要約
自虐や自嘲は、しばしばこちらを攻撃する隙を狙ってやまない他者像や、漠然とした曖昧語をそれらしい感じで使用するなどの誤った前提に基づいている。これには、誤った前提の特定および反駁という意味での吟味と、吟味によって得られた正しい思考への緩やかな適用が良策だろう。
僕には困った癖がある。しばしば心の中で自虐的に、自嘲的に独白するのです。これはもちろん僕に限って見られることではないので、これから述べることに多少は意義があるかもしれません。ただしこの記事がこの癖を滅し去るという意味合いでの意義を持っているとは思いません。自虐癖に対して冷静な視点を与えるかもしれないな、とは感じています。
自虐癖とはそもそも何か。個人的には、「事あるごとに自他に向かって自己の欠点を暴力的に突く、という癖」だと考えています。たとえば、自分は頭が悪いと考えている人は、頭が良い友人と話している時、「どうせ自分は馬鹿だから」と言わなくてもいい言葉を付け加えたりする場合があります。このように、当人が「欠点」だと意識していることを、その人自身でわざわざ攻撃したりすることを、自虐癖だと考えます。
では、それはどのような状況で、なぜ表に出てくるのか。先ほどの例で言うと、自分で頭が悪いと思っている人は、自分とは反対に頭の良い人を前にすると、自虐的になるのではないでしょうか。つまり、自らの持つ欠点が他人にあっては美点となり変わっている場合に、自虐や自嘲は顔を見せるのです。その原因としては、自分の場合を観察する限りでですが、予想される他者からの批判を先回りして自らを守ろうとするから、だと考えます。
もう一度先ほどの例で見てみましょう。自分で頭が悪いと思っている人は、賢いと認めている人から批判されるのを恐れています。 しかし「事実として自分は頭が悪い」と、この人は自分のことを考えているので、今この場ですぐさま賢くなる以外の方法で身を守らねばならない。そこで選ばれる方法が、他人より早く自分を馬鹿だと罵ることで、他人から攻撃されるのを避けようとするものです。
ではどうすれば、この自虐癖・自嘲癖を緩和することができるでしょうか。もしこれらを克服する方略が存在するなら、 いやしくも癖=習慣であるからには、習慣一般についても有効だと考えられます。先に言ってしまえば、吟味と小さな適用の積み重ねが有効な方法だと思います。
ここで言う吟味とは、「精神的習慣を形成している前提を突き止め、それを疑う」ということです。 先ほどの例に戻りましょう。「自分は頭が悪い」という考えを持っている人にこれを適用すると、「自分は頭が悪い、と思っているが、それはなぜか」「そもそも、頭が良いとはどういうことか」「頭の良し悪しは、不変なものか」などと質問が浮かんできます。これらの質問に答えるために、頭が良い、あるいは悪い、ということをそれぞれ定義します。そしてその定義に無理はないか、反例はないかを考えてみます。そうすると、案外、自分が漠然とした曖昧な「感じ」に支配されていたことがわかるでしょう。僕個人の場合で言うと、一口に「頭が良い」と言っても、状況や文脈によって使われ方が異なるし、しかもこれを構成する複数の要素があるらしいので、未だに「頭が良い」「頭が悪い」の定義はできていません。だから、自分が知りもしない概念で自分を不快な感情を伴いながら攻撃するのはナンセンスだな、と今では思っています(注1)。
さらに「自分の欠点を攻撃する他者」などというあまりに偏った他者像を吟味することも、自分の経験から言うと、有効でした。また別の視点からも考えて、もしかりに今目の前にいる他者がそういう自分が思った通りの人間であったとしても、その人の判断と自分の価値とは一切関係ない、と再確認することも個人的には良いものでした。他人が口出しできるのはその人の「した事」であって、その人「そのもの」ではないはずです。なぜなら、行動は修正できても存在そのものはどうにも変わりようがないからです。僕はどうあっても僕なのですから。
(注1)強いて言うなら、たいていの場合に問題になる「頭の良さ」というのは単に、「問題解決に要する知識の体系を持っており、かつ流暢にそれを使用できる」ということに思われます。 試験などで測れる「頭の良さ」というのは基本的にこれだろうと思われます。だから、この定義からすると、「頭の良さ」は習得可能であることがわかりますね。言い換えると、試験合格という問題解決には、必要な学習をすれば良いだけです。自分の一般的能力の欠如のせいにするのは、問題の意味を取り違えているとしか言えないでしょう。
追記
他にも、精神的な能力と類似したものを探してきてそれと比較するなどしても良いでしょう。たとえば、筋力です。筋力トレーニングに関心のある人なら、有名な三つの法則を知っているでしょう:(1)筋力は、適度に使えば発達し、過度に使えば故障し、全く使わなければ衰える(ルーの法則)。(2)筋力は、トレーニング内容に応じて特異的に発達する(特異性の原則)。(3)筋力を向上させるには、漸進的に負荷を高めていくと良い(漸増的過負荷の原則)。これらと精神的活動の類似性を指摘できます。たとえば、計算をする、漢字を書くなどという簡単な精神活動でさえ、まったくやらなければ段々流暢さを失ったり思い出しにくくになります。さらに、英単語を暗記しただけなのになぜか数学の証明が得意になったということはありえないでしょう。
また恐怖を克服する方法として、いきなりその恐れているもの(たとえば水泳)をやろうとするのではなく、何段階か困難度を下げてから徐々に難しいことに挑戦する、という方法を取ったほうが良い場合が多々あります(プールサイドに座って水に足だけ浸かってみる→浮き輪を付けてプールに入ってみる→浮き輪を付けた状態でプールを歩き回ってみる→……など)。