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初海外1990 チェコスロバキア&DDR-08~プラハ ユダヤ人街からレトナー公園へ

2018-04-30 09:06:25 | チェコスロバキア
 プラハ旧市街市庁舎からの眺望を堪能した後は、旧市街市庁舎の建つ旧市街広場のすぐ北に位置している、ユダヤ人街を訪ねます。

 <<初海外1990 チェコスロバキア&DDR-07>

 狭いエリアに点在しているユダヤ教会堂(シナゴーグ)や、ヨーロッパ最大のユダヤ人墓地を見て回りました。
 敷地の制約から、独特の景観となった墓地は、意外と開放的でのどかな雰囲気に包まれていました。

 ユダヤ人街から更に北へと歩を進めて、ブルタバ川を渡り、渡ったすぐ先の丘の上にある、レトナー公園へ。
 かつてそこに存在していた、とある独裁者の世界最大の立像が睥睨していたのと同じプラハの風景を、一望しました。

 <プラハ(Praha)>
 <プラハのユダヤ人街>
 <旧ユダヤ人墓地>



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 旧市街市庁舎(Staroměstská radnice)の面している旧市街広場(Staroměstské náměstí)から、パリ通り(パジージュスカー/Pařížská)を北へ歩くとすぐに、ヨゼフォフ(Josefof)というエリアとなります。
 そのヨゼフォフに建つユダヤ教の会堂、旧新シナゴーグ(Staronová synagoga)。
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 ヨゼフォフは、かつてユダヤ人のゲットーであった地区で、13世紀末にゴシック様式で建てられた、この新旧シナゴーグの他、5つのシナゴーグ(ユダヤ教会堂)の残る、ユダヤ人街となっています。

 ユニークな名称(チェコ語で「旧新」となります)のこのシナゴーグ、今日ではユダヤ人街で唯一、会堂としての役割を果たしているとのこと。



 旧新シナゴーグの、内部です。

 キリスト教の教会とは、やはり随分趣きが違いますね。
 どことなくオリエンタルで、エキゾチックな雰囲気を、感じました。



 旧新シナゴーグの隣に建つ、ハイシナゴーグ(Vysoká synagoga/英語:High Synagogue)。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 1577年にゲットーの市庁舎(ユダヤ市庁舎/Židovská radnice)と棟続きで建設されたため、「ハイ」の名称が付けられました。
 日本語にすると、「高等シナゴーグ」となるのかな?…しっくりこないので、ハイシナゴーグと記しました。



 ハイシナゴーグは、現在非公開ですが、1990年に訪れたこの旅のアルバムには、その内部というメモが、この画像の説明として記されていました。

 1990年当時は、公開されていたのでしょうか…???
 アルバムの記述が正しければ、結構貴重な画像になりますね?!



 こちらは、博物館となっていた、元儀式館(Bývalá obřadní síň)。
 ロマネスク様式に似せて建てられただけに、素朴な佇まいです。

 遺体安置所も兼ねたセレモニー・ホールとして、1912年に完成しました。
 この元儀式館の裏手は、この後訪れる、墓地となっています。

 画像左端の建物はクラウスシナゴーグ(Klausová synagoga)で、やはり博物館となっていました。
 現在の様子は…ここまで綺麗になるものなのですね!
 塀の上の侵入除けは、1990年当時とかわらぬ趣きですね。



 クラウスシナゴーグ内部は、この天井の写真のみが、残っていました;

 ステンドグラスも、シンプルな意匠ですね。




 プラハのユダヤ人街最大の見所ともいえる、旧ユダヤ人墓地(Starý židovský hřbitov)へ。
 ヨーロッパ最大の、ユダヤ人墓地です。
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 墓地の敷地は、見渡す限り、夥しい数の墓石で埋め尽くされてるかのよう。
 何というか…圧倒される景観です!



 墓石越しに、先程訪れた元儀式館と、その右にクラウスシナゴーグの建物が、見えています。
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 この墓地は本当に、元儀式館のすぐ裏に隣接していたのですね。
 元儀式館に遺体を安置してお葬式を執り行って、この墓地に埋葬したのでしょうか。




 墓石で一面埋め尽くされた墓地の敷地は、塀で囲まれていて、塀の外側の市街地よりも地面が高くなっています。
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 15世紀から1787年までの300余年にわたり、古い埋葬の上に土を盛って重層的に埋葬を繰り返してきた結果、地面が周囲よりも嵩上げされたとのことです。
 嵩上げの度に、古い墓石を新たな地面へ設置し直してきたことにより、この特異な景観となりました。

 一見凄まじい光景に見えますが、足を踏み入れてみると、オドロオドロしい気配はなく、寧ろ拍子抜けする位に明るい雰囲気に包まれていた、旧ユダヤ人墓地でした。
 死者とざっくばらんに世間話でもできそうな、あっけらかんとした感じは、意外でした。



 ユダヤ人街のヨゼフォフ地区も、プラハ都心部に位置していて、ヨーロッパの古都の趣きを、歩きながらに感じ取ることができます♪
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 普通の集合住宅の建物でも、こうした凝った装飾が施されているのは、これまで歩いてきたプラハの、他の街角と同様でした。
 窓のレースのカーテンとも相まって、生活の情感を感じる、生きた街の風景に、ここでも幾度となく足を留められていました。



 旧市街広場から延びるパリ通りの北の突き当たりとなっている、スバトプルク・チェフ橋(Most Svatopluka Čecha)。
 単に、チェフ橋(Čechův most)とも呼ばれています。
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 橋の袂の、太い柱が印象的な、美しい橋です。
 19世紀のチェコで作家やジャーナリスト、詩人として、文筆活動に携わった、スバトプルク・チェフ(Svatopluk Čech)の名を冠せられました。

 優美なアールヌーボー様式の装飾を施されているチェフ橋は、1905年から3年を掛け、1908年6月に完成しました。
 チェフは、橋の完成直前の、1908年2月に他界しています。



 橋上と共に、橋脚の部分も素晴らしい装飾が施されている、スバトプルク・チェフ橋。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 橋脚にある女性の像は、両手に松明を掲げています。
 橋上の街灯の装飾も、お洒落ですね。
 太い柱は、対岸の袂にも立っています。

 このような、素敵な橋の上を往くトラム…絵になります!

 チェフ橋を渡った先の丘は、広大な公園(レトナー公園/Letenské sady)となっていて、階段で丘を上れます。

 丘の頂には、何かの台座らしき建造物が見えています。
 1955年から1962年まで、この台座の上には、当時の共産圏の絶対的支配者であったスターリンの像が傲然と聳えていて、プラハの街を睥睨していました
 世界最大であったという、プラハのスターリン像は、台座の中央に屹立していましたが、像の完成翌年の1956年には早くもソ連でスターリン批判がなされて、その後の脱スターリン主義の歴史の流れの中、1962年に爆破という、劇的な最期を迎えました。

 像のあった頃その他の画像は、こちらでたくさん出てきました。

 かつて、巨大な像のあった場所には、今日、巨大なメトロノームがあります。
 私がプラハを訪れた翌年の、1991年に作られました



 台座へと向かう、階段上から。
 南方の、ブルタバ川(Vltava)上流方向を、眺めています。

 ブルタバ川に架かっている橋は、手前がマーネス橋(Mánesův most)で、奥がプラハ最古の橋であるカレル橋(Karlův most)です。



 レトナー公園の丘の縁に半ば隠れるように、ブルタバ川の西岸に広がる、マラー・ストラナ(Malá Strana)の街並み。

 マラー・ストラナにも、ブルタバ川を挟んだ対岸の旧市街(スタレー・ムニェスト/Staré Město)同様、印象的な歴史的建造物が数多く建っています。

 マラー・ストラナの背後は、ペトシーン公園(Petřínské sady)の丘。
 ペトシーン展望タワー(Petřínská rozhledna)も、ハッキリと眺めることができました。



 今度は、ブルタバ川の下流の方向を、眺めてみます。
 こちらの方向の眺めも、丘に囲まれたプラハの市街地が、ずっと続いていますね。

 東側の丘の頂には、当時完成を間近に控えた、ジシュコフテレビ塔(Žižkovská televizní věž)の個性的な姿を一望。



 まだ巨大メトロノームもなく、ガランとした空き地となっていた、スターリン像跡地から、かつての像の視線で、正面のプラハ旧市街の方向を眺めます。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 一直線に延びている道路が、これまで歩いてきたパリ通り。
 パリ通りの突き当たりが、旧市街の中心である旧市街広場で、突き当りの右側に見えている高い塔が、旧市街市庁舎。
 そのすぐ右に見える丸みのある塔は、聖ミクラーシュ教会(聖ニコラス教会/Kostel svatého Mikuláše)(リンク先は、上記パリ通りと同じ画像)のものです。

 それらの塔の左側には、ティーンの前の聖母教会(ティーン教会/Kostel Matky Boží před Týnem)の、ひときわ存在感のある塔を備えた建物が、どっしりと佇んでいます。

 更に左へ視線を遣ると、2つの尖塔を持つ聖ヤコブ教会(Bazilika sv. Jakuba)や、火薬塔(Prašná brána)等の個性的な尖塔の姿を、一望することができました。

 プラハ都心の旧市街市庁舎とはまた異なるアングルからの、プラハのパノラマを堪能した、レトナー公園からの眺めでした。

 <初海外1990 チェコスロバキア&DDR-09>>



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2 コメント

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Unknown (タヌ子)
2018-05-07 16:26:38
プラハを訪れたのは、ヨーロッパに住み始めてから間もない頃で、ユダヤ教とはなんぞや?という知識もあまりなく、ユダヤ=アンネ・フランクだったので、このユダヤ人地区は凄く印象に残っています。
墓地は墓荒らしに会ったのか?と思うぐらい無秩序で、曇り空だったせいもあって、taろうさんのようには感じず、すごく物悲しい気分のなったのを今でもよく覚えています。
私たちはその後、レトナー公園にも行かず、時計塔に続いて町の展望するチャンスをまたしても逃してしまいました。
いつか機会があったら美しく明るく変身したユダヤ地区も訪れてみたいです。
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タヌ子さん。 (taろう)
2018-05-07 20:54:34
決して広くはないエリア内に、キリスト教の教会とは趣きの異なるユダヤ教会の建物が、ひしめくように密集して建っていた風景が印象的であった、プラハのユダヤ人街でした。
旧ユダヤ人墓地は、私も最初は荒らされたのかと思いましたが、実際は、土盛りをする度に墓石を新たな地表面に移した結果であったのですね…意外でした。
インパクトは強かったですが、本当に不思議とおどろおどろしさは、ほとんど感じず…天候の違いで、印象がガラリと異なることは、あるのかもしれませんね。
丘の上にあるレトナー公園、かつてスターリン像を立てただけのことはあると納得した、プラハの街のパノラマ風景は、圧巻でした!
ユダヤ人街とレトナー公園は、ブルタバ川を挟んで隣り合っているので、プラハご再訪の折には、是非訪れてみてください^^
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