような価値観をもった人間がいて、彼らがなぜそこまで熱心にこちらから見て無意味にしか思えない物事に熱中してしまえるのか理解に苦しむ、という経験は誰にでも多かれ少なかれあるでしょう。僕の場合は、中身のない文章を書くのが結構好きなのですが、これはひとによっては無意味な行為として目に映るでしょう。ところが、僕自身はそれを無意味だとは見做していません。中身のない文章を書くのは、時には無視できないような意義を持つこともあるからです。

 中身のない文章を書くのは、気持ちの切り替えにつながります。僕らはだれでもそれなりに骨の折れることを経験するものです。骨の折れる経験には、報われるものもあれば、報われないものもあります。愉快なものもあれば、不愉快なものもあります。ほとんどの場合、人生で遭遇する骨の折れる経験は、僕らが積極的に望んだからというよりは、どういうわけだか分からないけれども外部からやってくるようです。だってそうでしょう。わざわざ苦労を買って出るひとはそうそういませんから(でなければ、「自己啓発」の本が書店で平積みにされている説明がちょっと見当たりません)。そうやって外部からやってくる面倒事を、僕らはどうにかこうにか切り抜けたり先延ばしにしたりなかったことにして何とかやっていくわけですが、毎回気分が良くなって「はい、終わり」となるわけではありませんね。では、この気分をどうしてやるのか、というのが問題になる(ことにしてもいいし、しなくてもいい)。僕はそういう骨の折れる経験だとか面倒事をやり過ごした後には、こうやって特に中身のない文章を書くと、気分が良くなったり、あるいはそうならないまでもある程度切り替えができるのです。

 それでもし皆さんの気分が晴れずにいるとして、そういうときになにか普段と違うことを試してみたいなあと感じているとすれば、ぜひ中身のない文章を書いてみてください。文章を書くときには、中身があってもなくてもいいのですが、妙に気負ってしまうよりかは、テキトーな感じでやったほうが楽しいです。もっと言うと、文章ですらなくても構いません。箇条書きでもいいですし文字を発明したっていい。なにかしら手を動かして形にしてみること、たったこれだけのことでも案外気分は整うのだということを実感してみてください。あ、もちろん気が向いたときで構いませんよ。その結果、気分が良くなったり切り替えができれば「よかった」となりますし、そうならないとしても「じゃあ、ほかに良さそうなのを試してみるか」と前進することになるかもしれません。やってみて損はないと思うので、中身のない文章を書きなぐってみるのをおすすめします。





gooブログがやけにオシャレになっているし、ブログの書き手は少なくなっている話

2019年08月05日 00時24分08秒 | 日記
久々の更新である。

今日は「久々の更新である」とだけ書いて久々の更新を終えてやろうと思ったのだけれど、久々にgooブログにログインしようといつもの画面に向かうと、抜け目のない僕はすぐさま変化に気づいたね。

やけにオシャレになっているではないか。
hatenaブログといえばシンプルでオシャレなのが売りである一方、われらがgooブログはどちらかと言うと……という認識を持っていたのに、一瞬にしてその認識が刷新されてしまったね!

はい。ここまでなんとなく思ったことを書き連ねてきましたけれども、そのあとになにを書くのかまったく計画していなかったので、急激に失速してまいりました。

いまどきブログで長文を書く習慣があるひとって少数派なのではなかろうか。いや、もちろんアフィリエイトとかそういう商業的で意識の高いブログはうんざりするほど乱立しているのですが、もっとこう、そういう実利的な目的を一切持たないようなタイプのブログと言いますか、そういうのがいまでは珍しいのではないか、という印象を持っているのですよ(言うまでもなくこのブログは非実利志向系ブログです)。

それで、どうして非実利志向系ブログの書き手が少なくなっている(要出典)のか考えたところ(思考時間0秒)、いまそういう日常的・好奇心駆動的・書きなぐり的な文章が投げられる場が、ブログからTwitterなどの短文投稿サイトに移ってしまったからではなかろうか、と思うわけです(それもう何回も見たやつ)。

それでも長文を書くひとはいて、彼らはどこにいるかというと、noteというサービスですね。noteは、僕が想定しているような非実利的長文執筆者はいるにはいるのですけれど、割とよく見かけるのは実利的なタイプです。彼らはまず特定のトピック(例:恋愛、格差、表現の自由)についてツイートしたり、論争に加わったりして注目を集め、ある程度アルファツイッタラーに変身できると、noteで有料記事を書いてそちらにフォロワーを誘導する。フォロワー数が多くなると、なかには熱心な読者(=金を払ってでもアルファの文章を読みたいひと)が一定程度いるものなので、仮に3万人のフォロワーがいてそのうち熱心な読者が1%いれば、300人は確実にお金を落としてくれる、ということも起こる。

まあ、僕は個人的にはそういうアルファの熱心な読者になるよりも、無料で読める面白い文章にしか興味がないのですが、それはいまのところそうと言うだけの話であり、ひょっとするとなにかのキッカケで教祖様にお布施をする信仰心の厚い信徒になるかもしれませんね。それは良いとか悪いとかいうことではなくて、ただその時々の自分の価値観にしたがって幸福を追求しているに過ぎないのだから、信じる者は救われるというだけに過ぎません。

なんだか雑に書き散らしてきたのでまとまりもなにもあった文章ではなくなってしまいましたが、今日はこれにて終わりといたします。さようなら。




10連休に行くべきところはここだッ!!!

2019年04月26日 22時51分25秒 | 日記
久しぶりやなあ。元気してはった?(急に関西弁)
はい、ということでね、もう明日からたのしいたのしい10連休でございますけどもね。

皆さん、なにかご予定はありますの? カフェめぐり? いいですねえ。家で静かに本を読む? それもいいじゃないですか。なんだかたのしそうですねえ。

え、旅行? 旅行ね、旅行。うん、まあ、いいじゃないですか。僕もね、旅行好きなんですよ。いやもう冗談抜きに好きなんですねえ、旅行が。旅行。うん、大好き。旅行、ほんっとに好きで、好きで好きでね、どれくらい好きかというと、実は行ったことないんですよね。

あれ、急に変な気分になってきた。うーん、なんか申し訳なくなってきたなあ。先に謝っておきますわ。どうもすみませんでした! オナシャス!)

ちょっと待ってくださいよ。旅行ってよく考えたらこわくないですか? だってニュース見てみるでしょう、そうしますとね、やれどこかの国で教会が襲撃されただの、オシャレな国に留学するも帰らぬ人になってしまっただのって話を聞かない日はないじゃないですか。僕たちはね、それはそれは危険なところに住んでるわけですよ。ね? 

海外だけじゃないですよ。日本だって安心できません。

この間、なんでも高齢者の方がたくさんの人を轢いてしまわれた事故があった、なんてニュースがお茶の間に流れたところでしょう。あ、いや勘違いしないで欲しいんですけど、別に僕は高齢者が悪いとかそういう文句を言いたいわけじゃないんです。そんなの言ったってしょうがないじゃないですか。そんなの「最近の若者は~」なんて一発ぶちかます年輩の方くらい不毛ですよ。そうじゃないんです。

考えてみてください。僕らも年とるんです。年とるといろいろと問題もでてきます。歯が抜ける。まだかろうじて残ってるにしても、もう自分の歯は数えるくらいで、あとは銀歯です。脂っこいものもたべられなくなって、和食の良さに目覚めるんです。皆さんの周りにもいてはるでしょ? そういう方。みんなね、頑張ってるんです。それでもやっぱり苦労しはるんです。ほんとですよ。だって長いこと生きてはるもん。ただ長く生きてるだけやない。そら疲れがたまってますやん。疲れがたまってたまって、そこらじゅうにガタ来ますやん。

スマホの画面擦り過ぎて指先の感覚なくなるでしょ? あれと一緒ですよ。あれがもっともっと蓄積されて、もうそうなると指先の感覚なくなるわ、指先に汗もかかなくなるわ、それでもこすってこすってどうなるかな~と興味本位で先まで行ってしまうともう指紋が消えてるんですわ。指先つるつるやないか。

何の話してるのかちょっとわからんくなってきたけど、ともかくね、安全第一。これだけは守ってください。もうね、人生なにが起こるかほんとうにわからない。だから安全第一。第二はなんなんだとか聞かないでくださいね。そういう二次的なことはどうでもいいんです。どうでもいいと言ってしまうとなんかそれは言い過ぎやろ、って思われるから言いませんけれど、まずはね、周りをよく見て、大丈夫かな、このまま行ってしまってもいけるかな、そういう注意をね、ほんの数秒だけでもいいからやってほしいですね。

いやもちろん、そんなの気にしてたら旅たのしめないやろうがとおっしゃる方もいるのは重々承知です。わかりますわかります。そんななんにでも神経質になってたら人生たのしめるかい、となりますよね。だからね、無理はいいません。義務じゃない。僕は見ず知らずの人様に義務なんて課すようなやつじゃありません。たまにいますよね。会社の上司でもないくせに若者に説教ぶつおじさん。僕はああいうのじゃないんです。だからそこだけは安心してもらいたいです。

それで、まあ話を戻しますと、このGW10連休いったいどこに行ったらいいんですかと、どこに行ったらもうハズレなしに楽しめるのかということですよ。もう僕ね、考えたんですよ。見つけちゃったんですよ。どこに行ったら最高の10連休を過ごせるのか。気になりますか? 気になりますよね。いやそこは気にしてくださいよ。じゃないと話進まないですから!

もうね、探しましたよ。もうあっちこっち行きました。グーグルマップで探しました。グーグルアースで探しました。ツイッターでも探しましたよ。まったくカロリー消費せずにただパソコンかスマホいじってただけのくせになに苦労話みたいに言ってんねん。はい、その通りです。おっしゃる通りです。出不精なんです。そもそも旅行行かないんです。インドア派なんです。

前置きが長いんだよ、とお叱りになられる方もどうかあと少しだけお付き合いください。もうね、僕も悪いとは思ってるんですよ。ただこの10連休どこに行けばいいのかそれだけを教えろって話やのに、なんでこいつはずっとうだうだ話を長引かせているんや。ほんとうにそうですよ。われながら話長すぎやろ、ほんまにこれだけ引っ張っとってええとこ紹介できんのか? なんかうそくさいなあ、って思いますもん。僕ならまずここまで読まないですね。

はい、ということで、もうこれ以上明日からの出先を決めかねてる人が僕のこの記事で足止め食らわないようにちゃちゃっと言っちゃいます。それではお待ちかね!!!!!!!

今年のGW10連休・・・、デデンッ!!!・・・行くならここだッ!!!
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