世の中の色々なことが
あぶりだされている。
パンデミックがそのきっかけに
なったと思う。
意見や疑問を持たずに
惰性で続けて来たことに
違和感を感じ始めた人が
多いのではないかと思う。
違和感を違和感として
胸にしまっておくだけじゃなく
行動に移す人も増えた。
外出できないことで
我が身を振り返ることができた。
私も惰性で続けていた
赤字ライブを一旦終えた。
好きで始めた活動だが
いつの間にかそれほどでもなくなり、
義務とか仕事に近い感覚に
なっていた。
ステージに立つに耐えうる
声と容姿をキープしたいと思えば、
人生の残り時間はわずかだ。
「そこまでの活動か?」と
多くの人は思うでしょうが、
私にはまだ野望があるのです。
かつて抱いていた野望は
夢と言っても良い。
矢沢永吉は70才を過ぎてなおセクシー。
何万人を満足させるためには
日々の努力が必要だ。
成り行きや自然に任せておけば
進化どころかキープもできない。
にいやは残りの10年で何をしたいか?
どうなったら嬉しいか?と
考えてみる。
映画のエンドロールに
オリジナルが起用されたら嬉しい。
ニューヨークの本願寺で
平和コンサートをしたい。
ちなみに音源を送ったことはある。
はい、ノーアンサー。
別キャラYoneの「空飛ぶトマトが
コマーシャルソングに起用されたい。
友人が音源を送ってくれたことはある。
玉砕。
「あめつちの詩」をジブリに送った。
玉砕っていうかノーアンサー。
「雨女」「般若の宿」を
某・演歌歌手の事務所に
送ったけれど玉砕。
名前が知られたらライブ活動が
ずっとしやすくなるはずだ。
その為にどの歌かどこかの
メディアにひっかかって
小さくてもヒットしてくれないか。
上記のように色々やってみたが
コネも実力も縁も何もかも
ないので当然ながら世に出るのは
無理と知る。
この10年ほどで若手の実力が
ぐ~~んと上がった。
スゴイ曲やスゴイ演奏テクや
新しい曲作りには驚くばかりだ。
にいやはテレビ画面に
耐えられない。
それよりライブが楽しい。
コンサート運営は資金が必要で、
会場にお客様が居なくては
ならない。
お客様に来てもらって
成り立つ世界。
それでも表現したいことを
形にしていくのはワクワクする。
野望のひとつは野外コンサート。
庄原備北丘陵公園のドリカムは
凄かった。
あの大芝生で歌いたい。
長崎の稲佐山の野外会場で
歌ったことがある。
直前に福山雅治が単独で
1万人以上集めたはずだが
私が出演した時の観客は30人とか。
全員がステージ最前列にかぶりつき。
スタッフの方が多かったかも。
主催者自身がそこで
歌いたかったんでしょうね。
でも大きなステージで
芝生に向かって歌うのは
気持ちよかった。
実力を上げることも必要。
でも思いのエネルギーを持つ
方向性もありでしょ。
二代目寿三郎先生が良く
言われている。
「うまいから世に出るものでもない」
とー。
例えば高橋一生さん。
有名になる前をご存じで
「じみ~~~ぃな男の子」が
ひとたび舞台に上がると
俄然輝いていたと言われていた。
表現者としての自覚、
自分が表現したいことへの敬意。
自分自身まずに敬意を払って
いるか?
自分を通せる強さがあるか?
私はすべてにまだ甘い。
「身の丈が大事」とも言えるが
そう思っていると
「なんちゃって」のままでしょうね。
にいやらしさを表現しつつ
目線だけは上げてゆきたい。
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