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▽写真の通り、2011.3.16 12:58、この日は水曜日。
「慰安婦」デモに対応した後の警察隊の警備車、警官たちがあった。
一部では知られていて、毎週水曜日、運動体が昼、日本大使館前で日本糾弾デモをしている。
ちょうど翌週の水曜日だが、3.11大震災に運動が配慮して「休戦」とか聞いた。祈りに切り替えたとも。
しかし明らかに、デモも運動もかつての勢いは失せている。何とか数人の元「慰安婦」おばあさん(ハルモニ)を立てて行う日本糾弾デモ。しばしば日本から駆けつけた運動、人物が加わって涙を流したりこぶしを突き上げたりしている。
元「慰安婦」ハルモニは当然80歳代。今年の少し古い情報だが、韓国政府登録者234人のうち生存者は80人を割っている。
かつて挺対協(挺身隊問題対策協議会)という運動体をつくり指導したのは、韓国の「学歴、格差社会」頂点の女性学者だった。つぎは同じく名門を出た女性団体の役員、そして政府(青瓦台 チョンアデ=大統領府)高官や国会議員になってもいる。
元「慰安婦」に卒業も、引退もない。代表が何代も交代した運動体が寄付(誠金)を得つつ生き残り、いまもそのハルモニを運動の前に押し出している。
運動体初代の共同代表たちは、元「慰安婦」ハルモニたちと同年代だ。彼女たちはずっとずっと前に引退してカゲもない。そのいいとこのお嬢さんと、「慰安婦」にとられた貧乏暮らしの女性たち。
恨み節ではない、事実の取り方、見方の違いなのだ。「運動」「運動圏」の権威と差別、位階制。そうした二重支配に無自覚である始末の悪さこそが問題。
▽在大韓民国日本国大使館、ソウル特別市鍾路区中学洞(チュンハクドン)18-11
新・世宗大王像、光化門、景福宮などにも近く、アメリカ大使館も近隣にある。
10年ほど前の話だが、確かな関係者から、「あの日本大使館の土地は、韓国日報創業社長の配慮で提供された」(寄付ではない)と聞いた。
当然、大使館は、1965年の日韓基本条約による国交回復後に設置された。過去もあり、そうそう簡単にソウル市内にいい立地の土地を求めることは難しかったのかも知れない。
韓国日報。確かに今も、この日本大使館そばに社屋がある。