
長崎は広島と共に、戦争において兵器として核兵器が投じられた地として、未来永劫、その人道に悖る行為を告発し続ける決意を誓った街でもあります。
今回の長崎行では、原爆投下という忘れてはならない人類の悲劇を象徴する場所にも訪れてみました。

原爆落下中心地です。
その名のとおり、昭和20年(1945年)8月9日にこの碑の上空で原子爆弾が炸裂した、長崎の爆心地、「グラウンド・ゼロ」です。
長崎市街地の北部に位置する、浦上にあります。
現在では、「原爆落下中心地公園」(動画)として整備されています。
隣接して、平和祈念像が見守る、平和公園があります。

この碑は、昭和43年(1968年)に建立された黒御影石の標柱です。
この日は好天であり、あまりの平穏な初夏の陽気に、64年前の夏ここを中心として長崎が地獄絵図と化したとは、とても想像がつきませんでした…。
しかしながら、真実は誰もが知る、残酷な歴史の現実です。
慰霊の誠を青空に捧げているかに思える、標柱でした。

ここが原爆投下の中心地であったことの説明や、当時のこの界隈の町割り(住宅地図)がありました。
当時は、この公園一帯も家々が建ち並ぶ住宅地であったようです。
標柱も現在の黒御影石のものとなるまで、何度か建て直されているようです。

標柱の傍らには、この公園の近くにあり、当然ながら原爆に被災した浦上天主堂の外壁の一部が移築されて、建てられていました。
上部の像の下の辺りが、熱線にやられたのか、黒く変色している様子が痛々しいです。

別の角度から眺めてみます。
被爆の名残らしき痕跡を、そこここに見ることができます。

たった一発の爆弾で、一つの街が文字どおり「蒸発」したかのように消滅し、信者の方々が造り上げた聖堂も、無惨に破壊されてしまいました。
矢印の部分が、ここに移築されたようです。

その浦上天主堂(浦上教会)は、現在ではこのような聖堂に再建されています。
「鮮やかなブラウン」という、大変独特に思えた不思議な色合いをした、立派なカテドラルです。

周囲を走る道路からは、僅かに小高い場所に建っています。
先程の画像は、少し離れた所から望遠で撮影したので、遠近感が圧縮されましたが、こうしてすぐ近くで見ると、広がりを持った、風格ある姿をしていますね。

大浦天主堂の記事でも少し触れましたが、浦上天主堂は今日6万人を超える信徒を擁する長崎大司教区の長、長崎大司教が座する司教座聖堂となっています。

浦上天主堂の敷地内にも、原爆で破壊された聖堂の一部が保存されていました。
凄まじい熱線と放射線を浴びた、歴史の生き証人たち…彼等を見ていると、華やかな観光化の影で年々薄まりつつあった原爆の惨禍という事実を、再び呼び起こされたような気がしました。

カトリックのカテドラルとしては、とてもストイックな風情ですっきりとした、現在の浦上天主堂の外観です。
ブラウンの外壁が青空や陽光に良く映えた、コントラストの素敵な眺めでした。
聖堂の中は撮影禁止で画像はありませんが、今日もなお、生きた信仰の場として、凛と張り詰めた気配の感じられる聖堂内部でした。
こちらから見て、出入口の右に建っているのは、現在のベネディクト16世の前の教皇である、ヨハネ・パウロⅡ世の胸像です。
カトリックと縁の深い土地柄、大浦天主堂と共に浦上天主堂へも訪問なさっていたのですね。
ストイックな雰囲気を纏いながら、可憐な美しさを見せるバラ窓も印象的な浦上天主堂を後にします。

浦上天主堂から路面電車の松山町(まつやままち)電停へと向かう道の途中(ほとんど松山町電停近くですが)に、平和公園の入口が階段となって、平和祈念像がある高台へと続いています。
高台となっている、階段を上がった少し奥には、噴水の飛沫が見えています。
階段の右側では、恐らくエスカレータと思しき施設を設置中でした。
朝から色々歩き回っていたせいか、この頃には足腰がかなりお疲れであり、この階段を上がらなければならない平和公園は訪れませんでした。
往路はここで下車した、松山町電停へと戻ります。

以上、浦上巡りも終了、長崎駅へと戻ります。

長崎駅前の交差点です。
路面電車の軌道は、いきなり分岐しています。
右側へ別れた軌道を奥へ奥へと進んだ所に、出島があります。

長崎駅のコンコースとなっている、大きな天蓋の部分には、「長崎くんち」の龍でしょうか、可愛らしいドラゴンくんが出迎えてくれます。
長崎を発つ電車にはまだ少し(1時間程)時間があったので、休憩を兼ねてお茶にすることにしました。

この後すぐ電車に乗車するので、駅直結といってもいい「パパス カフェ 長崎アミュプラザ店」でのコーヒーブレイクです。
お昼にあれ程イクラ丼を食べたのに、あちこち歩き回ったせいかかなりの空腹感;…そこで!、シフォンケーキも付けてみました。
大きく切り分けられたシフォンケーキでしたが、フワフワとした食感とあっさりした風味が美味でみるみる完食、コーヒーの香りと共に寛いだ、午後のひとときでした。
ゆっくりした後は長崎を出発、次の目的地である、佐賀県の太良を目指します。
今回の長崎行では、原爆投下という忘れてはならない人類の悲劇を象徴する場所にも訪れてみました。
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _

原爆落下中心地です。
その名のとおり、昭和20年(1945年)8月9日にこの碑の上空で原子爆弾が炸裂した、長崎の爆心地、「グラウンド・ゼロ」です。
長崎市街地の北部に位置する、浦上にあります。
現在では、「原爆落下中心地公園」(動画)として整備されています。
隣接して、平和祈念像が見守る、平和公園があります。

この碑は、昭和43年(1968年)に建立された黒御影石の標柱です。
この日は好天であり、あまりの平穏な初夏の陽気に、64年前の夏ここを中心として長崎が地獄絵図と化したとは、とても想像がつきませんでした…。
しかしながら、真実は誰もが知る、残酷な歴史の現実です。
慰霊の誠を青空に捧げているかに思える、標柱でした。

ここが原爆投下の中心地であったことの説明や、当時のこの界隈の町割り(住宅地図)がありました。
当時は、この公園一帯も家々が建ち並ぶ住宅地であったようです。
標柱も現在の黒御影石のものとなるまで、何度か建て直されているようです。

標柱の傍らには、この公園の近くにあり、当然ながら原爆に被災した浦上天主堂の外壁の一部が移築されて、建てられていました。
上部の像の下の辺りが、熱線にやられたのか、黒く変色している様子が痛々しいです。

別の角度から眺めてみます。
被爆の名残らしき痕跡を、そこここに見ることができます。

たった一発の爆弾で、一つの街が文字どおり「蒸発」したかのように消滅し、信者の方々が造り上げた聖堂も、無惨に破壊されてしまいました。
矢印の部分が、ここに移築されたようです。

その浦上天主堂(浦上教会)は、現在ではこのような聖堂に再建されています。
「鮮やかなブラウン」という、大変独特に思えた不思議な色合いをした、立派なカテドラルです。

周囲を走る道路からは、僅かに小高い場所に建っています。
先程の画像は、少し離れた所から望遠で撮影したので、遠近感が圧縮されましたが、こうしてすぐ近くで見ると、広がりを持った、風格ある姿をしていますね。

大浦天主堂の記事でも少し触れましたが、浦上天主堂は今日6万人を超える信徒を擁する長崎大司教区の長、長崎大司教が座する司教座聖堂となっています。

浦上天主堂の敷地内にも、原爆で破壊された聖堂の一部が保存されていました。
凄まじい熱線と放射線を浴びた、歴史の生き証人たち…彼等を見ていると、華やかな観光化の影で年々薄まりつつあった原爆の惨禍という事実を、再び呼び起こされたような気がしました。

カトリックのカテドラルとしては、とてもストイックな風情ですっきりとした、現在の浦上天主堂の外観です。
ブラウンの外壁が青空や陽光に良く映えた、コントラストの素敵な眺めでした。
聖堂の中は撮影禁止で画像はありませんが、今日もなお、生きた信仰の場として、凛と張り詰めた気配の感じられる聖堂内部でした。
こちらから見て、出入口の右に建っているのは、現在のベネディクト16世の前の教皇である、ヨハネ・パウロⅡ世の胸像です。
カトリックと縁の深い土地柄、大浦天主堂と共に浦上天主堂へも訪問なさっていたのですね。
ストイックな雰囲気を纏いながら、可憐な美しさを見せるバラ窓も印象的な浦上天主堂を後にします。

浦上天主堂から路面電車の松山町(まつやままち)電停へと向かう道の途中(ほとんど松山町電停近くですが)に、平和公園の入口が階段となって、平和祈念像がある高台へと続いています。
高台となっている、階段を上がった少し奥には、噴水の飛沫が見えています。
階段の右側では、恐らくエスカレータと思しき施設を設置中でした。
朝から色々歩き回っていたせいか、この頃には足腰がかなりお疲れであり、この階段を上がらなければならない平和公園は訪れませんでした。
往路はここで下車した、松山町電停へと戻ります。

以上、浦上巡りも終了、長崎駅へと戻ります。

長崎駅前の交差点です。
路面電車の軌道は、いきなり分岐しています。
右側へ別れた軌道を奥へ奥へと進んだ所に、出島があります。

長崎駅のコンコースとなっている、大きな天蓋の部分には、「長崎くんち」の龍でしょうか、可愛らしいドラゴンくんが出迎えてくれます。
長崎を発つ電車にはまだ少し(1時間程)時間があったので、休憩を兼ねてお茶にすることにしました。

この後すぐ電車に乗車するので、駅直結といってもいい「パパス カフェ 長崎アミュプラザ店」でのコーヒーブレイクです。
お昼にあれ程イクラ丼を食べたのに、あちこち歩き回ったせいかかなりの空腹感;…そこで!、シフォンケーキも付けてみました。
大きく切り分けられたシフォンケーキでしたが、フワフワとした食感とあっさりした風味が美味でみるみる完食、コーヒーの香りと共に寛いだ、午後のひとときでした。
ゆっくりした後は長崎を出発、次の目的地である、佐賀県の太良を目指します。
この平和な美しい風景からは、本当に当時の悲惨な状況を想像することは難しいですね。
教会の入口に狛犬のような動物がいるところが日本らしいですね。
長崎のカフェのシフォンケーキはどこかカステラを思わせる風貌ですね。
現在の長崎の街に、災禍の痕跡は殆ど残っていませんが、これが逆にこうした場所を周囲から非現実的に浮き立たせてしまっているようで、一層心が痛みました。
まだ「切支丹」に恐れや偏見が根強かった当時に、決して怪しいものでないという証に、馴染みのある狛犬に似せた動物を置いて、偏見を解いてもらおうとしたのでしょうね。
カステラも買ったのですが、写真を撮り忘れましたorz
シフォンケーキは、軽やかな口当たりで、美味しくいただきました^^
長崎を調べてみると沖の五島列島にもたくさんの教会があるようですね。taろうさんの仰るようにキリシタンに偏見が多かった時代には信者の方々の苦労も今の時代では想像もできない程だったでしょうね。
長崎駅前は路面電車と車の共存ですね。
五島列島はまた、独特の信仰の歴史があることを、タヌ子さんから紹介していただいた、luntaさんのブログで知りました。
充実した内容と、私など足許にも及ばない明晰な文章で、とても楽しく拝読しながら理解できます^^
タヌ子さんからの又聞きになりますが、興味がおありでしたら、是非お読みになってみてください(既読でしたら失礼しました)。
http://blog.goo.ne.jp/lunta_november/e/f0379d45146baed390fb1bc2c084d36f
長崎駅前、車も軌道に進入しない遵法精神が清々しい光景ですよね^^