4月29日でしたけど。
人形作家であり人形舞いの
辻村寿三郎先生はテレビ番組や
舞台で活躍された著名な方。
二代目・寿三郎先生とは昨年、
私が主催した歌会でご一緒させて
もらった。
無鉄砲かつ無謀な提案をなんと
受けて下さったので実現した。
庄原市萬福寺さんが本堂を提供下さり
コロナの影響があった時期にも
かかわらずたくさん来て下さった。
内容についても大好評だった。
何しろ寿三郎先生のお人形舞は
迫力があった。
えらい人にえらいことお願いした!
と思い知ったのは事後だ。
以来先生のアトリエへは
敷居が高くて失礼していた。
初代・寿三郎先生が郷里の三次市で
療養されていて二代目が毎日
介護されているのは知っていた。
2月5日たまたま私のライブの日に
亡くなられた。
しのぶ会の参列お誘いを頂き
参加することにした。
「平服で」と書いてある。
ということは喪服ではなくて
喪服に準ずるという意味と解釈した。
着付けを中断してもう2年。
和服を着る機会がないかな~と
思っていた時に案内状が来た。
ちょうど良い和服はある。
だいぶ前に「当選しました」と
いうはがきが来た。
高い買い物になるとは思ったが、
ノコノコ出かけて行った。
着物と素敵過ぎる長じゅばんを
買う羽目になったが
これは持っていて本当に良かった。
しかし和服には小物が必要で、
最大の問題は帯だ。
たまたま樹木希林さんの
「しのぶ会」をテレビ番組で見た。
ステージ一面の大きな祭壇。
たくさんのお花と多くの参列者。
あれが「しのぶ会」なのねと
イメージできた。
帯の選択を迷った末に
お茶の先生に相談に伺った。
持参した帯では失礼にあたるとのこと。
手持ちの着物に喪服の黒帯が良い
とのことだった。
草履は地味なのでそのままで良いと。
何十年前の母の黒い帯を出したら
よれっとしていて不安になった。
久しぶりにメルカリをのぞき
青っぽいグレーの上品な帯を
見つけた。
5000円でゲット。
着付けの先生に前もって持参、
当日雨の中を朝9時半に行った。
メルカリの帯は簡単につけられるよう
作り直してあった。
踊りか何かのお稽古用だろう。
垂れ部分が足りない。
念の為に持参していた喪服用がまだ
ましだということで結わえ直しに。
喪服用帯には喪服用の帯揚げ&帯締め
というルールがあるそう。
美容院の先生が貸して下さった。
最近、切ったばかりのヘアスタイルも
先生の腕で美しく仕上げて下さった。
そんなこんなでバタバタと会場へ
向かった。
途中、高速道のトイレで気づいた。
帯の下の垂れが10センチまで
下がっていた。
着付けをちょっと習っているので
なんとか直せたが後悔した。
ステージで一瞬着るのとはわけが違う。
和服のことがわかる人と一緒じゃなく
単独で出かけるなんて怖すぎた。
それでも会場で寿三郎先生から
「きれいに着ている」と褒めてもらった。
翌日、着付けの先生に報告したら
喜ばれた。
折よく、新聞紙上で記事を見たそうで
凄いところへ行ったのね~とのこと
だった。
200人ほどの参列者だった。
報道関係も何社か来ていた。
そもそも寿三郎先生に引き合わせて
くれた大田嬢が「和服で目立ってた。」
「良かったね」と言ってくれた。
同時に「普段から新屋まりで!」と
叱咤された。
引っ込み思案な私を見抜かれた(笑)
アーティストはもっと前に出る!
と言われるけれど、
目立つのはあまり好きではない。
※マイクを持てば大丈夫。
この自己矛盾が私を混乱させる(笑)
「無口だし。」と言えば萬福寺の
エリカ嬢が「あれだけしゃべって??」
と大笑い。
「しのぶ会」で二代目が別れの挨拶を
された。
初代の先生を「お父さん」と呼んで
奥様とともに実の家族のような
幸せな時を過ごせたと語られ
多くの人の涙を誘った。
そしてお人形舞を披露された。
初代先生の遺影に向かってしばし
静止されていた。
初代あっての自分だと私にも
言われたことがある。
二代目としての決意とご覚悟を感じた。
寿三郎先生の舞いは本当に
素晴らしかった。
お人形が生きているよう。
一体になって舞う姿はまさに
圧巻だった。
見ていると私の中にある表現者魂がうずく。
懲りたはずだけれどまたご一緒させて
もらいたい思う。
先生もそのように言って下さり、
実現にむけて日々精進する所存だ。
まずはもっと和服に慣れる事から。
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