リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

アマモは甘くない その2

2007-07-24 11:27:52 | アユの流し目/雑記帳
昨日のことだ。

三河湾の潮位

 干潮は6時だが、小潮、7時でも5cmほどしか違わない。たぶんアマモ場が干出することはないので、6時過ぎに実家をでた。豊川河口まで35km弱、高速は使わず地道で行く。カーナビのルートが豊橋市役所を通るルートだったりして意外と道が混んでいて7時過ぎに六条潟についた。

 やはり潮は引いていない。まだ風が吹く前なので水はそんなに濁っていなかった。驚いたのは、岸から1kmほどに展開する漁船の群れだ。おそらく、200艘以上。昨日市野さんが話していたが、西三河の漁船だ。アサリを捕っている。

 この海域は六条潟の埋め立て計画により漁業権が買い上げられている。そこで他の海域から漁船が集まるという。この漁船群は船上からジェット水流などでアサリを捕るというので、アマモが無くなってしまったということだった。たしかに、あんなに密集して捕っていたらアマモ場などはなくなってしまう。

 風が出だしているので、慌てて、潜る。
透視度は悪かった。手先がようやく見える程度。すこし、探すとコアマモの群落があった。
 市野さんからだいたいの場所を聞いていたが、思ったよりも群落の規模は小さい。魚眼レンズというのは便利なもので、濁っていてもそれなりに写るのだが、とてもアマモ群落という絵にはなりそうも無かった。
 沖合に行けば、アマモもあるということだったが、大船団をみるとこれは、引いてしまう。しかも水深が胸ぐらいまではありそうで、完全に水中での撮影ではアマモ場という映像にはなりそうもない。

 水の濁り。こればかりはしょうがないので、引き上げることにする。
 アサリ軍団の船影は迫力があるのでその撮影をしておこうと車に向かったが、アリャー。全軍団が一斉に寄港しだした。車にもどり、ドライスーツを脱いで車のキーを取り出す間に、轟音とともに消え去った。 まあ仕方がない。


 この時点で考えた。

 三河湾で 三河三谷方面のアマモ群落を撮影する。
 木曾三川の河口で コアマモを撮影する。

 しかし、南よりの風が吹き出している。小潮の満潮時になっている。もう時間切れだ。ということで岐阜に帰った。

 アマモ場の写真なら誰でも持っている。そう思っていた。朝早かったので、途中車で昼寝したりして昼頃に自宅に着いた。

 午後一番で、藻場調査を専門としているA調査会社の友人に電話する。なんと全スタッフが外出中だ。一人は夕方に帰るというが、待っていられない。
 それならばと海藻専門家のAさんに電話する。携帯が留守電。だめだ。
 その後、3カ所に電話したが、みんな留守電や転送サービス。この時期のダイバーは忙しい。

 写真家に借りようと思った。事情を話せば、低予算だが大丈夫。Uさんなら本人はいないだろうが奥さんがいるだろう。まてよ。潜水日本一カメラマンのTなら三浦半島にいるから城ヶ島のタチアマモの写真くらいは持っているな。

 とそこで、神奈川県のアマモといえばと思いついた。
たしか、彼は東京湾のアマモ再生調査などを行っている。

 そこでお願いしたのが工藤孝浩さん(神奈川県水産総合研究所)

 アマモ場再生 関連のイベントなど

 電話して工藤さんの声を聞いてほっとした。工藤さんは快く引き受けてくださってしばらくして、アマモ群落の水中写真が送られてきた。それを事情を説明してWWFジャパンに転送。午後5時に間に合った。

 アマモ場は三浦半島小網代のものだった。そういえば、潜ったことがあったな。などと思い出す。

 やれやれ。最近は真水と動画ばかりで海水の静止画像は未整理のまま。塩漬けにしておかないで。電子化を進めなければいけないなあ、と反省しておるのです。
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