先週のはじめのこと、WWFジャパンの方から海草の藻場の写真が無いかと尋ねられた。
その昔、調査ダイバーだったころ、それこそ全国でアマモの調査をしてきた。写真もどこかにあるだろうと、簡単に引き受けたのだ。
アマモの写真はどこかにあるはず、ただし銀塩写真なのでデータに取り込まなくてはならない。それならいっそ新たに撮りに行こうかと思った。
さて、先週は琵琶湖博物館にいったり奈良に行って前半は家にいなかった。帰宅して展示映像の手直しをして、岐阜新聞の原稿を書いた。それが、「草むらのアユ」の写真なのだが、その撮影に時間が掛かった。長良川がなかなか澄まなかったのだ。
長良川の撮影が済んで、琵琶湖博物館にも修正のDVDを送った。
それではアマモ場を撮影に行こうということになる。
どこのアマモを撮影しようかと思って、最初に選んだのは三河湾、豊川の河口の六条潟だった。
六条潟と三河湾を守る会
この会の市野さんは設楽ダムの建設中止を求めている方だ。
設楽ダムの建設中止をもとめる会 報道
ボクも設楽ダムについて自分なりに勉強してみようと思っている。愛知川の会という研究会でたまたま市野さんにお会いして、一度お訪ねしようと思っていたので、撮影がてらお邪魔することにした。
市野さんにアマモ場の話を相談すると、「六条潟にはコアマモしかない」というお話しだった。
三河湾の貴重なアマモ場というキャプションでWWFジャパンの会報に載せたいと思ったのでコアマモでも良いと思った。というかコアマモの方が河川の影響の強いところに生えている。豊川と設楽ダムそして三河湾の関連を説明するにはかえって良いかと思ったのだ。
そして、昨日、市野さんをご自宅にお尋ねして、一緒に豊川河口へ。
このところ妙に豊川には縁がある。
ボクの生まれたのが浜名湖の北岸で祖父は豊川の支流の生まれだから近くなのだが、50年近く来たことが無かった。ところが、昨年秋からもう3度目豊川に来ているのだった。
河口にでると南西の強い風が吹いていた。しかも小潮である。干潮時なのだが、潮が十分に引かない、そしてひどく濁っている。
これではとても撮影ができない。せっかくご案内いただいたのに残念なことである。
結局、明日の朝、風が出る前に撮影することにして市野さんをお送りして実家に向かった。
市野さんのお宅から、浜名湖方面に向かう。東名高速の測道沿いに走って、思いがけず懐かしい地名にであった。そこは、祖父の生まれた場所で幼稚園くらいのころ一度だけ来たことがあった。
新城市富岡 そこには夜中にトラックに乗せられて浜名湖から峠を越えて行った。曾祖母のお葬式だったと思う。当時はとても遠い場所であると思いこんでいたのだが、東名高速沿いの浜名湖からはとても近い場所にあった。お葬式も始めてのことだったので、とても怖い場所だったような印象があっただけに、あっけなかった。
さて、明日の朝豊川に行くにしても、撮影が可能か心配だ。そこで浜名湖でも撮影することにする。
以前、浜名湖のアマモの分布をネットで検索していたのでそのまま村櫛半島に向かった。南西の風が吹いているので半島の陰でしか撮影はできないと思ったのだ。
村櫛半島は高校時代の学区だったので同級生が何人かいる。高校時代1度だけ行ったことがあったのであの辺りかと思っていってみたら、とんでもない。
湖岸に降りる場所がないのだ。あの辺りと思うと巨大なリゾートホテルが建っていたり、なんとかセンターという県の研究所。
湖岸に降りやすい場所はといえば、日曜日、家族連れが泳いでいるというか、アサリとりをしている。 まみてもアマモが生えていないのだが。
あきらめて、実家に帰った。
お袋に、今日の顛末を説明すると都田川の河口に水草があるという。散歩に行って見たという。夕食までに時間があったので出かけてみると南西による風の濁りが河口から逆流してきて、全く撮影にならなかった。
半年ぶりの帰省である。予定では六条潟で撮影してネットで送って終わり。のつもりだったが、また早朝に豊川に向かうことになった。
つづく
その昔、調査ダイバーだったころ、それこそ全国でアマモの調査をしてきた。写真もどこかにあるだろうと、簡単に引き受けたのだ。
アマモの写真はどこかにあるはず、ただし銀塩写真なのでデータに取り込まなくてはならない。それならいっそ新たに撮りに行こうかと思った。
さて、先週は琵琶湖博物館にいったり奈良に行って前半は家にいなかった。帰宅して展示映像の手直しをして、岐阜新聞の原稿を書いた。それが、「草むらのアユ」の写真なのだが、その撮影に時間が掛かった。長良川がなかなか澄まなかったのだ。
長良川の撮影が済んで、琵琶湖博物館にも修正のDVDを送った。
それではアマモ場を撮影に行こうということになる。
どこのアマモを撮影しようかと思って、最初に選んだのは三河湾、豊川の河口の六条潟だった。
六条潟と三河湾を守る会
この会の市野さんは設楽ダムの建設中止を求めている方だ。
設楽ダムの建設中止をもとめる会 報道
ボクも設楽ダムについて自分なりに勉強してみようと思っている。愛知川の会という研究会でたまたま市野さんにお会いして、一度お訪ねしようと思っていたので、撮影がてらお邪魔することにした。
市野さんにアマモ場の話を相談すると、「六条潟にはコアマモしかない」というお話しだった。
三河湾の貴重なアマモ場というキャプションでWWFジャパンの会報に載せたいと思ったのでコアマモでも良いと思った。というかコアマモの方が河川の影響の強いところに生えている。豊川と設楽ダムそして三河湾の関連を説明するにはかえって良いかと思ったのだ。
そして、昨日、市野さんをご自宅にお尋ねして、一緒に豊川河口へ。
このところ妙に豊川には縁がある。
ボクの生まれたのが浜名湖の北岸で祖父は豊川の支流の生まれだから近くなのだが、50年近く来たことが無かった。ところが、昨年秋からもう3度目豊川に来ているのだった。
河口にでると南西の強い風が吹いていた。しかも小潮である。干潮時なのだが、潮が十分に引かない、そしてひどく濁っている。
これではとても撮影ができない。せっかくご案内いただいたのに残念なことである。
結局、明日の朝、風が出る前に撮影することにして市野さんをお送りして実家に向かった。
市野さんのお宅から、浜名湖方面に向かう。東名高速の測道沿いに走って、思いがけず懐かしい地名にであった。そこは、祖父の生まれた場所で幼稚園くらいのころ一度だけ来たことがあった。
新城市富岡 そこには夜中にトラックに乗せられて浜名湖から峠を越えて行った。曾祖母のお葬式だったと思う。当時はとても遠い場所であると思いこんでいたのだが、東名高速沿いの浜名湖からはとても近い場所にあった。お葬式も始めてのことだったので、とても怖い場所だったような印象があっただけに、あっけなかった。
さて、明日の朝豊川に行くにしても、撮影が可能か心配だ。そこで浜名湖でも撮影することにする。
以前、浜名湖のアマモの分布をネットで検索していたのでそのまま村櫛半島に向かった。南西の風が吹いているので半島の陰でしか撮影はできないと思ったのだ。
村櫛半島は高校時代の学区だったので同級生が何人かいる。高校時代1度だけ行ったことがあったのであの辺りかと思っていってみたら、とんでもない。
湖岸に降りる場所がないのだ。あの辺りと思うと巨大なリゾートホテルが建っていたり、なんとかセンターという県の研究所。
湖岸に降りやすい場所はといえば、日曜日、家族連れが泳いでいるというか、アサリとりをしている。 まみてもアマモが生えていないのだが。
あきらめて、実家に帰った。
お袋に、今日の顛末を説明すると都田川の河口に水草があるという。散歩に行って見たという。夕食までに時間があったので出かけてみると南西による風の濁りが河口から逆流してきて、全く撮影にならなかった。
半年ぶりの帰省である。予定では六条潟で撮影してネットで送って終わり。のつもりだったが、また早朝に豊川に向かうことになった。
つづく
WWFの看板写真には似合わないかもしれませんけど、三重のアマモ職人を紹介することは可能です。
またアマモに限らず気軽に相談ください。
それに答えるのもシゴトの一つだと考えています。