4日目を迎えたプラハ滞在…この日は、プラハ城を初めて訪れてみることにしました。
<<初海外1990 チェコスロバキア&DDR-08>
まずは、城内に建つ、プラハの街中からでも目にすることができる巨大な尖塔が印象的な、聖ビート大聖堂へ。
初めて間近に目にした、ヨーロッパの大聖堂…大伽藍が威厳に満ちて聳え建つ姿は、圧巻でした!
<プラハ城(Pražský hrad)>
<聖ビート大聖堂(Katedrála svatého Víta)>
プラハ滞在4日目も、再びレトナー公園(Letenské sady)の、かつて巨大スターリン像の立っていた場所を訪れ、プラハの旧市街(スタレー・ムニェスト/Staré Město)の方向を展望。
ブルタバ川(Vltava)に架かるスバトプルク・チェフ橋(Most Svatopluka Čecha)を、トラムが走っていました。
ゆったりと流れるブルタバに臨む、古都の風情…本当に絵になる眺めです。
スバトプルク・チェフ橋の他にも、個性的な意匠が魅力的な多くの橋が架かる、ブルタバ川の眺めも、飽きることがありません。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
手前の橋はマーネス橋(Mánesův most)で、その奥に架かっているのが、プラハ最古の橋、カレル橋(Karlův most)です。
1914年完成のマーネス橋と、1402年完成のカレル橋…すぐ隣同士で、500年もの時の流れを実感することができるプラハ…素敵です!
建物だけでなく、橋もまた様々な建築様式を楽しむことのできるプラハです。
レトナー公園から西へ、歩を進めます。
プラハ城の北側、西へ向けて緩やかな上り坂が続くマリアーンスケー・フラドビ通り(Mariánské hradby)を、黙々と歩いています。
道中、大きな館が目に入りました。
大きな建物に相応しい、どっしりとした門構えにも、目を引かれます。
マリアーンスケー・フラドビ通りから南へ折れる、ウ・プラシュネーホ・モストゥ通り(U Prašného mostu)へ。
プラハ城内で聳え立つ、聖ビート大聖堂が正面に、はっきりと見渡すことができました。
プラハ城の手前で、控え目に佇んでいる門にも、お洒落な装飾が。
袋小路のようにも思えた、ウ・プラシュネーホ・モストゥ通りは、そのままプラハ城内へと続いていきます。
プラハ城へと近付くにつれ、聖ビート大聖堂の建物からも、その威容をひしひしと感じ取れるようになってきました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
幾多の小尖塔を持つ、ゴシック様式の見事な大伽藍は、この距離からでも、感動的な眺めでした!
幾何学的な屋根の模様も、印象的です。
この眺めを横目に、いよいよプラハ城入城です!
プラハ城内、聖ビート大聖堂のファサードを、間近から仰ぎ見ます。
(出入口の画像は、クリックで別ウィンドウが開きます)
2つの尖塔の高さは、82m。
カトリックの大聖堂を、これ程間近で眺めたのは、この時が初めてで、圧倒的な存在感と迫力に、唯々感嘆するばかりでした。
屋内から眺めたら、さぞ美しいステンドグラスが嵌め込まれているであろう、巨大なバラ窓やその周りの装飾にも、目が釘付け状態にw
残念ながら、この日は休館日で、大聖堂内部へは入れず;
これまた見事に装飾された、出入り口の扉を眺めて、大聖堂正面を辞去しました。
なお、聖ビート大聖堂は正式には、「聖ビート、聖バーツラフ及び聖ボイチェフ大聖堂(Katedrála svatého Víta, Václava a Vojtěcha)」といいます。
1918年のチェコスロバキア(Československo)独立以来、今日に至るまで、その一角が大統領府となっているプラハ城では、共産主義時代でも、幾つかある城門に衛兵が立哨していました。
ちょうど交代の時間であったのか、3名の衛兵が、城の奥(詰所でもあるのでしょう)へと行進していく姿が、目に留まりました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
王宮や大統領官邸前の衛兵は、華やかな制服や目を引く交代式等の、とかく目立つ演出がされるものですが、この当時のプラハ城では、見過ごされそうな程に控え目な衛兵でした。
制服も、いかにも当時の共産圏の軍人が着用していたものとほとんど変わらないような、地味な色のもので、質実という印象を受けました。
聖ビート大聖堂の建物南側に立つ、鐘楼を戴く巨大な主塔。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
主塔の高さは、正面の2つの塔のそれを凌ぐ、99m。
金色の装飾が、目を引きます。
この、ゴシック様式の大聖堂が完成したのは、1344年。
以後、今日へと至る600年以上の年月に渡って、プラハの激動の歴史を見守り続けてきました。
聖ビート大聖堂から、王宮(Královský palác)が棟続きとなっています。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
大聖堂の右側の建物が、王宮です。
王宮の建物は、画像の右方へと続いていて、大統領府も王宮内に置かれています。
聖ビート大聖堂の建物後方。
ゴシック様式の聖堂の特徴でもある飛梁(とびばり)と、数多くの小尖塔が、印象的な眺めでした。
足場らしきものが組まれていたり、囲いが設けられていたり…と、大聖堂もお化粧直しに取り掛かり始めていたようです。
大聖堂の外壁を飾る、夥しい数の尖塔群。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
その大きさや形も様々で、1つ1つ見入っていたら、時間が幾らあっても、足りそうにありませんw
そうした、個性的な塔を眺めていると、古の芸術家や職人達の情熱が伝わってくるようです。
聖ビート大聖堂の建築に携わった彼等は、きっと情熱の赴くまま、競うようにこれら無数の尖塔群を築いていったのでしょうか。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
尖塔の数や意匠からは、執念ともいえそうな気迫が、感じられました。
休館日で、大聖堂内部への入場ができなかった分、外壁の装飾をじっくりと鑑賞した、プラハ城内、聖ビート大聖堂初訪問でした。
<初海外1990 チェコスロバキア&DDR-10>>
<<初海外1990 チェコスロバキア&DDR-08>
まずは、城内に建つ、プラハの街中からでも目にすることができる巨大な尖塔が印象的な、聖ビート大聖堂へ。
初めて間近に目にした、ヨーロッパの大聖堂…大伽藍が威厳に満ちて聳え建つ姿は、圧巻でした!
<プラハ城(Pražský hrad)>
<聖ビート大聖堂(Katedrála svatého Víta)>
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プラハ滞在4日目も、再びレトナー公園(Letenské sady)の、かつて巨大スターリン像の立っていた場所を訪れ、プラハの旧市街(スタレー・ムニェスト/Staré Město)の方向を展望。
ブルタバ川(Vltava)に架かるスバトプルク・チェフ橋(Most Svatopluka Čecha)を、トラムが走っていました。
ゆったりと流れるブルタバに臨む、古都の風情…本当に絵になる眺めです。
スバトプルク・チェフ橋の他にも、個性的な意匠が魅力的な多くの橋が架かる、ブルタバ川の眺めも、飽きることがありません。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
手前の橋はマーネス橋(Mánesův most)で、その奥に架かっているのが、プラハ最古の橋、カレル橋(Karlův most)です。
1914年完成のマーネス橋と、1402年完成のカレル橋…すぐ隣同士で、500年もの時の流れを実感することができるプラハ…素敵です!
建物だけでなく、橋もまた様々な建築様式を楽しむことのできるプラハです。
レトナー公園から西へ、歩を進めます。
プラハ城の北側、西へ向けて緩やかな上り坂が続くマリアーンスケー・フラドビ通り(Mariánské hradby)を、黙々と歩いています。
道中、大きな館が目に入りました。
大きな建物に相応しい、どっしりとした門構えにも、目を引かれます。
マリアーンスケー・フラドビ通りから南へ折れる、ウ・プラシュネーホ・モストゥ通り(U Prašného mostu)へ。
プラハ城内で聳え立つ、聖ビート大聖堂が正面に、はっきりと見渡すことができました。
プラハ城の手前で、控え目に佇んでいる門にも、お洒落な装飾が。
袋小路のようにも思えた、ウ・プラシュネーホ・モストゥ通りは、そのままプラハ城内へと続いていきます。
プラハ城へと近付くにつれ、聖ビート大聖堂の建物からも、その威容をひしひしと感じ取れるようになってきました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
幾多の小尖塔を持つ、ゴシック様式の見事な大伽藍は、この距離からでも、感動的な眺めでした!
幾何学的な屋根の模様も、印象的です。
この眺めを横目に、いよいよプラハ城入城です!
プラハ城内、聖ビート大聖堂のファサードを、間近から仰ぎ見ます。
(出入口の画像は、クリックで別ウィンドウが開きます)
2つの尖塔の高さは、82m。
カトリックの大聖堂を、これ程間近で眺めたのは、この時が初めてで、圧倒的な存在感と迫力に、唯々感嘆するばかりでした。
屋内から眺めたら、さぞ美しいステンドグラスが嵌め込まれているであろう、巨大なバラ窓やその周りの装飾にも、目が釘付け状態にw
残念ながら、この日は休館日で、大聖堂内部へは入れず;
これまた見事に装飾された、出入り口の扉を眺めて、大聖堂正面を辞去しました。
なお、聖ビート大聖堂は正式には、「聖ビート、聖バーツラフ及び聖ボイチェフ大聖堂(Katedrála svatého Víta, Václava a Vojtěcha)」といいます。
1918年のチェコスロバキア(Československo)独立以来、今日に至るまで、その一角が大統領府となっているプラハ城では、共産主義時代でも、幾つかある城門に衛兵が立哨していました。
ちょうど交代の時間であったのか、3名の衛兵が、城の奥(詰所でもあるのでしょう)へと行進していく姿が、目に留まりました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
王宮や大統領官邸前の衛兵は、華やかな制服や目を引く交代式等の、とかく目立つ演出がされるものですが、この当時のプラハ城では、見過ごされそうな程に控え目な衛兵でした。
制服も、いかにも当時の共産圏の軍人が着用していたものとほとんど変わらないような、地味な色のもので、質実という印象を受けました。
聖ビート大聖堂の建物南側に立つ、鐘楼を戴く巨大な主塔。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
主塔の高さは、正面の2つの塔のそれを凌ぐ、99m。
金色の装飾が、目を引きます。
この、ゴシック様式の大聖堂が完成したのは、1344年。
以後、今日へと至る600年以上の年月に渡って、プラハの激動の歴史を見守り続けてきました。
聖ビート大聖堂から、王宮(Královský palác)が棟続きとなっています。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
大聖堂の右側の建物が、王宮です。
王宮の建物は、画像の右方へと続いていて、大統領府も王宮内に置かれています。
聖ビート大聖堂の建物後方。
ゴシック様式の聖堂の特徴でもある飛梁(とびばり)と、数多くの小尖塔が、印象的な眺めでした。
足場らしきものが組まれていたり、囲いが設けられていたり…と、大聖堂もお化粧直しに取り掛かり始めていたようです。
大聖堂の外壁を飾る、夥しい数の尖塔群。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
その大きさや形も様々で、1つ1つ見入っていたら、時間が幾らあっても、足りそうにありませんw
そうした、個性的な塔を眺めていると、古の芸術家や職人達の情熱が伝わってくるようです。
聖ビート大聖堂の建築に携わった彼等は、きっと情熱の赴くまま、競うようにこれら無数の尖塔群を築いていったのでしょうか。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
尖塔の数や意匠からは、執念ともいえそうな気迫が、感じられました。
休館日で、大聖堂内部への入場ができなかった分、外壁の装飾をじっくりと鑑賞した、プラハ城内、聖ビート大聖堂初訪問でした。
<初海外1990 チェコスロバキア&DDR-10>>
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