アマルフィの路地裏から目抜き通りへ戻り、このアマルフィ市街地でほとんど唯一車の通行可能な通りを山の方へと遡ってみることにしました。
ドゥオーモ広場界隈では、多くの観光客で賑わっていたアマルフィ市街地も、目抜き通りを数百メートルも遡ると、時折市街地の方へ出掛ける地元の方とすれ違う程度までに人通りも疎らとなり、雲の篤い空模様とも相俟って少々うら寂しくなっていた雰囲気に包まれました。
アマルフィの伝統産業であった、紙漉きの動力となっていた水流が昔と変わらない豊かな流量で流れ落ちている音だけが周囲に響いていた、静かな午後の、アマルフィの街外れでした。
<アマルフィ>
<アマルフィ(Wikipedia)>
路地から目抜き通りへと出てきた場所近くに、昨晩にも見たプレセーピオの泉がありました。
昨晩は泉の周りで写真を撮る人がたくさんいましたが、この昼下がりの時間帯には、それ程多くの人はいませんでした。
やはり昨日の夕食を摂った、「トラットリア・デイ・カルターリ(Trattoria Dei Cartari)」の前を通り過ぎると、目抜き通りの両側に連なっていた店の数も少なくなっていきます。
この、アマルフィ市街の真ん中を貫く目抜き通りを遡ってみましょう!
アマルフィ市街の中心である、ドゥオーモ広場(Piazza Duomo)から500mも遡ったでしょうか…。
決して広いとは言えないアマルフィのある谷ですが、この辺りまで来ると、建物の背後に聳える断崖が目に見えて近付いてきているのが、はっきりと分かります!
午前中にも前を通り過ぎた、街角のプレセーピオのジオラマ。
ここにも午前中は疎らに人が訪れていましたが、この時には人影はありません。
雲の流れは速く、雲の塊と共に大粒の雨をもたらします。
青空が覗いてホッとする次の瞬間には次の雲がやって来て雨粒を落とし、去って行く…の繰り返しです;
目抜き通りをほとんど遡った先端に近いところにあった、「紙の博物館(Museo della Carta)」。
中には入りませんでした。
アマルフィはかつて手漉きによる製紙業が盛んであったそうです。
10世紀頃には、シルクロード経由でエジプトまで伝わっていた紙の製法が、これらの地域と交易をしていたアマルフィにも伝わったとのこと。
18世紀頃まではアマルフィの基幹産業でしたが、以後近代化の波に押され、現在では僅か2社のみが手漉きによる製紙を行なっているに過ぎない状況にまで衰退してしまいました。
この博物館は、そうしたアマルフィの伝統産業の技を後世へ伝える使命も帯びているのですね。
製造された紙製品は、この博物館の他、アマルフィ市街にあるショップでも購入することができます。
紙の博物館のすぐ頭上にも、覆い被さるような断崖が迫ってきています;
この辺りは住宅地、通りの両側に大体5階建て前後の建物が建ち並んでいますが、そうした建物と比べても、アマルフィ市街を睥睨するような断崖の規模が良く分かります!
土地がないとはいえ、時折大きな地震も起きる土地なのに、よくぞここまで家を建てたものです…(||-_-;)
この目抜き通りは紙の博物館から先200m程で行き止まりとなるようで、通りの両側も普通の住宅地のようなので、紙の博物館で折り返すことにしました。
来た道を引き返すと、目抜き通りは緩やかな下り坂となって、谷を駆け下りていきます。
どんよりとした空で、周囲の空気にも重苦しさが纏わり付いているような、凡そアマルフィらしくない雰囲気に包まれた午後でした。
製紙業がこの界隈で栄えた最大の要因が、この豊かな水流でした。
今なお流れ下る轟音が、人通りも車の通行も疎らなこの谷に絶えず響き渡っています。
今となっては路傍の、目立たない小さな滝ですが、歴史の生き証人でもある訳ですね!
このアーチをくぐったすぐ右手が、先程のプレセーピオのジオラマが飾ってある場所です。
相変わらず人通りも途絶えて(シエスタでしょうか)、微睡みに沈んでいるような街角の風景が続きます。
こうした静かな雰囲気の中のそぞろ歩きも趣があります♪
目抜き通りを、街中まで戻ってきました。
観光客の姿も目立ち始め、活気も戻ってきました^^
「天然ヴァイアグラ(VIAGRA NATURALE)」って…w
ここは薬局かw
確かにカプサイシンには精力増進効果がありますけどねぇ。。。
こう銘打った方が売れ行きが良いのでしょうか(^^;)
それとも、元からこう呼…んでいる訳ないか!?
ドゥオーモ広場へと戻ってきました。
アマルフィのランドマーク、ドゥオーモ(Duomo di Amalfi)。
まだ1泊しかしていないのに、いつの間にかドゥオーモを見るとホッとしている自分がいました;
黄金のように輝くファサードを戴く、エキゾチックなモザイク模様の聖堂は、いつ見ても美しい魅力に溢れています。
ドゥオーモを、鐘楼と一緒に。
やはり、惚れ惚れと見入ってしまいます…。
ドゥオーモ広場の幅いっぱいに広がる聖堂と、高々と聳え立つ鐘楼、そしてインパクトのある大階段を1つの構図に納めるのは、中々に至難の業でした;
ドゥオーモ広場を通り抜け、目抜き通りをそのまま海へと進み、アマルフィ海岸一帯を貫く幹線道路へ出てきました!
この日は、海も少々荒れ模様。
季節外れの浜辺にも、人っ子一人いませんでした。
およそ1km弱のアマルフィ市街地縦貫は、短い距離のうちに全く別の顔を見せる、アマルフィ市街の豊かな情緒を楽しめた散策でした^^
また、雨混じりのどんよりした天候によって、「青空が良く似合う」アマルフィ一般のイメージとは一味異なった風情を垣間見ることができたような、少し得をしたような気分となって街中、そして海辺へと戻ってきたのでした。
ドゥオーモ広場界隈では、多くの観光客で賑わっていたアマルフィ市街地も、目抜き通りを数百メートルも遡ると、時折市街地の方へ出掛ける地元の方とすれ違う程度までに人通りも疎らとなり、雲の篤い空模様とも相俟って少々うら寂しくなっていた雰囲気に包まれました。
アマルフィの伝統産業であった、紙漉きの動力となっていた水流が昔と変わらない豊かな流量で流れ落ちている音だけが周囲に響いていた、静かな午後の、アマルフィの街外れでした。
<アマルフィ>
<アマルフィ(Wikipedia)>
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路地から目抜き通りへと出てきた場所近くに、昨晩にも見たプレセーピオの泉がありました。
昨晩は泉の周りで写真を撮る人がたくさんいましたが、この昼下がりの時間帯には、それ程多くの人はいませんでした。
やはり昨日の夕食を摂った、「トラットリア・デイ・カルターリ(Trattoria Dei Cartari)」の前を通り過ぎると、目抜き通りの両側に連なっていた店の数も少なくなっていきます。
この、アマルフィ市街の真ん中を貫く目抜き通りを遡ってみましょう!
アマルフィ市街の中心である、ドゥオーモ広場(Piazza Duomo)から500mも遡ったでしょうか…。
決して広いとは言えないアマルフィのある谷ですが、この辺りまで来ると、建物の背後に聳える断崖が目に見えて近付いてきているのが、はっきりと分かります!
午前中にも前を通り過ぎた、街角のプレセーピオのジオラマ。
ここにも午前中は疎らに人が訪れていましたが、この時には人影はありません。
雲の流れは速く、雲の塊と共に大粒の雨をもたらします。
青空が覗いてホッとする次の瞬間には次の雲がやって来て雨粒を落とし、去って行く…の繰り返しです;
目抜き通りをほとんど遡った先端に近いところにあった、「紙の博物館(Museo della Carta)」。
中には入りませんでした。
アマルフィはかつて手漉きによる製紙業が盛んであったそうです。
10世紀頃には、シルクロード経由でエジプトまで伝わっていた紙の製法が、これらの地域と交易をしていたアマルフィにも伝わったとのこと。
18世紀頃まではアマルフィの基幹産業でしたが、以後近代化の波に押され、現在では僅か2社のみが手漉きによる製紙を行なっているに過ぎない状況にまで衰退してしまいました。
この博物館は、そうしたアマルフィの伝統産業の技を後世へ伝える使命も帯びているのですね。
製造された紙製品は、この博物館の他、アマルフィ市街にあるショップでも購入することができます。
紙の博物館のすぐ頭上にも、覆い被さるような断崖が迫ってきています;
この辺りは住宅地、通りの両側に大体5階建て前後の建物が建ち並んでいますが、そうした建物と比べても、アマルフィ市街を睥睨するような断崖の規模が良く分かります!
土地がないとはいえ、時折大きな地震も起きる土地なのに、よくぞここまで家を建てたものです…(||-_-;)
この目抜き通りは紙の博物館から先200m程で行き止まりとなるようで、通りの両側も普通の住宅地のようなので、紙の博物館で折り返すことにしました。
来た道を引き返すと、目抜き通りは緩やかな下り坂となって、谷を駆け下りていきます。
どんよりとした空で、周囲の空気にも重苦しさが纏わり付いているような、凡そアマルフィらしくない雰囲気に包まれた午後でした。
製紙業がこの界隈で栄えた最大の要因が、この豊かな水流でした。
今なお流れ下る轟音が、人通りも車の通行も疎らなこの谷に絶えず響き渡っています。
今となっては路傍の、目立たない小さな滝ですが、歴史の生き証人でもある訳ですね!
このアーチをくぐったすぐ右手が、先程のプレセーピオのジオラマが飾ってある場所です。
相変わらず人通りも途絶えて(シエスタでしょうか)、微睡みに沈んでいるような街角の風景が続きます。
こうした静かな雰囲気の中のそぞろ歩きも趣があります♪
目抜き通りを、街中まで戻ってきました。
観光客の姿も目立ち始め、活気も戻ってきました^^
「天然ヴァイアグラ(VIAGRA NATURALE)」って…w
ここは薬局かw
確かにカプサイシンには精力増進効果がありますけどねぇ。。。
こう銘打った方が売れ行きが良いのでしょうか(^^;)
それとも、元からこう呼…んでいる訳ないか!?
ドゥオーモ広場へと戻ってきました。
アマルフィのランドマーク、ドゥオーモ(Duomo di Amalfi)。
まだ1泊しかしていないのに、いつの間にかドゥオーモを見るとホッとしている自分がいました;
黄金のように輝くファサードを戴く、エキゾチックなモザイク模様の聖堂は、いつ見ても美しい魅力に溢れています。
ドゥオーモを、鐘楼と一緒に。
やはり、惚れ惚れと見入ってしまいます…。
ドゥオーモ広場の幅いっぱいに広がる聖堂と、高々と聳え立つ鐘楼、そしてインパクトのある大階段を1つの構図に納めるのは、中々に至難の業でした;
ドゥオーモ広場を通り抜け、目抜き通りをそのまま海へと進み、アマルフィ海岸一帯を貫く幹線道路へ出てきました!
この日は、海も少々荒れ模様。
季節外れの浜辺にも、人っ子一人いませんでした。
およそ1km弱のアマルフィ市街地縦貫は、短い距離のうちに全く別の顔を見せる、アマルフィ市街の豊かな情緒を楽しめた散策でした^^
また、雨混じりのどんよりした天候によって、「青空が良く似合う」アマルフィ一般のイメージとは一味異なった風情を垣間見ることができたような、少し得をしたような気分となって街中、そして海辺へと戻ってきたのでした。
アマルフィ、私は絶対一人では歩けません。
同じところをくるくる回ってしましそう。
崖を背負った建物を見ながら、この辺は地震はないのだろうかと心配になりましたが、やっぱり地震地帯なんですね。
アマルフィの伝統的耐震建築、恐るべし!
天然ヴィアグラ、如何にもイタリア人らしい命名ですね(笑)
魅力的な街だけど、ここで暮らすのは大変でしょうね。
足腰が丈夫になるから、長生きできそう。
アマルフィの路地は、あまりにも細くて無秩序に張り巡らされているせいか、地図にも余り詳しく記されていないので、勘を頼りに進まざるを得ないサスペンチックなところも、アマルフィの魅力かもしれません。
確か、過去の大地震で港が壊滅したことも、海洋国家としてのアマルフィ衰退の原因の一つになっていたはずです。
他に立てる場所もなくて仕方がないことは分かるのですが、それでも建物の背後の屏風のような崖の直下でよく暮らせるなぁ、と感嘆してしまいます!
「天然ヴィアグラ」、ユーモアとインパクトとの絶妙な融合ですよね^^
坂や階段も多い市街地は、観光客には魅力的でも、住む人にとっては、仰るとおり大変だと思います。
それでも、それ故か、地縁血縁のネットワークで近所同士が助け合って、若い人が老人の生活を支えているとのTV番組を見たことがあります。
街中が互いに顔見知りのような雰囲気もありますし、そうした人間関係の濃さもまた、イタリアの魅力なのかもしれませんね。