
もともと、名古屋でのプライスコレクション展を見たことがきっかけだった。
いくつか、気になることが出てきたので、京都で行われている相国寺 若冲展に出かけた。そこで、謎の多くは瓦解したというか、納得したのだけれど、判らないことがあった。波の表現だ。
このエントリの最初の写真は若冲の鯉魚図、川波の表現だ。
これを見たとき、あれ、と思った。何かに似ていると思ったのだ。そして、面白いなと思って若冲はこんな表現をよくするのかと思った。それもあって、京都まで出かけた。しかし、鯉魚図、同じタイトルの同時期と思われる作品はあったが、その絵には波は無かった。
その波は、北斎の有名な絵に似てるなと思っていた。
あまり、時代のことを考えずに絵を見ていたので、どちらが先なのか解っていない。なんとなく、北斎と同時代か、北斎の方が年長かなぐらいに思ったいたのだった。
そこで中吊りを見て、この際だから北斎を見るかと思って、名古屋のJR高島屋まで行った。京都で懲りていたので、込んでいたらそのまま図録を買って帰ろうかと思っていたが空いている。北斎の肉筆や浮世絵、ホンモノをゆっくり見ることができた。
さて、若冲の川波と北斎の波濤である。
若冲は北斎よりも49歳も年上である。若冲が北斎の波濤 富嶽三十六景の神奈川沖波裏を見ることはなかっただろう。
北斎がコイの絵を描いているかと思ったが、コイの滝のぼりという定型的な図柄は展示されていなかった。コイは滝を上って、龍となる。昇竜の図は北斎の得意な図柄だっが、すこし妙な気もする。ま、よくはわからないのだが。
しかし、よく似ているとおもわないかな。
波の巻き具合、しぶきの飛んでいる様子。色が反転しているのがまた面白い。
天才同士が共有した視覚の魔法。感性の捉えた一瞬がたまたまに一致していた。ということかな。
いくつか、気になることが出てきたので、京都で行われている相国寺 若冲展に出かけた。そこで、謎の多くは瓦解したというか、納得したのだけれど、判らないことがあった。波の表現だ。
このエントリの最初の写真は若冲の鯉魚図、川波の表現だ。
これを見たとき、あれ、と思った。何かに似ていると思ったのだ。そして、面白いなと思って若冲はこんな表現をよくするのかと思った。それもあって、京都まで出かけた。しかし、鯉魚図、同じタイトルの同時期と思われる作品はあったが、その絵には波は無かった。
その波は、北斎の有名な絵に似てるなと思っていた。
あまり、時代のことを考えずに絵を見ていたので、どちらが先なのか解っていない。なんとなく、北斎と同時代か、北斎の方が年長かなぐらいに思ったいたのだった。
そこで中吊りを見て、この際だから北斎を見るかと思って、名古屋のJR高島屋まで行った。京都で懲りていたので、込んでいたらそのまま図録を買って帰ろうかと思っていたが空いている。北斎の肉筆や浮世絵、ホンモノをゆっくり見ることができた。
さて、若冲の川波と北斎の波濤である。
若冲は北斎よりも49歳も年上である。若冲が北斎の波濤 富嶽三十六景の神奈川沖波裏を見ることはなかっただろう。
北斎がコイの絵を描いているかと思ったが、コイの滝のぼりという定型的な図柄は展示されていなかった。コイは滝を上って、龍となる。昇竜の図は北斎の得意な図柄だっが、すこし妙な気もする。ま、よくはわからないのだが。
しかし、よく似ているとおもわないかな。
波の巻き具合、しぶきの飛んでいる様子。色が反転しているのがまた面白い。
天才同士が共有した視覚の魔法。感性の捉えた一瞬がたまたまに一致していた。ということかな。

見つけた人もスゴイ。