硝子のスプーン

そこにありました。

裕子の話。

2013-06-02 19:27:52 | オリジ小説(SS)

だから言ったじゃない。
友人の言葉が、頭の中に木霊する。

痛むこめかみを押さえて窓を見上げれば、気だるい灰色を抱え込んだ不機嫌な空がそこにあった。
気象庁が梅雨入りを発表してからこっち、連日雨だ。気圧の影響か雨天時は決まって偏頭痛に悩まされる裕子の鎮痛剤の箱は、もう空っぽだった。
ずきずきと一定のリズムで鈍く痛む頭に辟易して、裕子は枕に顔を沈めた。
自分以外、人間のいない部屋に響くのは、外を行きかう車の音と、冷蔵庫が立てるモーター音だけ。朝からずっと聞こえていた雨の音は、今はしない。恐らく、一時休止しているのだろう。ならば、今のうちに行動せねば。そう思うものの、頭痛のせいで体が重い。
こんなとき、誰かがいてくれたなら。自分の代わりにドラッグストアに赴き、鎮痛剤を購入し、水の入ったコップと一緒に枕元までそれを持ってきてくれる誰か。
その思考が、甘えであることを裕子は知っている。その一方で、人は人に甘えて甘えられて生きていくものであることも、知っている。では何故今この部屋に、甘えの矛先になる誰かがいないのか。その答えも、裕子は知っている。

だから言ったじゃない。

昨晩、久しぶりに一緒に食事した友人が言った言葉が木霊する。それは頭痛と同じように、一定のリズムを持って裕子の心をずきずきと鈍く痛めつけた。

だから言ったじゃない。あの人と結婚しておけば良かったのよ。ビールジョッキを片手にした友人の言葉を、あの人って誰よ。と、運ばれてきた冷奴に醤油をかけながら、裕子は笑って交わした。あの人よ、あの人。ほら。そうしつこく特定しようとする友人に、ねえお刺身食べたい。と、メニューを広げながら話題を逸らした。
わざわざ特定しなくても、友人が誰のことを指してあの人と言っているか、裕子は分かっていた。分かりすぎるくらいに、分かっていた。

あの人。友人がそう呼んだ彼と、裕子は三年近く付き合っていた。三年近く付き合った結果、別れた。
彼を好きでなかったわけではない。枕に顔を沈めたまま、言い訳ではなく思う。いつかの話として彼との間に結婚の話題が出たときだって、ぼんやりとながら幸せな家庭図を思い描くことが出来た。だけど、実際に彼の口からその二文字が出たとき、裕子はどうしても頷くことが出来なかった。その後、少しずつ二人の空気がちぐはぐになっていって、どうしようもないところまできて、別れた。
好きでなかったわけではない。もう一度、裕子は思う。確かに好きだった。彼の仕草や言葉を好ましく思ったし、一緒にいて些細なことで温もりを感じられた。逆に言うと、彼に対して好きしかなかった。それが裕子には怖かった。そして、その気持ちを上手く伝えることが、裕子には出来なかった。

仰向きになって深く息を吐きながら、裕子は目を瞑る。頭痛は相変わらず、一定のリズムで頭を締め付ける。それに倣うように、友人の言葉も、一定のリズムで胸を締め付ける。
言われなくても分かってる。結局すべて、自分の責任なのだ。分かっているから、黙っていてほしい。心が自分だけのものであるならば、選択も後悔も痛みも、自分だけのものであるはずだ。
心配してくれているのだろうことは、裕子にも分かっている。それでも、口を挟まないでなんて反抗期の子供のように、感情がささくれ立ってしまう。
きっと頭痛のせいだ。そう思い込むことにして、痛む頭を覆うように腕をクロスさせた。雨の音は、まだ聞こえない。鎮痛剤を買いに行くなら、今がいい。だけど、頭が痛くて体が重い。
こんなときに甘えさせてくれる誰かがいる人生を、自分は選ばなかった。でも、甘えさせてくれる誰かがいたらいいなと胸の奥でひっそり思う甘えくらい、持っていてもいいだろう。自分の心の中だけのことで、誰の迷惑や邪魔になるわけでもない。
裕子は開き直って、目を開ける。

目だけで見上げた窓の向こうには、灰色を抱え込んで不機嫌そうな空が広がっている。
開き直ったところで変わりなく、頭は一定のリズムでずきずきと鈍く痛む。
きっと今日はもう、鎮痛剤を手に入れることは出来ないだろう。
その結論にさえ開き直って、裕子はもう一度、深々と息を吐いた。


* * * * * * * * * * * * * * * * * *

思いつきで、練習用に、三人称一視点で書いてみた。
オチも何もないぜ。だから何だって話だぜ。思いつきっていうか気分だけで書いたから、そこらへんは容赦してほしいんだぜ。
てか、これ、三人称になっているのかしら。もうよく分かんない。頭ぱあん。


捧げもの。「Garuda」SS集。

2012-06-17 05:26:53 | オリジ小説(SS)
その昔、私が小説サイト様や自分のHPにて投稿・公開していた「Garuda」というお話がありまして。
そのお話を、十年近く経った今も覚えていてくださった上に、大好きだったと言ってくださった方がいて、本当に本当に嬉しかったので、少しでもその思いを伝えたくて、過去部屋(データ)を漁くって見つけてきました。

当時のHPの「Garuda」拍手御礼SSの中から、個人的に今読み返しても、比較的、恥ずかしさに身もだえしなくて済むものを幾つか、全部、マイカさんに捧げます。

「Garuda」を知らない方でも、普通に読める短編だと思うので、もしお時間があって宜しければ、どうぞ。

マイカさんへ。
ファルマリ好きということで、ファルマリのものばかり集めたつもりです。もしかしたら、読んだことがあるのもあるかもしれませんが、そこはお許しください。
続編は今のところ考えていないので、せめて、これらだけでも。
マイカさんに限り、コピペでのお持ち帰りなど自由です。
※重要※ お持ち帰りは、マイカさん限定ですので、悪しからず。まあ、お持ち帰りしたい奇特な方もそうそういないでしょうが(苦笑)。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
今日、大切なものが出来た。(ファルコ)

 人の手のひらの温度など、全く思い出せないほど、もうずっと忘れていた。
 考えてみれば、ここ何年間、他人の手を握ったことなど一度もないように思う。
 そもそも、手を握るという行為は、とても親しく近しい人間とすることだ。
 すごく小さな子供とかは、そうでもないのかもしれないけど。でも、中身はさておき、外側は立派に大人と分類される年齢に至って、しかも男で、そうそう他人の手を握るなんてこと、ない。

 色々あって先日保護することになった全身胃袋の子供に、今しがた、手を握られた。
 うろちょろしてはすぐ迷子になるから、うんざりして俺から差し出した手だったけども、躊躇いなく握られた瞬間、正直びびった。
 あまりにもその手が温かかったから。
 驚いて固まっていると、俺と同じ色をした目玉で、じっと見てきやがった。
 怪訝そうに…というよりは、どこか嬉しそうな色を湛えたその目を、俺はどういうわけか、真っ直ぐ見返すことが出来なくて。
 その代わり、握られた手に力を込めて、ぎゅっと握り返した。

 繋がった手のひらから、伝わり移り流れるものに、一人密やかな覚悟を決める。

 今日、大切なものが出来た。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
理由のない感情(マリア)

 スレイは優しくて、美味しいご飯を作ってくれるから好き。
 トゥルーは物知りで、色んなことを教えてくれるから好き。
 アンナちゃんは怒らすとマジ怖いけど、面白いから好き。
 ファルコは………ただ、好き。
 理由なんて、思いつかない。でも、一番好きな人。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
狂っているのは彼らのほうだ。(マリア)

 ぐっ、と思いっきり前を睨みつけながら歩いた。
 悔しい。悔しい。悔しい。
 もっと、言葉を知っていたら、ちゃんと伝えられたのに。
 あんなバカげた言葉、全部、全部否定してやりたかったのに。正しくないのに。間違ってるのに。
 それを伝える言葉を、見つけきれないなんて。
 もどかしくって、悔しくって、涙が出る。

「もしもーし、そこのお嬢さん、凄い顔になってますよ~」
 聴こえた声に、ばっと振り返ったら、見てるようで全然見てなかった景色の中に、大好きな金髪が見えた。
 途端、眉に、喉に、ぐぐっと力が入る。そのまま地面を強く蹴って、駆け寄って飛びついた。
「あ、何だ? 泣いてんの?」
 顔を見せたくなくて、胸に顔を埋めてぎゅうっとしがみ付いたのに、ファルコにはバレてしまったらしい。その言葉に、涙腺が更に緩む。
「………どした? 何かあったのか?」
「…バカにされたネ」
「あ?」
「バカにされたヨ」
「バカにされたって、お前が?」
「違う。マリアがバカにされたなら、ファルコの教え通り、その場で相手に鉄拳食らわしてスッキリ円満解決させるネ。けど…。バカにされたのは、マリアじゃないネ」
「じゃ、なに?」
「…………の、コト」
「あ? 聞こえねぇぞ?」
「…ファルコのコト」
「は? 俺?」
「ファルコのこと、バカにされたネ……」
「…あ~、そう…」
「悔しいネ。マリア、キッパリ否定してやりたかったのに、うまく言葉が出てこなくて…」
「……」
「すっごい、すっごい、悔しいネ…!」
「…お前なぁ、んなことでいちいち泣かなくたって」
「だって悔しいヨ! こんななら、マリアがバカにされたほうが、よっぽどマシネ!」
「いやいや、あのな」
「ファルコは凄いのに! 世界一なのに! なのにマリア、言葉が下手糞で、それを伝えられなかったヨ。も、自分にガッカリネ」
 溢れる涙を見せたくなくて、ぐいぐい顔を押し付けて、そう叫んだら、ファルコがぽんぽんと、二回頭を撫でてくれた。その手の感触に顔をあげれば、少し困ったように眉を顰めたファルコの顔。何か言いたくて、でもやっぱり言葉が出てこなくて、もう一度、「悔しい」と呟いたら、優しい腕に抱き上げられた。
 抱き上げられた先で、ファルコの首に腕を回して思い切りしがみ付くと、ファルコは「苦しい」とだけ言って、歩き出した。そのまま、体全部でしがみ付いて、ファルコと二人で船へ帰った。

 途中、マリアはずっと黙っていたけれど、そうやってファルコの腕に抱かれているだけで、不思議と気持ちが落ち着いてきて、少しずつほぐれていく気持ちに、自然と口から、ほぅ、と息が漏れた。
 こんなにも優しい腕を持つこの人を、バカにするなんて、バカなのは彼らのほうだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
隣の特等席(ファルコ)

 いつからだろう。と、ふと思った。
 居間にある、ガルーダ創設時にどこかの店から調達してきたソファー。
 別に俺専用って決まってるわけじゃないけど、ちょうど俺が足を伸ばして寝そべるのにぴったりのサイズだし、座り心地も寝心地もいいから、好んでそこに居るようになって……。
 だから他の奴らは、俺がいるときは、そこには座らない。他の椅子とか、窓の窪みとか、それぞれ思い思いの場所に腰を落ち着ける。自然と出来上がった暗黙のルール。俺はソレを知っているから、誰か居ても気にせず、ソファーの真ん中で一人、思いっきりふんぞり返ることが出来た。
 だけど、最近それが、少し変わってきた。
 他の奴らがじゃなくて、俺が。
 そこに好んで座ることは変わりないものの、真ん中で思いっきりスペースを使って、ふんぞり返ることがなくなった。
 普通に座っているときは勿論、横になっていても、必ずそこに、無意識に開けている隙間。
 あいつのまだ小さなケツが無理なく座れるだけの隙間を、俺はいつも無意識に気にしている。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
<閑話17>
「マリア?」
「………」
「おーい、マリアちゃん?」
「………」
「マリアちゃんってば」
「………」
「無視すんなよ、おい」
「………」
「マリアさん? いや、マリアさま?」
「………」
「なぁ、マリア」
「………きらいネ。酔っ払いも、あの女の人も」
「…悪かったよ」
「……“あたしの”って言っていいのは、世界にマリアだけヨ」
「分かってる。もう二度と言わせないから、誰にも」
「………」
「なぁ、いい加減機嫌直して、こっち向けって」
「……ファルコのバカ。クソッパゲ」
「いいよ。バカでもクソッパゲでもいいからさ。こっち向いて、顔見せて。お前の顔見ないと調子でねぇ」
「………」
「マリア?」
「……すきすきすきすき~って、百回心を込めて言ったら許す」
「マジでか…。…百回?」
「百万回」
「おいおい増えてるぞ」
「仕方がないネ。一億万回にしといてやるヨ」
「いやいや、仕方がないって言葉の使い方間違ってるからね、それ」
「うっさい。さっさと言えヨ、ダメ人間」
「だぁあああ、分ぁったよ。一億万回だな? ちゃんと数えろよテメー、途中放棄なしだかんな。覚悟しやがれコノヤロー」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
年中無休で貴方に夢中。(ファルコ×マリア)

 それはもう毎日毎日。それこそ年中無休で365日、変わることなく、飽きることなく。
 パブロフの犬の如く、人の顔を見れば全力でタックルしてくる。
 まるでそれ自体が、一つの単語みたいに、「ファルコ大好き」を、ひたすら連発する。
 バカのひとつ覚えのいい見本だ。
 そう思いつつも、たまに優しい言葉をかけてやれば、背景に花が見えそうなほど、幸せそうな笑顔を浮かべて、気まぐれに甘やかせば、目が眩むほど顔を輝かせて、心底嬉しそうに抱きついてくる。
 かと思えば、あんまり構ってやらないと、ふくらかし粉のように頬を膨らませて、拗ねていじけるし、ちょっと冷たい態度を取ると、この世の終わりみたいな顔で、べそをかきはじめてしまう。
 面倒くさいことこの上ない。
 こんなに厄介な生き物を、俺は他に知らない。

(つーか、あいつが双子とかじゃなくてほんと、良かった……)


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
以心不伝心(ファルコ×マリア)

『だって、子供だから』
 悪かったナ。
『どうせ、子供なんだし』
 どうせ、大人じゃないヨ。
『別に、急ぐ必要ないんじゃね?』
 誰のせいだと…。

 ファルコはバカだ。大バカだ。
 マリアの気持ちなんか、これっぽっちも分かってない。
 そのくせ、保護者ぶって、全部分かってるような顔するから、頭にくる。
 マリアは、どんだけ小さくて子供でも、女なのに。女であることは、あの人達と何ら変わりないのに。
 全っ然判ってない。バカバカバカバカバカ。
 もうヤなんだもん。一緒にいても問題外、関係ないって目で見られるのが。
 マリアが一番ファルコの傍にいるのにって、悔しくて堪らなくなるから。
 だから、早く、一日でも早く大人になりたいネ。
 ファルコと並んでも釣り合うくらい、あの人達を真っ向から見返せるくらい、大人になりたい。
 そう思うことの何が悪いっていうのカ。
 ファルコのクソッパゲ。


『子供扱いしないでヨ』
 だって、子供じゃんか。
『マリアは、ファルコの子供じゃないんだヨ?』
 んなこと分かってるっつーの。
『早く、大人になりたいネ』
 まだ、今のままでいろよ、頼むから…。

 バカだ、バカ。マリアは、バカ。
 あんなこと言い出すこと自体、バカの証拠だ。
 そこら辺の女と、お前を同じ物差しで計れるわけねぇだろ。次元が違うんだよ、次元が。
 ほんっと、何にも判っちゃいねぇのな。
 大体さ。二言目には子供じゃないって言うけど、お前が子供じゃなかったら、俺、なんなのよ?
 保護者と被保護者って言う肩書きがあるからこそ、当然の顔して傍にいられんだろうが。
 そこんとこ、もちっとよく考えて物言えよな。
 なんでそんなに急ぐんだよ。頼むから、あんまり生き急いでくれるなよ。
 いつかは手を離さなきゃいけないのは、分かってるけど。今はまだ、イヤなんだよ。
 自分でも訳分からねぇけど、イヤなもんはイヤななんだから、しょうがねぇだろ。
 だからさ、まだもう少し、せめて今だけでも。
 俺だけにお前を守る権利があるって思わせててくれよ。
 なぁ、バカマリア。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
秘密の約束(スレイ+マリア)

「独占したいわけだ、つまりは。ファルコを」
「……別にそこまで言ってないネ…」
「でも、ファルコがふらふらと他所に行くのが嫌なんだろう? マリアは」
「………うん」
「それは、やはり、独占したいということなんじゃないのか?」
「……でも、フラフラしてないファルコなんて、想像できないネ。…イヤだけど、でも……なんか、そんなのファルコじゃないって言うか……」
「まあ、確かにな。アイツを一箇所に括りつけておくのは、難しいだろうな。普通に考えてまず無理だ」
「そんな他人事みたいに、アッサリ言わないでヨ…」
「でも、な。マリア」
「ん?」
「ファルコはふらふらと猫のようにいなくなっても、いつもきちんと帰ってくるだろう?」
「………うん?」
「どこへ行っていても、必ず、マリアのところへ帰ってくるだろう?」
「……うん」
「だったら、マリアは待っていればいい」
「…うん」
「待っていてやってくれ」
「うん」
「頼んだぞ、マリア」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
最初で最後の。(マリア)

「俺は、お前が思ってるような人間じゃねぇよ」
 いつもそう言って、迎え入れようとする腕をやんわりと拒絶する。
 それが、なんとも悔しくて。
「だったら、マリアの思ってるような人間になってヨ」
 拗ねた瞳で、そう言ってみた。
 自分の知ってる彼は、彼のすべてではないだろうけど、自分の知っている彼だって、確かに彼だ。
 それが、欠片とも呼べない破片でも。
 愛してしまったのだ。愛しているのだ。
 欠片を全部集めた彼がどんな人間だろうと、この想いはもう消えない。
 なかったことになどもう出来ない。
 覚悟という氷水で、心を洗って、ワタシはアナタに最初で最後の恋をする。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夜明けの溜息(マリア)

 本当は眠りの浅いファルコが、自分の隣でだけ本物の熟睡をすることを、マリアは誇らしく思う。
 ファルコは一日の三分の一以上をソファーでのごろ寝に費やしているような人だけど、でも、そうやって惰眠を貪るファルコが本当の意味で眠っていないことを、多分ガルーダの誰もが知っている。だって、目を瞑っていても話しかければ返事が返ってくるし、よしんば返事が返ってこなくても、話はちゃんと聞いていたりするから。
 ファルコの眠りが浅いのは、何もソファーで惰眠を貪っているときだけじゃなくて、夜、ちゃんとベッドで眠っているときだって、そうだ。些細な物音ですぐ目を覚ますし、微妙な空気の流れの変化だけでも、起きてしまう。
 これは、マリアの考えだけど、ファルコは眠り方を知らないんじゃないかと思う。もしくは、忘れてしまっているかのどちらかだ。だから、毎回毎回でろんでろんに酔っ払うまで飲むのだ。アルコールの力を借りてでも、強引に睡眠にありつこうして。
 そんなファルコが、マリアの隣でだけ本物の熟睡をするようになったのは、何時の頃からだったか。というか、それ以前に、マリアが度々ファルコのベッドに潜り込むようになったのは、何時からだっただろう。はっきり思い出せないけど、リムシティにやってきてそんなに間もない頃だったはずだ。
 初めてファルコのベッドに潜りこんだ時、ファルコは、マリアが部屋に入ってきた時点で、うっすら目を開けた。そしてそこにいるマリアを見とめて、「しゃねぇなぁ…」とかブツブツ言いながら、毛布の端を捲って「ほら」って呼んでくれたのを覚えてる。
 あの頃、マリアは今よりずっと小さくて、子供で、しかもじいちゃんを失ったばっかりだったから、親代わりを自認しているファルコからしてみれば、寂しがってる可哀想な子供に添い寝してやるのは、当然の義務みたいな感じだったのかもしれない。実際、本当にマリアは寂しかったり怖かったりして、眠れないことがよくあった。でも、そんな夜でも、ファルコが隣にいると思うだけで、自然に瞼が重くなってきて、自分でもびっくりするほど、ぐっすり眠れた。ちょうど、今のファルコみたいに。
 すやすやとどこまでも穏やかな寝息を立て本格的に眠っているファルコの顔を少し下から眺めて、小さく息を吐く。この女心を微塵も解さないクソッパゲは、すぐ隣で胸を詰まらせているマリアのことなんか、少しも考えてやしない。
 ファルコはベッドにマリアが潜りこむと、必ずと言っていいほど、腕を回して抱きしめてくる。冬場は抱き枕式湯たんぽとか言って笑っていたけれど、夏場の今でも変わらずそうする。昼間、マリアが抱きつくと、暑いだの何だの文句を言うくせに、夜は自分からがっちり腕を回してくるのだから、つくづく現金なものだ。
 以前は間違いなく、マリアが甘えてファルコに縋っていたけれど、今はその逆に近いと思う。
 こうやってファルコがマリアを抱いて眠ることの意味や、なんでマリアが隣にいるときだけ、ファルコは熟睡出来るのかということをマリアなりに思慮した結果、そう思った。ファルコはマリアに孤独を寄せ、マリアの温もりはそれを和らげることが出来る。早い話つまり、マリアに安心しきって甘えているのだ、ファルコは。
 なんて、彼にとって自分は特別だと言う思い込みから出た、傲慢な考えかもしれないけど。
 だけど、100%間違っているとも言えないから、マリアは自分からは絶対に腕を振り払ったりしない。ここだけの話、トイレも我慢するときがある。本当にマリアはとことん、ファルコには弱い。惚れた弱みというのは、こういうことを言うのだろうか。
 ファルコの腕の中、胸のあたりにぴったり顔をくっつけると、当たり前だけどファルコの匂いがする。じいちゃんとは違う、ファルコ特有の、お酒みたいな甘い匂い。
 大好きな匂いに包まれながら、抱きしめてくる腕の力や大きさ、自分とは全然違う骨格に、ファルコは大人の男の人なんだと、改めて再認識せずにはいられない。そして、そういうことを考え出すと、今更ながら最近、異常にどぎまぎしてきて困ってしまう。耐えられるか分からないくらいに、心臓がバコバコして、破裂しそうになってくる。
 それなのに、このクソッパゲは無邪気な顔で、ぐーぐー平和な寝息を立てているのだ。思わず、ほっぺたを抓ってやりたくなってくる。だって、こんな幸福で残酷な仕打ち、そうそうない。
 何となく少し誇らしく感じる心地よい気分も、帳消しになってしまうほど、残酷だ。
 ほんの少し、一ミリくらいでもいいから、優越感に浸らせてくれてもいいのに、一ミクロンも邪気の見えないその寝顔は、マリアの胸に惨めさに似た感情を突き刺していく。
 本当になんて、ズルイ、ヒドイ男だろう、このクソッパゲは。
 無意識に長々と出た溜息にさえ、気づくことなく、延々と眠るファルコを見つめながら、いつか此処を去らなきゃいけないときは、きっとこうやって出て行こうと、悲しいことを考えたりした。
 下から見上げるファルコの髪は、寝癖がついて変な方向にはねてるし、しっかりと閉じられた瞼と相反してだらしなく開いた口は……、涎垂れてるし。なんて間抜けな寝顔。でも好き。好きなんて言葉じゃもう足りないくらい、好き。
 ねぇ、お願い。マリアを愛してよ。女として、可愛がってよ。
 なんて、睡眠の足りないふらつく頭で思った。
 ああ、もうだめだ。マリアはもう、この人の横では眠れなくなってしまった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
背中(ファルコ×マリア)

「ファルコは、マリアが守るネ」
 失いかけていた意識の外から、内に響く声がした。
 その声に遠く霞みかけていた意識がピクリと反応する。ゆっくりと視界に光が差す。
 目を開ければ、自分を庇うように前に立つ彼女の小さな背中が見えた。
 一瞬にして覚醒した意識で、焦げた土を掴む。その手に、腕に、身体に、力を。
 ゆっくりと立ち上がれば、その気配に振り返った、驚きと安堵が入り混じった顔。泣きそうな目。傷だらけの身体。その、柔らかな金髪頭に手を乗せる。
 無言で、一歩。ただ、彼女の前に。
「ファルコ」
 返事はしない。けれど、代わりに、銃口を前へと突き出し構える。
 言葉にはしない。
 目に映った背中が、あまりに小さすぎたこと。
 両腕を広げても、それでもあまりに小さすぎた背中。
 その背中を、お前を、前には立たせないと決めたこと。
 クサすぎるだろう台詞は口にしない代わりに、少しだけ背を張った。
 あれほどに美しい背中には敵わないかもしれないけど、それでも、お前の前に立つくらいには相応しくありたいと願いながら。
 またひとつ、心に力を刻んだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
幸福の隣(ファルコ×マリア)

 人を愛するということは、時々とても困難で、時々すごく簡単だ。

「ファールコ!」
 ソファーの上、だらしなく足を開いて寝転がってるファルコに駆け寄って、飛び乗った。
 その衝撃に低く唸ったファルコが、目を開けることすら面倒くさそうに、うっすらとだけ瞼を開く。
「…お前さぁ、飛び乗ってくんのやめろって何回言ったら、分かんの?」
「一億万回」
 どかそうとしてきたファルコの手を交わして、お腹の上に跨ったまま、飛び跳ねた。
「そんなことよりめっちゃいい天気ヨ、遊びに行くネ。こんな日にずっと船に篭ってたら、バチが当たってしまうヨ」
「人の睡眠邪魔するほうが、よっぽど罰当たりだっての。暇なら、いつもみたく公園でも行って遊んでくればいいだろ」
「それじゃダメヨ」
「なんで?」
「ファルコと一緒にいたいからに決まってるネ」
「はあ?」
 何訳分からんことを。と言わんばかりの目で、下から見上げてくるファルコから飛び降り、勢いよく腕を引っ張ってほぼ無理やり上半身を起き上がらせる。
 そこまで来てようやく諦めたのか、ファルコが重い腰をあげた。
「ったく。どこまで世話のかかるガキなんだ、てめぇは」
 ファルコの戸惑う姿を見るのが、イヤだった。
 困ったように眉根に皴を寄せられると、どうしていいか分からなくなった。
 頭を撫でられて優しく拒絶されるたび、泣き出しそうな気持ちになった。
 だけど、そんなのもう知らない。
 ファルコがどう思おうと、気にしない。
「そうヨ。だからちゃんと、お世話するネ」
 ガキだってことも、ファルコの目に女として映っていないってことも、全部認めたら、とても楽になったから。ただ傍にいるだけで、こんなに幸せな気持ちになれるんだって気づいたから。
「はいはい、分っかりましたよ。んで、どこ行くの? つーか、どこ行きてぇの?」
「どこもかしこも!」
 荷物なんか持たないから、暇を持て余してるファルコの手に、そっと自分の手を滑り込ませて、元気よく歩き出す。
 空には雲ひとつなくて、凄くいいお天気。
 道には満開の桜の花が、咲き誇ってる。
「ね、ファルコ」
「あー?」
 間延びした声も、眠たそうな目も、気のない返事も、だるそうな歩き方も、全部。
 大好きなんだ、一緒にいられるだけで、幸せでたまらないくらいに。
「好きヨ」
 だから、ずっと言い続けるよ。
 幸福(きみ)の隣で。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
流れた星に叶わぬ願いを(ファルコ)

「早く来るヨ、ファルコ」
「ちょ、待てって。んな焦らなくたって、逃げねぇよ空は」
 なかなかソファーから起き上がらない怠惰な俺を見かねて、マリアが俺の腕を引っ張り、デッキへと急がせる。
 数十年に一度の流星群が降る夜。
 テレビで大々的に宣伝されたその夜空を見ようと興奮しているのは、何もマリアだけじゃないらしい。
 殆ど引きずるように連れてこられたデッキには、トゥルー、アンナ、スレイまで。
「あぁ、遅かったな。もうすぐ始まるぞ」
「なんか、ワクワクするね」
「こういうとき、街中に住んでなくてよかったって思うよな。あのネオンじゃ星なんか絶対見えねーよ」
 現れた俺を見てスレイが微笑み、トゥルーとアンナがはしゃいだ声をあげる。
 そんなに星が見たいなら、船飛ばしてもっと空に近づけばと提案したけど、却下された。
 それでは何かロマンがないらしい。海に落ちる星が見たいのだと、マリアが言って、全員が頷いた。
 ロマンの欠片もない俺には正直、よく分からない。
「あっ」
 隣でそわそわと空を見上げていたマリアが、一際大きな声を出し、宙を指差した。
「流れたヨ! 今、星が、ひとつ流れたネ!」
「マジかよ! やべー、見逃した! おい、マリア、お前ちゃんと願い事三回唱えたか?」
「そんな暇なかったネ~。あっという間だったモン」
「大丈夫だよ。今日は流星群だから、まだまだ何回だってチャンスはあるよ」
 しくじったとばかりに落胆するマリアを、トゥルーが笑って宥める。
「よーし! 次こそはやるぞ、マリア!」
「おーっ!」
 張り切るアンナとマリアの声を聞きながら、俺も空を見上げた。
 暗い海の上の漆黒の空には、幾億もの星。もうすぐ、あの中からたくさんの星が降ってくる。
 そのたくさんの星に向かって、たくさんの人が願いをかけるのだろう。星が願いを叶えてくれるなんて、そんな夢物語、あるわけがないと知っていながら、それでも。
 ぼんやりと見上げた空に、瞬間的に白い線が走った。
「あっ!」
 今度は、アンナと二人して声をあげたマリアが、すぐさま両手を組み合わせて目を閉じ、一心に何かを願い始める。その真面目腐った、小さな横顔に一人でに、胸の奥がきつく締まった。
 もしも、星が願いを叶えてくれるなら。そんな奇跡があるのなら、何遍でも祈るから。
 どうか、この少女の真摯な願いを。
 いつの日か、その身に刻まれた呪縛から、この愛しい存在が、解放されるように。
 落ちた星に、届かぬ祈りを。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
道ゆく約束(ファルコ×マリア)

「ファルコ、手繋ぐネ」
「はぁ?」
「たまには黙って乙女の願いを叶えろヤ、ダメ人間」
「…ったく。ほら」
「うひひっ」
「気持ち悪い笑い方してんじゃねぇよ」
「……ねー、ファルコ」
「んー?」
「後十年くらいしたら、ファルコはオヤジ臭プンプンの中年になるネ。そんで、マリアはすっげー色気ムンムンの大人の女になるヨ」
「なんか一部の表現に多大な間違いがある気がするけど、まぁそうだろうな」
「そんで更に三十年くらい経った頃には、ファルコはもう枯れ果てたオッサンで、マリアは成熟した素敵な女性になるネ」
「ハ。枯れ果てたオッサン、か…。なんか物悲しい響きだな、それも」
「で、六十年後には、ファルコはすっかりヨボヨボのジジさまで、歯は全部入れ歯で歩くときには杖が要るようになるネ。マリアもその頃には、可愛いお婆ちゃんヨ」
「お前がシワシワの婆さんねぇ。想像つかねぇな」
「それでもネ。その時になっても二人で、こうして今と同じに手を繋いで歩こうネ」
「……ヨボヨボとシワシワでか?」
「違うヨ。死にかけとキュートなお婆ちゃんヨ」
「死にかけって。……でもまぁ、それも一興かもしれねぇな」
「絶対ヨ? 約束だからナ」
「ああ…」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
これより下は、拍手御礼SSのために書いたけれど、長くなり過ぎたor単に私が気に入らないなどの理由で、ボツになったものです。確か、未発表作品だと思います。

full moon(ファルコ×マリア)

 どこか遠くから聞こえてくる鈴虫の声に耳を傾けながら、ファルコと二人、デッキに寝転ぶ。
 視界いっぱいに広がる空には、ぽつんと浮かんだ金色の月。
 なんて、寂しそうなんだろうって思った。
 大きな空に一人きり。冷え冷えと、ただそこに存在してるだけ。
 旧世界の人達が名月と呼んで愛でたソレは、マリアにとって、ひどく哀しいものでしかなかった。
 だって似てる。何の迷いもなくそう思う。
 金色に光る姿も、静かな優しさも、隠された寂しさも、全部。
 何もかも全部、よく似てる。
 マリアの大切な、とても大切な人に。
 それが、すごく哀しかった。

「ファルコ」
 あまりにも哀しくて寂しくて、堪らずに、隣で寝転ぶ人の名前を呼んだ。
 ゆっくり振り向いた金色の目は、マリアと同じ色のはずなのに、
 どうしてこんなに胸が詰まりそうになるほど、やるせないのだろう。
「ファルコは」
 これまで、その目にアナタは、どれだけの悲しみを映してきたの。
 これまで、アナタに訪れた幸福は、アナタの目に映った絶望を薄める力には、どうしてもならないの。
「一人じゃないヨ」
「…あぁ」
「スレイも、トゥルーもアンナちゃんも、ルビーさんもジェシカちゃんだって、みんな、いるからネ?」
「お前は?」
「え?」
「お前もいるんだろ?」
「うん…」
「お前がいれば、俺は大丈夫だよ」

 それは反則だよ、ファルコ。
 そんな優しい顔で、そんなこと言われたら、サヨナラが辛くなるよ。
 いつだって、アナタは優しすぎる。
 あの日、差し伸べてくれたアナタの手を掴んだのは、マリアの最大の過ちだった。
 今、強く握ってくれている温かな手を、握り返すことが出来ないでいることも、きっとそう。
 ごめんね、なんて言葉じゃ何個あっても、足りないね。
 でも、どうか、忘れないで。
 我侭だと分かっているけど。それがまたアナタを傷つけてしまうのかもしれないけど。
 そう思うと、辛くて息が苦しくなるけど、でも。
 アナタを誰より想って、アナタを誰より幸福にしたいと本気で願った女の子がいたこと。
 それだけはどうか、どうか、忘れないでね。

 見上げた月は、やっぱり寂しそうで。
 繋いだままのアナタの手は、やっぱり、優しくて。
 すごく、哀しかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
彼女のStab(ファルコ)

「ファルコ。マリアが、朝からずっと起きてこないんだが」
 起き抜けに顔を合わせたスレイが、困り果てたように開口一番そう言ってきた。
 時計を見れば、既に昼近く。鳥並に朝が早いマリアにしては珍しい。はてはて何事かと、寝起きで更に血の巡りの悪い頭をぼーっと働かせて、はた。とある事実にたどり着いた。
「…あぁ、ほっとけほっとけ。生理だろ、多分。んなことより、スレイ、コーヒーくれ」
 盛大な欠伸をかましながら、どさっと定位置に腰を下ろし、そう要求したのに、スレイときたら、動く気配もなく、気遣わしげに、マリアの部屋のほうへと目をやるばかり。
「だが、飯も食ってないんだぞ、あのマリアが。具合が悪いなら悪いで、そういうときこそ、きちんと栄養取らせないと。貧血とかになって倒れでもしたら…」
「はっ。アイツが、貧血ごときで倒れるようなタマかよ」
 血が足りなくなったら、どっかで小動物捕まえてでも自己補給するって。と、いつもの如く軽口を返したら、物凄い威圧感のある冷たい目で睨まれた。いや、怖いんですけど。怖いっつーか、恐すぎるんですけど。いい歳こいて泣いちゃうよ? 俺。
「……わぁったよ。ったく」
 無言の圧力に負けて、促されるまま、席を立った。
 まったく。ウチの奴らは、どうしてこう揃いも揃って、マリアに甘いかねぇ。普段、人の十倍は食ってんだから、たかが一食、二食抜いたところで、何も問題ねぇだろうによ。
「おーい、マリア。いい加減起きて、飯食え」
 片手で寝癖だらけの頭をボリボリ掻きながら、マリアの部屋のドアを勢いよく開ける。
 お世辞にも広いとは言えない部屋の、面積の殆どを占めているベッドの上で身体を丸めながら、マリアがのろのろと、心なしか、僅かに血色の悪い顔を向けた。
「…ムリ。生理二日目で、子宮がランバダを踊り狂って死にそうネ。起き上がったらコレ絶対、子宮が流れ出るヨ」
「グロい想像させんじゃねぇよ」
 ツカツカと近寄って、とりあえず挨拶代わりに頭をペシっと叩く。
 しかし、アンナと言い、マリアと言い、女って大変だな。俺、男で良かったわ、ホント。
「腹減ってねぇの?」
「……減った」
「ふーん…。んじゃ、飯持ってきてやるから、ちょっと待ってろ」
 寝そべったまま見上げてくるマリアの頭をぐしゃっと一撫でして、スレイが用意してるであろう、マリアの飯を取りにまた食堂へ。スレイが、気を利かせて、アンナが船にいた頃常備していたソレ用の鎮痛剤を持ってきていたけど、多分、必要ない。顔見りゃ判る。だてに長年、生理時のアンナが繰り広げる地獄絵図を見てきたわけじゃねぇんだ。そりゃ全く痛くないってわけじゃねぇんだろうけど。でも、マリアがベッドから出ようとしない本当の理由は、別のもの。それくらい、解る。何年、保護者やってると思ってんだ、バカめ。
「ほれ。飯だ」
 スレイから受け取ったトレーをベッド脇のテーブルに置いて、のそのそと起き上がるマリアを見下ろせば、マリアがトレーから俺へと視線を移して、強請るように首を少し傾けた。
「食べさせて?」
「…何様?」
「マリア様」
 悪びれる様子ひとつなく、そう言い切ったマリアに、わざとらしく溜息をついてみせてから、傍らの椅子に腰を下ろした。
 はてさて、どうやって分からせてやろうかねぇ。このいじらしいほどバカなお姫様に。
「マリアー」
 まるで雛鳥のように口をあけて待つマリアに、スプーンでスープを運んでやりながら、いつもと同じ調子で話しかけた。
「大丈夫だぞ。怖がらなくても」
 その途端、マリアが身体を硬する。驚いたように目を見開いたその様子から、やっぱりな。と、今度は心の中だけで大袈裟に溜息をついた。
「体調悪いから、力の加減がうまく出来ないかもって怖くて、部屋から出れないんだろ?」
 触れれば壊してしまうかもしれないから。寄れば傷つけてしまうかもしれないから。それだけは嫌だから。怖くて、動けずにいたマリア。スプーンにさえ触れるのを躊躇うほど、自分を恐れて―――。
「そんなヤワじゃねぇよ。あんま、俺らを見くびんな」
「でも…」
「俺が大丈夫って言ってんだから、大丈夫」
 断言するようにそう言って、小さくなって俯いたマリアの手を、有無を言わさずぎゅっと握る。その行動に、パっと顔をあげたマリアの不安げな目をじっと覗き込んだ。
「俺を信じろ」
 お前の力がお前を傷つけるなら、その力ごと、俺が護ってやる。だから、お前はただ、俺を信じとけ。
 言葉ではうまく言えないそんな感情を目に込めながら、見つめること数十秒。ようやく、マリアが恐る恐るといった感じに、手を握り返してくる。最初こそ弱々しかったそれも、徐々に力強さを増してきて、見詰め合ったまま、いつものマリアの手になった。
 マリアが納得いくまで、そうしてから、これ見よがしにニヤっと笑ってやった。
「相変わらず、ちっせぇ手」
 返ってきたのは、満面の笑み。
「やっぱり、マリア起きて、あっちで食べるネ! ご飯、持ってきて!」
 勢いよく毛布を撥ね退けて、シュタっとベッドから飛び降りたマリアが、浮かべた笑みもそのままに、明るい声をあげて、ドアへと走り出す。
 つーか、普通に走れてるし。そんなんで生理痛とか言ってたら、アンナにしばかれっぞ、お前。と、少し呆れつつ、一気に元気を取り戻した背中に慌てて言葉を投げた。
「おいコラ、自分の飯の面倒くらい自分で見ろ。何様だ、てめぇ」
「マリア様!」
 振り向いて、ニカっと笑ったマリアに、苦笑。
 たく。本当に手のかかるガキ。だけど、俺もまた、あいつには甘いんだよなぁ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
WINTER RAIN(マリア)

「………何やってんの、お前」
「お昼寝?」
 デッキの寝椅子に寝転んだまま、自分と同じ金色の双眸を見上げてそう答えたら、「バカじゃねぇの」とすげない返事が返ってきた。
「どうせバカだモン」
 そう言ってふんと鼻を鳴らしたら、呆れた顔をされた。もっと、もっと呆れてくれればいいと思う。他の感情なんか入り込む余地がないくらい。
「アホか。こんな天気の日に外で昼寝なんざバカでもしねぇよ」
「じゃあアホなのヨ。ファルコこそ、何しに来たネ?」
 灰黒色の空からは霙交じりの雨。こんな日はいつも、ファルコは部屋に閉じこもってしまう。身体だけじゃなく心まで、マリアの窺い知ることの出来ない遠い場所に絡め取られたように、一人延々と自分の殻の中に篭ってしまう。
「俺はアレ。散歩」
「デッキを?」
「部屋にいてもうるせぇんだよ。アンナのとこに今、ゴリラが来てっから」
「あぁ…」
 納得して、自嘲する。
 もしかして、姿が見えないのを気にして探しに来てくれたのかと、一瞬とは言え期待してしまった。
 そんなコトあるはずもないのに。
「…いつまで寝転んでる気だ?」
「ん」
 口元に密かに自嘲の色を残したまま、「ファルコが…」と、自分を見下ろす人の名を呟く。
「キスしてくれたら起きるネ」
 お姫様は王子様のキスで、呪いから解放されるから。この際、どっちが王子様でどっちがお姫様でも構わない。絶望を映した金色の目が、その哀しみから解き放たれるなら、何だって―――。
 だけど。
「……バっカじゃねぇの」
 そう言って、ファルコが少しだけ笑ってくれたから。
 それで充分、と。
 冷たい雨で濡れた寝椅子から、笑って体を起こした。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ただそれだけのこと。(マリア)

「ファルコ! 起きるネ! 」
 朝、窓辺に立って、まだベッドで眠っているファルコをとにかく大声で呼ぶ。
 それを五回くらい繰り返し、ようやく、のそっと起き上がったファルコが、不機嫌さを隠そうともしない顔で、ムッツリとベッドの中から睨んできたけど、そんなの気にしてられない。
「うっせぇよ、お前。喉に拡声器でもついてんの? なんで朝っぱらからそんな大声出せるわけ?」
「いーから、早く来るネ! すっげーんだから、マジで! 」
 激しく手招いて、そう急かせば、「なんだ、なんだ?」とあくび交じりに、マリアの隣までやってきたファルコが、「おおっ」と小さな感嘆の声をあげる。
「ねっ? すっげーデショ? 」
 寝ぼけ眼を一瞬にして見開いたファルコの顔を満足な気分で見上げながら、マリアもまた窓の外に視線を戻した。
 眼に映るのは、一面の白い雪。遠くに見えるお店の屋根もビルも教会の塔も、道路も木も、みんな、生まれたての朝日に照らされて真っ白に輝いている。
「おい、おい。一晩でえらく積もったもんだな。そういや昨日、寒かったもんなぁ」
 眩しそうに目を細めて、そう言うファルコを振り返るように仰ぎ見た。
「ねー、ファルコ。お外行こうヨ、散歩するネ!」
「はあ? やだよ。何が悲しくてこんな雪の日に外に行かなきゃならねぇんだ」
「だって、せっかく雪がこーんなキレイに積もってるのヨ? 足跡のひとつも残さずにどーするネ?」
「どうもしません。行きたいなら、一人で行ってこい」
 じゃあな。と言わんばかりにひらひらと手を振って、ベッドへと戻っていくファルコの背中に急いで言葉を投げかけた。
「一人で行ったって意味ないネ。ファルコと一緒に行きたいのヨ」
「俺は行きたくねぇの。つーか眠ぃの。まだ、後8時間は寝れる」
「眠さなんて、お外行って雪の塊でも背中に入れたら、あっという間におさらばヨ」
「なんでそんな罰ゲーム的な目の覚まし方しなきゃなんねぇんだよ。いいか、マリア。こんな寒い日には一日中ベッドで過ごしてこそ、価値があるんだ。考えてもみろ。外は雪の舞う冷たぁい空気が張り詰めている。なのに、船の中はぽっかぽか。毛布に包まれば更にぬっくぬく。仕事もなければ用事もないから、一日中寒ぅい外に出る必要もない。あー、もう言うことないね、最高」
 そう言って、本当に幸福そうな顔で、再び毛布に潜り込むファルコに、盛大に口を尖らせる。
「これだから、引きこもりは困るヨ。たまにはお外に行って、思いっきり遊ぶネ」
「分かった、分かった。じゃあ夜になって雪が溶けてたら、思いっきり飲みにでも行ってくるわ」
「それじゃ、意味ねーダロ。夜じゃなくて今、遊びに行くネ」
「絶っ対いやだ」
「ファールコー!」
「しつこい! そんなに行きたいなら、一人で行って来いつってんだろーが!」
「だから、一人で行っても意味がないって言ってんダロ!」
 終わりのない言い合いに二人して声を荒げたとき、アンナちゃんの部屋の方向から「うるせーぞ、お前ら! 纏めて蜂の巣にされてーのかァ!?」と、恐ろしくドスの効いた怒鳴り声が響いてきた。
「ほーれ、見ろ。お前のせいで、不眠症の魔王が怒っちまったじゃんか」
「マリアのせいじゃないネ。ファルコが大きい声出すからヨ」
 ややビビリ顔で肩をすくめ、声を落としたファルコに、同じように声を落として言い返して、ファルコの顔を覗き込むように、ちょっとだけ首を傾ける。そのまま目を真っ直ぐに見て、
「マリア、こんなにいっぱいの雪、生まれて初めて見たネ。白い道歩くのも初めてヨ。初めてのことは、何だって全部ファルコと一緒じゃなきゃ、やーネ。お願いヨ」
 そう言って、トドメに哀願するように両手を組み合わせた。
 マリアのコレにファルコが弱いことは百も承知。だって、どうしてもファルコと一緒がいいんだから、仕方ないのヨ。ファルコのため(?)なら、マリアはいくらでも腹黒くなってみせるネ。
 心の中だけで鼻息を荒くして待つこと数秒。大きなため息と一緒にガリガリと頭を掻く音がした。
「わぁったよ。ったく、面倒くせぇな。これだから、ガキっつーのは…」
「ホント!? キャッホー! そうと決まれば、早く行くネ! 」
 嬉しさに飛び上がって、予め用意していたファルコの着替えとコートを渡したら、「おーい、準備いいな。もしかしてアレ? 確信犯?」って、ファルコが眉を顰めたけど、そんなことはもうどうでもいい。
「早く、早く! 雪が溶けちゃうヨ! 」
「そう簡単に溶けねぇよ。つか、マジ寒いんですけど。風邪引いたらどーしてくれんだチクショー」
「ダイジョブ。バカは風邪引かないって、この前スレイが言ってたヨ」
「どういう意味だ、コラ」

 別にね、一緒でなければならないなんてことは少しもなくて、ただ、一緒にいるのが楽しくて、一緒にいたいと思うから。だから、やっぱり、一緒にと、願ってしまうんだよ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


いかがでしたでしょうか。少しでも楽しんでもらえたなら、これ幸い。
「Garuda」は、科学ファンタジー戦争モノ(?)で、ヒロインであるマリアは生まれつき、純粋な人間ではなく(半分は人間ですが)、その責任の一部がファルコにあるという、なんだか重い設定の話でした。バトル描写が超苦手なくせに、毎回殆ど、生きるか死ぬかのバトルシーンばっかりという無謀な挑戦をしてました。若気の至りってやつですね(恥)。なので本編では、あんまり二人をラブラブさせてやる暇もなく、拍手御礼などで息抜きにいちゃこらさせてました。
あの頃、イラストなどを描いて下さった皆様、本当に本当に、ありがとうございました。今も大事に保管しております。一生の宝です。
それにしても、今考えると、ファルコは完璧なロリコンですね(笑)。変態め(笑)。

マイカさん、こんなもので宜しければ、是非貰ってやってくださいね。
NOKOからの感謝の想いです。どうぞ受け取ってやってくださいまし。←もはや押し付け(笑)